18 古井戸の村の魔面 - 2
古井戸の村センコウ
三日月と上弦の月の間となる月が、砂漠の地平線に消えた。見渡す限りの砂漠は、ゾクッとする冷気に包まれ、静かに真夜中が訪れた。
寝付けないでいるジンに、戸外から何やら囁くような話し声が聴こえてきた。
ジンはその囁き声が妙に気になり始めた。顔だけ起こして横を向くと、マツリは寝息を立てていた。レイは背中を向けて身動き一つしていなかった。
ジンは戸を僅かに開け、外を伺うと、山羊小屋の前にしゃがみ込むキキの姿が、月明かりに浮かんでいた。
不審に思ったジンが扉をそっと開けて外へ出ると、今までジンの立っていた場所には、ヤマ婆が、何やら長い棒を手にし、瞬きもせずに直立していた。
ジンはヤマ婆には気づかず、そのまま戸外のキキに近づいて行った。
ジンはキキの後ろから声をかけようとして覗き込んだ。キキは優しげな表情をした女性の面を両手で握りしめていた。
ジンには、白い肌の女面が、仄かに青白く浮かび上がって見えた。ジンは思わず一歩下がった。
「・・・・・・キ、キキちゃん、・・・・・・こんな真夜中に、こんなところで、何を・・・・・・」
キキは身動きせずに、屈み込んだままでいる。
ジンはキキの肩に手を掛ける。
「キキちゃん・・・・・・」
「見~た~のね~」
キキの大きな黒い瞳には、ジンの姿が映っていた。
ジンはキキの表情に驚いて飛び上がり、体の向きを変えた。
「うぁー!」
振り向くとすぐ目の前には、ヤマ婆の姿があった。
ヤマ婆は瞬きもせずに、皺から覗く黒い瞳でジンをじっと見つめる。
呼吸を忘れたジンに、底知れぬ恐怖が走った。ジンはそれに抗う術はなく、その恐怖に呑み込まれてしまった。
カタカタ小刻みにと震えながら、ジンは腰に帯びた宝剣の柄に手を掛け、刃を僅かに抜いた。
柄と鞘の間から覗いた刃が、月の光を反射し無機質に輝いた。
今度は、ヤマ婆の瞳に恐怖の色が浮かんだ。
「きゃぁぁーー!」
ジンの後ろから、キキの金切り声が、夜の帳を切り裂いた。
その時、宝剣の柄を握るジンの手に、誰かの掌が覆いかぶさった。ジンがぎょっとして、その掌からその腕を視線で追うと、その先にはレイの顔があった。
「ジン、落ち着いて」
ジンの眼を真っすぐに見つめ、レイは冷静に言った。
「レ、レイ姉・・・・え・・・・でも、キキちゃんが・・・・ヤマ婆さんも・・・・」
「ジン、息を大きく吐いて」
ジンは息を吐くと、反射的に息を深く吸い込んだ。
「キキちゃんとヤマ婆さんは、私たちを泊めてくれた優しい方たちよ。ほら、よく見て」
ヤマ婆は杖をつき、ジンの行動に驚いて顎をカチカチと鳴らしながら立っていた。振り向くと、キキは恐怖の表情を浮かべ、胸の前に優しげな表情をした白い女面を抱えていた。
キキは、「あ、あ、ぁぁ・・・」と、言葉にならない声を漏らしていた。
「・・・・・・・・た、確かに、レイ姉の言う通りだ」
ジンに冷静さが戻ってくると、恐怖の中で下した自分の恐ろしい判断と行動を恥じて下を向いた。そして顔を上げると、深く頭を下げ謝罪をした。レイも隣で深々と頭を下げた。
ヤマ婆とキキは「こちらこそ、驚かせて申し訳ない」と何度も言うが、ジンはひたすら謝罪を繰り返していた。
「ふあぁ~っ、ジン、こんな夜中にみんなと何を謝り合っているの?」
戸口で口に片手を当てて、背伸びをしているマツリが尋ねた。
「マツリ姉、僕がキキちゃんとヤマ婆に、危うく剣を抜くところだった」
「ええ~~! ・・・・キ、キキちゃん、・・・・ヤマ婆さん、お、弟が・・・ご、ごめんなさい」
キキが震える声でジンを庇う。
「わ、私も悪いの。人に隠れて、お母さんのお面に話しかけていたからいけないの。
気味悪がられるから、隠れてしていたの」
「・・・・昼間・・・・お、おばさんたちが言っていた・・・・ように、キキちゃんは・・・・その女面に・・・・話しかける・・・・ことがあるんだね・・・・」
「うん。このお面はお母さんなの。だって、お母さんが大事にしていたお面で、顔もお母さんに似ているから」
『マツリ、やはり、この無表情の女面には、妖しの類の気配はないな』
『うん、私には表情のない面が、今は優しげな表情に感じるわ』
『ククククッ、人間は、なぜこの女面を恐れるのだ』
『無表情なだけに、見る人の気持ちや精神状態を映し出すのかもしれないわね。
例えば、優しい気持ちなら優しく見え、不安を感じている時には、恐怖を与える形相、怒りを覚えれば憤怒などに見えるのかもしれない』
『人間は、面白い生き物だな。自らの心をこの女面に描き出せるのか』
『でも、1ヶ月前にこの女面をつけた盗賊の頭が、狂ったように手下を皆殺しにしたのはなぜだろうね』
『さあな。盗賊のお頭は、前からそういう心の病があったのではないか。
珍しい女面を被って、心の奥深くにあった罪悪感や人への不信感なのかは分からないが、何かが噴き出てきたのかもな』
『うーん、・・・・でも、それを見た村人が、口を揃えて、この女面を憤怒の形相と言っていたのはなぜ?』
『ククククッ、きっと集団ヒステリーというやつなのかもしれんな』
『集団ヒステリー?』
『誰かの感情や思考が他の人に伝染し、他の者まで身体症状や精神的な興奮、恍惚状態となる現象だ。
それにマツリも気づいていただろう。キキが、あの古井戸の水は、1ヶ月前に臭くなったと言っていた。恐らく、その直前の大雨で地下水に何らかの影響があったのだろう。
今は、井戸水の臭いはなくなったと言っていたが、精神を高ぶらせる成分がごく微量だが入っていたからな』
『うん、飲んだ水に違和感があったわ』
『井戸水の影響による精神の高揚、盗賊の出現と殺戮による命の危機と耐えがたい恐怖などが重なって、集団ヒステリー状態になったと考えるのが妥当だな』
マツリは黙って頷いた。マツリはキキの背に手を回し、ジンとレイはヤマ婆の肩を支えて家に入って行った。
翌朝
白い女面を背負ったキキは、ジンと一緒に山羊の乳を搾っていた。
「ジン兄ちゃん、上手よ」
「これは難しいが、乳が搾れると嬉しいな」
ジンが喜々として目を輝かせていた。
砂漠の地平線から、大きな荷を背負い、数頭の山羊を引き連れた男性が歩いて来る。山羊の首にかかる鈴が、リンリンと音を立てていた。
「・・・・キキ」
背後からの太い声にキキは振り向く。
キキは真ん丸な黒い瞳をしたまま、ゆっくりと立ち上がる。キキの目が、口が、頬が、横に潰れたような表情となる。
「お父さんー!」
キキは声を上げて、荷を背負った男性にしがみついた。
キキの父ガクは、膝を付き我が子を強く抱きしめる。
「・・・・キキ、キキ・・・・会いたかったよ。キキ」
「・・・・うえ、・・・・うえ、・・・・うえ」
キキは顔を、男性の胸に溶け込むように押し付けた。
「キキ・・・・遅くなって悪かった。父さんは帰って来た」
「うえ、うえ、・・・・うえ」
キキ親子の深い情を感じたジンは、目頭が熱くなっていた。やがて、ふと思い出したように叫ぶ。
「ヤマ婆さん! キキの父さんが帰って来たよー!」
戸を勢いよくマツリが開ける。すると、レイに支えられたヤマ婆が、杖をつきながら出て来た。
ヤマ婆がぎこちない足取りで、ガクとキキに近づく。ヤマ婆の顔の皺がわなわな震えている。
ヤマ婆は杖を手放すとそのままガクへと歩みを進める。
ガクの瞳がヤマ婆を映す。
ガクはキキを抱き上げたまま、ヤマ婆に近づいて行く。
「ヤマ婆ちゃん、苦労をかけました。・・・・よくぞキキをここまで育てて・・・・これからは俺がずっと・・・・・・・・」
ガクはヤマ婆を抱きしめた。
ヤマ婆の刻まれた皺の間から、輝く雫が落ちる。
「・・・・おぅ、おぅ、おぉぉ・・・・・・・・」
ヤマ婆の皺の間にある唇が震えていた。
じっと見つめるジンとレイの瞳から、砂漠の乾いた大地に、ポツリ、ポツリと光の雫が落ちる。
マツリは白衣の裾で目頭を擦ると、ガクに抱きかかえられたキキの背中にある優しげな白い女面を見つめた。
白い女面の目から、ツツーッと滴る水が光った。
『あ、ウル、見て! 女面から・・・・涙が』
『今も妖しの類の気配はない。朝露か山羊の涎かもしれんな』
すぐ脇で、メエエエ、メエエーッと、首の鈴を鳴らしながら山羊が鳴く。
『本当にそうかしら。私は女面が喜んでいるように見えるわ』
『ククククッ』
【大陸陰暦1020年5月5日
古井戸の村センコウ
互いに理解し合うことは難しい。
互いに理解できないことから、不安や恐怖が生まれ、それが誤解や偏見となることもある。
ジンとおばさんたちの行動には、大きな差異はあるものの、似たところもあると感じた。
キキ、応援しているよ。
5月30日まで、あと25日】
<次回 第19話「魔族と新たな光 - 1」>




