28 私の心がそうしろと命じる
八百万の神が去ると、満月は西に沈み、雲で陰っていた太陽が姿を現した。森も薄っすらと明るくなり、木漏れ日が差した。何もかもが元通りの世界に戻った。
怒り心頭であったマツリが、冷酷な眼で魔族を睨む。
「よくも、よくもレイ姉を・・・・お前は許さない」
「待ってくれ! 俺は、その女の欲望を具現化しただけだ。
悪かった。・・・頼む。い、命だけは、助けてくれ」
と、ムラクモに恐怖し、ちらちらと見ながら、マツリに命乞いをした。
魔族は狡猾である。
そういう態度をしながらも、体の裏側では、密かに地面へ魔法陣を描き続けていた。
魔族は「グフフフ、もう少しで魔法陣が完成する。そうすればお前たちは悪夢の世界だ」と心でほくそ笑んでいた。
『ほほ~、これは、かなり難解で複雑な魔法陣だな。
別世界に飛べる高度な魔法は、これほど複雑な魔法陣を構築しないと、発動できないということなのだな』
と、ウルは、魔族が背に隠して地面に描き続けている魔法陣を、竹笛で消しながらマツリに思念会話を送った。
「実に姑息ね~。体の裏側にね~。
こっそりと魔法陣を描いていたなんてね~」
「え! なぜそれを・・・・」
マツリの指摘に、魔族はマツリの眼を見た。それから、はっとして、背後に描いている魔法陣を確認した。
魔背後にいる木の精霊ククノチのウルと目が合った。
「な、な・・・・何だお前は」
『ククククッ』
ウルは竹笛で背中を掻きながら、魔族に満面の笑みを返した。
そして、背後で密かに描いていたはずの難解で複雑な魔法陣が、無残にも消されいるさまが目に飛び込んだ。
『魔法陣は、掃き清めてやったぜ。ククククッ』
「うぎゃぁぁ! 一発逆転の魔法陣が!」
と叫び声を上げると、魔族は力が抜けたように倒れ込んだ。
「私たちを甘くみないことね。善からぬ悪だくみは、ばれるものなのよ」
マツリは、目に笑い浮かべて言い放った。
ムラクモが無慈悲な眼光で、残酷な言葉を吐く。
『主、此奴の戦闘力は皆無だが、悪夢の魔法が厄介だ。
この卑劣な魔族に止めを刺す!』
「ひ、ひぃぃぃ。ど、どうか、お助けをー」
マツリがムラクモに殺れと命じる直前、ジンが立ち上がって、魔族に告げる。
「僕はジン。本当の名を明かそう。
我こそは、魔族が命を狙うシギ皇子だ」
魔族は、シギの名を聞き、反射的にジンを見る。
「な、なんだとー!」
と、驚きの声を上げると、魔族の黄色と黒の眼に一瞬だけ殺気が浮かんだ。
その時、短い破裂音が響いた。ジンが深紅の柄に革紐のついた穏便の鞭で、地を打ち鳴らしたのだ。
魔族の黄色に縦長の黒い瞳が、真ん丸に変わった。
ジンが言葉短く命じる。
「魔族、名を名乗れ」
魔族は、ジンに正対して片膝をつくと、視線を下げた。
「悪夢を体現する者、バクム」
「バクム、なぜ、レイ姉を狙った」
「人間であれば誰でもよかったのです。
悪夢へ取り込んだ人間の恐怖が、我が力となり、この魔法を更に強化できるからです」
「質問を変える。魔族が我の命を狙うのは、何ゆえだ」
「魔王ゼクヴァーナ様の意志です」
「何ゆえの意志だ」
「・・・・・・・・・・禁じられており、話すことはできません」
『マツリ、魔王ゼクヴァーナから、バクムは契約魔法を受けているな。それで、魔王ついて話すことができないのだろう』
『ウル、魔法には、そんな種類もあるのね』
「魔王ゼクヴァーナとはどのような者だ」
「・・・・・・・・・・禁じられており、話すことはできません」
「・・・・・・そうか。
バクム、悪夢の魔法に関する知識と記憶を全て消すことはできるか」
「我が主、シギ様がご命令とあらば、喜んで致します」
「よい心がけだ。褒めて遣わす」
「ありがたき幸せ」
「ではバクムに命じる。
其方自身の悪夢に入り、悪夢の魔法に関する全ての知識と記憶を消し去ることを命じる」
「御意」
バクムは慣れた手つきで魔法陣を描いた。
すくっと立ち上がると、悪夢を具現化する魔法を詠唱し始めた。空間に悪夢の入口が現れると、無言のままそこに入って行った。
「ちょっと、ジン。魔族を生かしたまま逃がしてもよいの? レイ姉もこれでは、腹が収まらないのでは」
「・・・ヒクッ、ヒクッ・・・・・可愛い弟のジンの裁可だもの。私は賛成よ。
それより、私には人間の欲求を体現する者などと言っておきながら、バクムは悪夢を体現する者だったのね。
嘘をつくとは許せない。実に不愉快極まりない!」
「・・・・レ、レイ姉が・・・・ひ、引っかかるところはそこか!
ジン、あのバクムは、あのまま逃げたりしないのかな」
「悪夢の世界から脱出する術は消え、その命が尽きるまで、悪夢にうなされ続けると思う」
「バクムは、悪夢の中に生きる者へと変わるのね。ジンには、意外と冷酷なところもあるのね」
泣き顔だったレイが口を挟んで来た。
「マツリ、当然よ。それが皇帝に必要な資質の一つ。
それに、バクム自身の望む悪夢の世界に一生いられるのだから、無上の喜びを感じて、今頃、歓喜の悲鳴を上げているに違いないわ。ふふっ」
「ひやー・・・・レ、レイ姉、こ、・・・怖い」
『マツリ、日出処の鬼族と同じで、魔族も狡猾、巧みな嘘で人の弱みに付け込むのだな』
『日出処の鬼族と一緒ね。棲む場所が違っても、魔族は鬼族なのね。
それよりも、私はジンに感心したわ。狡猾な魔族を、見事にお仕置きをしたから』
『俺たちに収穫もあったな。
敵である魔王の名が、魔王ゼクヴァーナだと分かった。
それに、ここでジンを待ち伏せしていたわけではないことも分かった』
『うん、「我こそが、シギ皇子だ」と名乗った時の、魔族の驚いた表情でね』
『それだけではないぞ。バクムは、驚きから殺気に変わった。
これは、シギ皇子の命を狙う命令は、既に出ていたと解釈すべきだろう』
『なるほど。魔族はジンの命を狙っている。
でも、私たちの所在を、まだ掴んでいないということなのね』
ムラクモが口を挟む。
『主、それは、今日までのことだ。バクムと音信不通となれば、場合によっては我らとの遭遇を怪しむことにもなろう』
『ムラクモの言う事はもっともだな』
『ウルもムラクモも流石は御先だわ。感心する』
『マツリ、遠慮はいらんぞ。もっと俺を褒めろ、讃えよ!』
『我はこれからも御先として、主の命に従うだけだ。だが、称賛は要求するぞ』
『ウル、よくやった! ムラクモは傍にいるだけでも安心できる! 2柱とも天晴よ!』
『ククククッ。気分がよいな。これが御先の性ってやつか』
『むう、主から受ける称賛が一番だ』
『ふふふっ。ウルったら、顔を赤く染めて。
ムラクモは目がへの字よ。かわいいわね~』
ジンが五月の青空を眺めて呟く。
「僕の誕生日も明日だ。魔族が本格的に動く
晴天の続く5月も終わりだな。間もなく雨季が来る」
レイは頷いてから、決意を込めて宣言する。
「我らの敵は、皇后トクとその手先となる皇七剣、魔王ゼクヴァーナと魔族たち。
私は、それらから弟のジンを必ず守る。これはヒリ様の命だからではない。
これは、私の意志だ。
私の心がそうしろと命じるからだ」
ジンとマツリは、レイの顔を見た。その眼には決意を宿す瞳があった。
【大陸陰暦1020年5月29日
港街パラドへ向かう森
魔族と戦った。ツキヨミ様の御業で、悪夢へと連れ去られたレイ姉を救出できた。
魔族の王は魔王ゼクヴァーナだと分かった。
レイ姉は、務めの苦悩を心の奥深くに封じていた。
レイ姉は自らの心に従い、ジンを守ることを改めて決意したが、苦渋の選択を実行に移す日は必ずやって来る。
5月30日まで、あと1日】
<次回 第29話「ジン10歳の誕生日」>




