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002 蝕む気持ち

※フィリクスが口にする「トニー」はアンソニー(リディアの兄)の名称です。

 王家の血筋を引く、ノイラート公爵家は領地を持たない貴族だ。その代わり、資産家として繁栄してきた家柄である。

 綿糸(めんし)産業にいち早く参入した公爵家は、自ら綿糸工場を設立し、製品を輸出することで利益を上げた。それに伴い、貿易業にも参入し、海外からの商品の輸入や輸出ルートの確保といった、独自の商業ネットワークを築き成功を収めてきた。


 そして代々、ノイラート公爵家の当主は、国王陛下の側近として国の(まつりごと)に携わる仕事もしている。


『正直、陛下に意見する事なんてあんまりないんだ。陛下の周囲には僕よりずっと頭脳明晰(ずのうめいせき)で、厳しい意見をズバリ進言できる優秀な者達が多くいるからね。僕はもっぱら陛下の愚痴を聞く係さ』


 仕事を家に持ち帰る事をしないフェリクス様が、かつて私に話してくれた事がある。


 でもそれは、きっと嘘。


 フェリクス様と寄宿学校の同級生でもあった、兄アンソニーの話だと、学生時代の彼は、とても優秀だったらしい。成績は常にトップクラスで、生徒会長も務めていたそうだ。


 人望も厚く、教師達からも一目(いちもく)置かれていた。その上、眉目(びもく)秀麗(しゅうれい)なフェリクス様。そんな完璧な人が私の夫であること。それは、奇跡でしかない。



 ***



 私たちは、美しい庭園を見渡せる、窓辺にあるテーブルで朝食を摂っている。フェリクス様と私は、毎日必ず共に朝食摂りり、穏やかな朝の時間を過ごす事を日課にしている。


「フィル様、今日は久々の登城(とじょう)ですね」

「うん。数ヶ月後に議会の開催を控えているからね。しばらく登城する事になると思う」


 フェリクス様はすでに着替えを済ませており、後はタイを結び、黒いテールコートを羽織るだけと言った状態だ。

 彼は焼きたてのパンと、新鮮なフルーツ。それからヨーグルトを平らげ、今は紅茶に手を伸ばしているところ。


「君の今日の予定は?」


 彼は優雅(ゆうが)(たたず)まいで、紅茶カップを口に運びながら私にたずねてきた。


「イレーネとブルーチャペルで行われる、慈善(じぜん)事業に関する募金講演に参加するつもりです」


 答えながら私は、薄くスライスされたパンにバターを塗り、丁寧(ていねい)に蜜をかけた。


 正直あまり食欲がない。けれどフェリクス様の前で、あからさまに食事を残す事は得策(とくさく)ではない。なぜなら、ウエストのサイズばかりを気にし、栄養不足だから妊娠できない。そう思われてしまうから。それが怖くて、私は無理をしてでも食事を摂っている。


 はっきり言って、無理矢理口に運ぶ食事は、あまり美味しく感じない。けれど完璧な妻であるために、そして彼に嫌われない為に、これは必要な努力だ。


「なるほど。君が講演するの?」

「いいえ。今回は、孤児のための資金集めなので」


 子どもがいない私では、きっと説得力がない。その証拠に、今回の講演は男児三人を立派に産み、育て上げた方が行う事が決まっている。


「バルリング伯爵夫人が講演なさいます」


 私は心に浮かぶ、やさぐれた気持ちを隠すよう、フェリクス様に笑顔を向ける。すると彼は眉根(まゆね)を寄せ、複雑な表情になる。


「バルリング伯爵夫人は、いつも面白おかしく、ウイットに富む会話をなさるから。だからとても楽しみですわ」


 私はなるべく無邪気に見えるように、可愛らしく微笑んで見せた。フェリクス様がそんな私の様子を見つめながら、小さく息をつく。


「君は……、いや、なんでもないよ。楽しんでおいで」


 彼が何か言いかけた事には気づいたけれど、あえて聞かなかったふりをした。


「ありがとうございます。フィル様も、お仕事を頑張って下さい」

「ありがとう。家族がいると、仕事にも張り合いが出る。君の為に頑張るよ」


 フェリクス様が何気なく放った家族という言葉を耳にし、私の胸はチクンと痛む。


 子供がいないのに、私たちは家族と言えるのだろうかと。

 婚約者であった時と、何が違うのだろうかと。


 そんな疑問がふと頭におりてくる。


 もし今日、フェリクス様が離縁を申し立て、陛下がお許しになれば、私はその瞬間から、大好きなフェリクス様とは他人になる。そして領地に戻った私は、二度と彼と会う事はないだろう。なぜなら、私達には子供がいないから。顔を合わせる口実がないからだ。


 四年間、ほぼ毎日。寝食を共にし、顔を合わせていた人なのに、子どもがいないというだけで、簡単に他人に戻れてしまう。


 婚約者時代だった時の方が、ずっと輝いた関係でいられた。結婚した私とフェリクス様の関係は、あの頃よりずっと問題を抱えた、紙一枚で繋がる(もろ)いものだ。


「ふふ、リディ。パンの屑がついているよ」

「え?」


 突然何を言われたか分からず、顔をあげる。すると、フェリクス様はこちらに笑顔を向けたまま手を伸ばす。そして、私の口元についていたパン屑をつまむと、自分の口に運び、ぱくりと食べてしまった。


「お行儀が悪いのですね、フィル様は」


 咄嗟に出た言葉は、可愛げのないもの。せめて笑顔と共に発する事が出来たら、マシだった言葉だ。けれどぎこちない笑みと共に、嫌味っぽく返すのが精一杯な私は、フェリクス様の望む可愛い妻ではない。


 現にフェリクス様は、わずかに眉間に皺をよせている。その表情をさせてしまったのは私なのに、とても胸が苦しい。


「ごめんね。妻が可愛くてつい」


 すぐに誤魔化すような笑顔を私に向ける、フェリクス様。


「いえ」

「パン屑をつけていても、君は可愛いよ。そういう意味だったんだけどな」


 フェリクス様から、弁解するように飛び出した言葉。その言葉は、ひたすら落ち込む私の中で、「いい歳をして、うっかりパン屑を口元につける女は、だらしがない」と、即座に変換される。


 昔なら笑顔で可愛く交わす事が出来た、フェリクス様との何気ない会話。けれど日々「離縁」という言葉がチラつく私は、ここ最近上手く笑って返せない。


「ごめんなさい」


 可愛げがなくて。だらしがない私は、このままでは離縁されてしまう。だからつい、謝罪する。するとフェリクス様は、傷ついた表情になると、小さくため息をついた。


「最近、君はあまり笑わなくなったような気がする。トニーに、揶揄(からか)われている時。僕に泣きついてきていた時みたいな、そんな顔ばかりしているようだ」


 フェリクス様に突然指摘され、私は慌てて顔を伏せる。


「僕が君を悲しませているのかな?」

「違います。お兄様とフィル様は全然違うもの」


 フェリクス様と兄は全然違う。

 だって、兄は私の王子様ではないから。


「だけど」

「気のせいですわ」


 私はこの話はもう終わりだと、顔をあげ、彼の言葉を遮る。するとフェリクス様の、不安げに揺れる青い瞳が、私を見据えている事に気付く。


 あぁ、まずいと思った。きっとフェリクス様は私に愛想を尽かす一歩手前だと。


「ええと、その……もしかしたら気圧の関係かも知れません」


 慌てて、思いついた事をそのまま口にする。


「気圧?」

「ええ。嵐や台風が来る前。フィル様も頭が痛くなると、いつもそう仰っています」


 これ以上嫌われたくはない。私を見限らないでと、何とか話を誤魔化そうとした。


「そうか。気圧のせいならば仕方がないね。でも」


 フェリクス様は少し、困ったような表情になったあと、私に優しい笑みを向ける。


「何か心配事があるなら、いつでも聞くよ。僕達は夫婦なのだから、遠慮せずに、ね?」


 言い聞かせるように告げるフェリクス様。


 その優しさが、今の私には辛い。優しいが故に、私になかなか離縁しようと言えないのでは?と勘ぐってしまうから。


「ありがとうございます。でも私は元気です」

「あれ、気圧の関係で、少し元気が出ないんじゃなかったかな?」


 フェリクス様は意地悪な笑みを浮かべると、私に問いかけてきた。


「それは……」


 私が口籠っていると、彼は向かい側から腕を伸ばし、私の手を握りしめてきた。そして、そっと指先に唇を寄せる。


 もう何度も経験しているその行動に、私は未だドキリとしながら、彼を見つめる。すると綺麗な空色の瞳と視線がぶつかった。


「リディ、あまり無理しないで欲しい。僕は君の笑顔が好きなんだから」


 その言葉は、とても甘く私の耳の奥まで響いてくる。


「ありがとうございます。ですが本当に大丈夫です。それよりも、早く行かないとお仕事に間に合わないのではありませんか?」


 恥ずかしさ、嬉しさ、そして、笑えない私は嫌われてしまうと焦った結果、私はまたもや、可愛げのない言葉を、彼に向けてしまう。


「あ、もうこんな時間か。そろそろいかないとだな」


 フェリクス様は慌てたように、私の手を離す。それからナプキンで口元を拭うと、席を立った。私も見送りの準備をしなければと、腰を浮かしかけると。


「君はゆっくり食べて。最近食が細いようだから。ちゃんと栄養を摂らないと」


 フェリクス様に制止されてしまう。


 そして拒絶されたように感じてしまう私は、彼の「栄養を摂らないと」が「だから妊娠出来ないんだよ」と、離縁の理由になり得る言葉に変換される。


「お言葉に甘えて、お食事を続けさせて頂きます。ありがとうございます」


 私はなるべく平静を装いながら、笑顔でお礼を口にする。


「うん。しっかり食べて。よく噛むんだよ。じゃぁ、いってくる」


 フェリクス様は、私に背をむけると、執務室のほうへ歩いていく。


 颯爽(さっそう)と歩く彼の広い背中を見つめ、私は思う。


 彼は何も悪くない。悪いのは、貴族の妻として完璧になれない私だと。


「全然、おいしくない」


 私は泣きそうになる気持ちを堪え、一人残されたテーブルで、静かにパンを齧るのであった。

お読みいただきありがとうございました。


更新の励み、次作品への養分になりますので、続きが気になるなー、おもしろいなー等、少しでも何か感じていただけましたら、★★★★★からの評価やブックマーク、いいね等で応援していただけるとうれしいです。

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