3 いざ王都へ
2020.11/15 更新分 1/1
それから半刻ほどの後、フィリアは王都に向かう荷車に揺られていた。
この荷車は、『針の森』のすぐ外に待ちかまえていたものである。そこには御者と警護役の兵士たちまでもが控えており、フィリアを王都に連れ帰るための算段がすっかり整えられていたのだった。
それでも人目を忍ぶために、荷車は粗末な造りをしており、兵士たちも薄汚れた旅装束に身を包んでいた。フィリアは荷台に詰め込まれて、それを守るのはアデリールである。
荷台は四角い箱型であり、窓が閉められているために外の様子をうかがうこともできない。そんな中、フィリアはずっと無言で両膝を抱え込んでいた。
「あの、フィリア姫……?」
アデリールが心配そうに呼びかけると、フィリアはぶんぶんと首を横に振った。
「お願いですから、しばらく話しかけないでください。口を開いても、恨み言しか出てきませんので」
「……いくらでもお恨みになってください。王国の行く末を守るためでしたら、わたしはどのような責め苦も厭いません」
きわめて真剣な眼差しで、アデリールはそう言った。
フィリアは膝の間に顔を沈めて、深々と息をつく。
(ああ……どうしてこんなことになっちゃったんだろ……)
不思議と、涙はこぼれなかった。
人はあまりに絶望すると、涙をこぼすことも忘れてしまうのだろうか。
それとも――フィリアはまだ一縷の希望に取りすがっているために、涙をこらえることができているのか。
フィリアの頭の中では、半刻ほど前に別れた魔女エマの姿や言葉が、濁流のようにぐるぐると渦を巻いていた。
◇
「どうしてわたしが、王都に戻らないといけないのですか!?」
フィリアがそのように叫んだのは、いったん魔女エマの住処に戻ったのちのことであった。
アデリールは『針の森』に残し、ジェラに監視を申しつけている。木造りの部屋に、フィリアと魔女エマはふたりきりであった。
「まあ、騒ぐな。これも考えあってのことじゃ」
「それがどのような考えであっても、わたしはまっぴらごめんです! 王都に戻るなんて、絶対の絶対に嫌ですからねー!」
「ほう。それではおぬしは、師匠たる我の命令を聞けぬというのじゃな?」
「だ、だって……わたしが王都に戻ったら、弟子も師匠もないじゃないですかー!」
「そのようなことはない。おぬしがどこにおもむこうとも、主従の誓約が絶ち切られることはないのじゃからな」
長椅子に座した魔女エマは、大人の姿のまま優雅に足を組み替えた。
「しかし、おぬしが我の命令を聞けぬというのなら、主従の誓約を絶ち切る他あるまい。まことに無念な話じゃな」
「え、えーと? ちょっとお待ちくださいね。いささか頭が混乱してまいりました。主従の誓約を絶ち切ったら、わたしはどうなってしまうのでしょう?」
「もちろん、我の領土から追放させてもらう」
「では、主従の誓約を絶ち切らなければ?」
「我の命令で、王都におもむいてもらう」
「それじゃあどっちみち、わたしの行く末は真っ暗闇じゃないですかー!」
「まずは落ち着けい。考えがあってのことと言うておろうが」
あくまでも悠揚せまらずに、魔女エマはそう言いたてた。
「さきほどから何べんも言うておる通り、我らは石の都をも守らなければならんのじゃ。その一点は、理解しておるな?」
「はあ……まあ、一応は」
「そもそも我々が妖魅を退治するために聖域を離れたのも、突きつめれば石の都を守るためであるのじゃ。石の都の住人どもには、この先の数百年を託さなければならんのじゃからな。数百年ののち、大地に魔力が蘇ったとき、我らの同胞が魔術師として健やかな生を歩むために、この世界は平穏であらねばならん。そのために、石の都の住人どもには守り人としての仕事を果たしてもらわなければならんわけじゃ」
「はい……それは理解しているつもりですけれど……」
「ならばこのたびの一件も、我らの仕事の範疇ではないか。実の弟にして王たる人間を殺めるような人間に、新たな王の座を託すわけにはいくまい。悪辣な人間が長となれば、一族の命運も危うくなってしまうのじゃからな。石の都の安寧を守ることは、すなわち我々の行く末を守ることになるのじゃ」
「はい……でもでも、ひとつだけいいですか? 石の都に、わたしの幸福はないのです! お師匠さんは、この世のすべての安寧を守るために……わたしの身を石の都に捧げよと……そのように仰っているのでしょうか……?」
「涙をこぼすな、大うつけが」
魔女エマは、木の杖でフィリアの兎の頭をこつんと叩いた。
「おぬしとて、この世界を形づくる存在のひとつじゃろうが? それをないがしろにしては、この世を救うことにはならん」
「では、わたしはどのようにして救われればよいのでしょう?」
「その道は、おぬし自身でつかみ取る他ない。我が示すことのできるのは、我の弟子として進むべき道だけじゃ」
長椅子にふんぞり返りながら、魔女エマはそう言った。
「我はべつだん、おぬしに新たな王となれ、と命じておるわけではない。おぬしは石の都まで出向き、真実をつまびらかにしてくるのじゃ」
「真実……と、申しますと……?」
「まずは、王姉ないしはその娘が、本当に王を殺めたのかどうかじゃな。それがあの女騎士めの考え違いであれば、それこそ何の問題もなかろう?」
「それはそうですけれども……では、本当にその方々が犯人であった場合は、どうなるのでしょう?」
「それは、王の座から引きずり下ろすしかあるまい。新たな王となるのは、おぬしか、あるいは王妹の血族じゃ」
「ですから、そこでわたしの名前をあげないでくださいってばー!」
フィリアがわめくと、魔女エマは表情を改めた。
どこか、透徹した表情である。美しい大人の姿と相まって、その表情はフィリアの口をつぐませるのに十分であった。
「さきほども言うたであろう。おぬしに新たな王となれ、と我が命じることはない。その道を選ぶかどうかは、おぬし自身であるのじゃ」
「わ……わたしがそのような道を選ぶわけがないでしょう?」
「しかし、おぬしが憎んでおったのは、自らの父や兄たちであったのじゃろう? おぬしの母をないがしろにしたその者たちは、すでに魂を返しておるのじゃ。ならば――おぬしが石の都を憎む理由も消え去るかもしれんではないか」
「た、たとえそうだとしても、わたしは――」
「それでもなお、おぬしが我の弟子であることを望むのならば、それでよい。どの道を進むべきか、おぬしはもうひとたび、己の心に問うべきであるのじゃ」
魔女エマは同じ表情のまま、フィリアの頭にまたこつんと木の杖を押し当てた。
変化の術が解け、フィリアの素顔があらわにされる。
さきほど流した涙の跡が頬を伝っており、その面には泣き顔に等しい表情が浮かべられていた。
「おぬしは苦難から逃げるために、我の弟子になることを望んだ。しかし、それでは覚悟が足りんかもしれん。おぬしの故郷が憎悪の対象でなくなろうとも、おぬしはまだ我の弟子であり続けることを望むのかどうか……それを、見定めてくるのじゃ」
「わたしの心は、すでに定まっています。わたしは一生、お師匠さんとともにありたいのです」
「ならば、それを証明してみせよ。石の都までおもむいて、王殺しの真実を見定めたのち、この地に戻ってくればよいのじゃ」
魔女エマは、自分の首から飾り物のひとつを外した。
銀の鎖に虎目石が吊るされた、瀟洒な首飾りである。鎖はきわめて華奢な作りで、虎目石の大きさも親指の爪ていどであったが、その金色の光は魔女エマの瞳とよく似通っていた。
「もしも、石の都こそがおぬしのあるべき場所じゃと判じたときには、この首飾りの石を打ち砕くがよい。それをもって、主従の誓約は解消されたものとする」
フィリアの首に、その首飾りがそっと掛けられた。
フィリアは唇を噛みしめて、懸命に嗚咽をこらえている。
「その首飾りを打ち砕くか、あるいはこの場に持ち帰るか。自らの、心の声に従うがよい」
魔女エマは身を起こし、虚空に光の画面を生み出した。
「王都の女騎士よ、ひとつ尋ねたい。こやつが我の領土に持ち込んだ不浄の聖剣は、どうするべきじゃろうかな?」
びくっと身体をすくませてから、アデリールは決然と答えた。
『宝剣は、フィリア姫が宝物庫から盗み去ったとされている。それを持ち帰れば、大罪の証とされてしまうやもしれん。願わくは、そのままこちらで保管してもらいたい』
「そうか。このようなものを置いていかれるのは迷惑千万じゃが、まあ、悪逆な人間のひしめく石の都に返すよりは危険も少なかろうな」
それだけ言って、魔女エマは光の画面をかき消した。
「あの聖剣が言語道断の力を発揮するのは、魔なるものを相手取るときのみじゃ。人間相手には他の鋼と変わらぬ力しか持たぬのじゃから、王都におもむくおぬしには必要なかろうよ。……では、行くか。『針の森』の外までは、転移の術式で送り届けてやろう」
「あ、ちょっとお待ちを……ひとつだけ、確認させていただきたいのですが……」
「何じゃ? 我の側には、言い残したこともないぞ」
「わたしには、あるのです。王殺しの真実を暴いたのち、わたしがお師匠さんのもとに戻りたいと決断したとき、いったいどのようにして戻ってくればよいのでしょう? 今後はアデリール先生も警戒するでしょうから、そうそう逃げ出すことはできないと思うのです」
「何じゃ、そのようなことか」
魔女エマはにこやかに微笑みながら、フィリアの肩をぽんと叩いた。
「おぬしは何の力も持たぬ小娘じゃが、その執念だけは人並み以上であろう。その執念があらば、どのような苦難もおそるるには値しまい」
「え? 具体的にはどういう……?」
「では、行くぞ。己の使命を見事に果たしてみせるがよい!」
「ちょっとー! 城壁で囲まれた王都から逃げ出すのって、そんな簡単な話ではないのですからねー!」
フィリアはおもいきりわめきたてたが、魔女エマに尻を蹴られて、光の門をくぐることになった。
そうしてフィリアは他の魔女たちに事情を伝えるすべもないまま、陰謀渦巻く王都へと連れ去られることになってしまったのだった。




