国立場内の変
別の世界の二〇二〇年七月二十四日。第三十二回夏季近代五輪大会の開会式が帝都東京で華々しく執り行われようとしていた。最大の見せ場である選手入場。五輪発祥の国である希臘を先頭にして難民選手団、氷島、愛蘭土と、五十音順に万国から集った強者たちが列をなす。この大会より旗手を男性一名、女性一名が務めることになっているが、一本の旗を二人で翻すのはいずれの選手も少々慣れていないようだ。
二百七の選手団が入場する内の百十二番目、漫画のような集中線が描かれた札の中に朝鮮民主主義人民共和国と一際長い国名の行列が現れた。貴賓席から見て左手前の入口より入場する北朝鮮の選手たちである。
直前の中華人民共和国の選手団がまだ行進を続けている中、競技場内に五十人程、観客席を飛び降りて侵入した。驚く観客たちの目の前で、彼らは三十五名の北朝鮮選手団に刀や小銃で襲いかかる。狙いは金載問。五輪大会に向けて来日して以来、北朝鮮の政治体制を批判していた。観客たちは悲鳴を上げ、中継放送の関係者たちも驚くばかりだった。
金載問が北朝鮮工作員に狙われているという情報は日本側も掴んでいた。しかし選手入場を中止するわけにはいかず、警備員の付き添いも安全安心な日本を印象付けたいという意向から採用しなかった。何より、入場行進中の選手を襲撃するなど前例がなかった。独逸の民顕で一九七二年に発生して以来の、近代五輪大会史上二度目の大事件である。国際的には東京五輪事件、国内では俗に国立場内の変と呼ばれ、世界を恐怖に陥れた。