6 屍神降臨
2020.11/6 更新分 1/1
「なるほどな。すべての黒幕は、おぬしであったというわけか」
苦い怒りを潜めた声で、魔女エマがそのように言い放った。
「これで納得がいったわい。石の都に生まれついた似非魔術師なんぞに、こんな大層な術式を構築できるわけがないからの。北の魔女のもとで魔術の何たるかを学んだおぬしが、主人の手を噛んだというわけじゃな」
「……わたくしは、これらの者たちと言葉を交わし、進むべき道を見出したのです……我々は、石の都の住人などに世界を明け渡すべきではありませんでした……やはり世界は、魔術によって統治されるべきであるのです……」
「じゃから、この大地から魔力が枯渇し果てたら、統治もへったくれもないじゃろうが? このような状況で邪神なんぞを覚醒させても、光の存在に祀りあげるすべはない。魔力が尽きるその日まで、暴虐の限りを尽くしておしまいじゃ」
「そうはなりませぬ……邪神を覚醒させたならば、その次には父なる大神を覚醒させる算段を立てておりますゆえ……」
「父なる大神とは、すなわち大地そのものじゃ! 大地が魔力を取り戻すには、長きの眠りに落ちる他ない!」
「いえ……必ずや、父なる大神をも揺り起こしてみせましょう……」
「話にならんな」と、魔女エマは肩をすくめて、魔女ラクーシャを振り返った。
「このような茶番は、とっとと終わらせるぞ。結界の核たる魔道具は探知できたかの?」
「はい。ですが、魔道具、地上です。いささか、厄介です」
「はん、地上かよ。ま、俺様たちの魔力を丁寧に練りあげてやりゃあ、水晶の天井ごしにでもぶっ壊せるだろ」
「そうじゃな。いささか時間はかかろうが、100を数える前には終わるじゃろ」
魔女エマがねじくれ曲がった木の杖を突き出すと、魔女ラクーシャは骨の杖を、魔女ドルガは骨の右腕の鉤爪をそこに重ねた。
3人の肉体が淡い光に包まれて、それが杖と鉤爪の先端に集中していく。
「このような結界があっては、おぬしもこちらの邪魔立てはできまい。いまのうちに、主人と同胞を裏切った悔恨でも噛みしめておくがよい」
「では……どうあっても、ご助力はいただけないのですね……皆様とは幸福と希望を分かち合いたく思っておりましたので……心より、無念に思います……」
陰気な声でつぶやきながら、ネロは後方に引き下がった。
その背後では、瘴気の渦巻く巨大な結晶が待ち受けている。
「それでは、屍神を覚醒いたします……皆様の魂の安からんことを……」
「寝言をほざくな。そのていどの瘴気で邪神を覚醒させることはかなわんぞ」
「いえ……皆様から多大な魔力を頂戴いたしましたので、瘴気はこれにて十分でございます……」
ネロは、瘴気の渦巻く結晶にぴたりと背中をつけた。
その姿に、魔女エマはハッと目を見開く。
「待て! おぬしは、まさか……自らの肉体を、屍神の依り代と為すつもりか!?」
「左様でございます……浅ましき獣の身なれども、屍神の器として不足はありますまい……」
「やめい! 己の魂を、闇に投げ出すつもりか!?」
魔女エマの必死な声に、結晶の砕け散る音色がかぶさった。
地面と天井を繋ぐ巨大な結晶が、真っ二つに割れ砕け――そこからあふれかえった漆黒の瘴気が、ネロの肉体を包み込む。
「いかん! この場から離れるのじゃ!」
魔女エマはフィリアの襟首をひっつかむや、ジェラの背中に飛び乗った。
雷王鳥のカーラは魔女ドルガの両肩をつかみ、魔女ラクーシャはロムロムの身体を抱きかかえる。
そうして一行が、矢のような勢いで後方に退いたとき――中央に張られていた結界が、硬質的な音色とともに砕け散った。
黒い瘴気が、爆発的に広がっていく。結晶を取り囲んでいた6名の男たちも、瞬く間に瘴気に呑み込まれた。
男たちの断末魔が、洞穴の内に響きわたる。
そして――屍神が、そこに顕現した。
「なんというやつじゃ。まさか、己の魂を打ち捨ててまで、屍神を覚醒させようとは……あやつの覚悟を侮っておったわい」
ほとんど広場の端にまで退いてから、魔女エマは口惜しそうに言い捨てた。
その手に襟首をつかまれたまま、フィリアは「うわあ……」と嘆息をこぼす。
「あれが、屍神であるのですね? というか……北の従者さんの本性というべきでしょうか?」
「北の従者の本性を依り代として、屍神が顕現したのじゃ。数ある聖獣の中でも、邪神の依り代になり得るのは、あやつの一族だけかもしれんな」
水晶の広場の真ん中に、巨大な異形が出現していた。
それは、フィリアがこれまで目にしてきた中でも、もっとも巨大な姿であった。さきほどの屍神の眷族よりも、さらに巨大な姿であろう。
北の魔女の従者ネロの本性は、巨大水妖である。
ぶくぶくと膨れあがった不格好な頭部に、何本もの触腕を有した、蛸や烏賊に類する軟体生物であった。
灰色がかった半透明の肉体をしており、頭の下部にぎょろりとした目玉が覗いている。
ただし現在、その肉体の内には漆黒の瘴気が渦巻いており、目玉は青い燐光のような炎を宿していた。
「あ、あれ? なんだか、頭がくらくらしてきたのですが……わたし、毒にでも犯されてしまったのでしょうか?」
「毒といえば、あの存在が魂を蝕む毒そのものじゃ。それでも現世の存在を依り代としておる分、いくらかは緩和されておるのじゃろう。そうでなければ、おぬしなどあの姿を見ただけで正気を失っておるわい」
魔女エマは、決然と足を踏み出した。
その金色の瞳には、業火のごとき光が宿されている。
「何にせよ、あれはこの場で滅する他ない。邪神なんぞの好きにさせては、この世の魔力のすべてを吸い尽くされてしまうじゃろう。おぬしらも、覚悟はよいな?」
「だから、手前が仕切るんじゃねーよ、西の魔女野郎! 依り代なんぞに頼ってる邪神だったら、どっかにひとつまみぐらいの勝機が転がってんだろ」
「はい。時間、経つほどに、危険です。今、滅するべきです」
魔女ドルガと魔女ラクーシャも、前に進み出た。
そのかたわらに、ジェラとカーラも進み出る。
『わ、我が主人よ。どうか、私もお連れください』
『そ、そうです! アタシらだって……やってやりますよ!』
ジェラもカーラも、懸命に恐怖を押し殺している様子であった。
そちらを振り返った魔女エマは、ふっと笑みをこぼす。
「むろん、おぬしが我の足となってくれれば、それにまさる力はないが……邪神を前にして、十全な働きを果たせるのかの?」
『お、おまかせください! 私はそのために、この世に在るのです!』
「手前もだぞ、従僕野郎。満足に働けねーようだったら、隅っこで震えてな!」
『はん! アタシがこの世で一番おっかないと思ってるのは、アンタです! 邪神だろうが何だろうが、そんなもんに怯んだりはしませんよ!』
魔女ドルガは黒猿の仮面をむしり取って、高笑いをあげた。
「あのくそったれどもはみんな瘴気に呑み込まれちまったんだから、こんなもんはもういらねーだろ! さあ、仕事を果たしやがれ、従僕野郎!」
『了解ですよ、主人野郎様!』と、大きく羽ばたいたカーラが、主人の両肩をわしづかみにした。魔女エマは不敵に微笑みながら、ジェラの背に腰を乗せる。
その姿を見届けてから、魔女ラクーシャはロムロムを振り返った。
「あなた、兎、お守りなさい。それもまた、重要、使命です」
『は、はい。承知したのです』
そうして再び、3名の魔女と2名の従者は決戦の地におもむいていった。
水晶の壁にもたれながら、フィリアは「あうう」と眉を下げる。
「ふ、不甲斐ないのです。さっきから、手足にまったく力が入らないのですよー」
『魔力に耐性のない人間であれば、それが普通なのです。できればあまり、屍神の姿は目に入れないほうがいいのです』
「でもでも、ひとりで知らん顔をしているわけにはいきません! また何か、お師匠さんたちの力になれるかもしれませんし!」
フィリアは震える指先で聖剣を握りなおしながら、眼前で繰り広げられている死闘の場を見据えた。
巨大水妖は吸盤のついた触腕を振り回し、それをかいくぐった魔女たちが炎の魔術を叩き込んでいく。それはさきほどの戦いと大きく変わるところもなかったが、巨大水妖のおぞましさによっていっそう悪夢めいた光景となっていた。
そして巨大水妖の攻撃は、ただ触腕を振り回すだけではなかった。その触腕が振るわれるたびに、黒い旋風が巻き起こって、魔女たちを襲うのだ。それは、風に属する屍神の魔力であった。
その威力は、屍神の眷族の比ではない。魔女たちが回避した黒き旋風は、壁や足もとの水晶を乾酪のように斬り裂いて、七色のきらめきを飛散させた。
「……南の魔女よ! あの馬鹿げた大地の魔術を発動させてみよ!」
と、黒い稲妻のように広場を駆け巡るジェラの背で、魔女エマがそのようにわめきたてた。
空中から炎の攻撃を仕掛けていた魔女ドルガは、「ああん?」と反問する。
「このくそったれは、屍神そのものなんだぞ? さっきの眷族野郎ならまだしも、風に属する屍神野郎に大地の魔術なんざ通用するかよ!」
「しかし、依り代たる巨大水妖は、水に属する存在じゃ! 邪神といえども依り代にすがって顕現しておるならば、その肉体の影響からは逃れられまい!」
「……ああ、そうかよ! だったらとびっきりの魔術をくらわせてやるから、10を数える間だけでも、手前らが囮になりやがれ!」
そんなわめき声とともに、魔女ドルガを運ぶカーラの姿が後方に下がった。
そうして広場の左手の隅に舞い降りるや、魔女ドルガは右足の鉤爪を水晶の地面に突きたてる。
そちらに放たれた黒き旋風は、魔女エマが炎の壁によって弾き返した。
いっぽう魔女ラクーシャは空中で螺旋を描きながら、屍神の背後に回り込む。
足もとの魔女エマもジェラを左右に走らせて、怒れる屍神を攪乱した。
「そら、とっくに10は数え終わったぞ!」
「うるせーな! 急かすんじゃねーよ、早漏野郎!」
魔女ドルガを中心に、水晶の地面に黄金色の輝きが走り抜けた。
次の瞬間、水晶の広場が激しく鳴動する。まだ足もとの覚束ないフィリアは、ロムロムの甲羅に取りすがることになった。
めきめきと、水晶の地面が盛り上がっていく。
そこに現出したのは――これまでは腕しか見せたことのなかった、大地の巨人の上半身であった。
巨大水妖にも劣らぬ巨大さである。
もしも下半身まで現出していたなら、巨大水妖をも凌駕していたことだろう。
水晶の巨人は物凄まじい咆哮とともに、両腕をのばして巨大水妖の巨体を抱きすくめた。
巨大水妖は、狂ったように触腕を振り回している。
「へえ、思いの外、効いてるみたいじゃねーか!」
「よし! 東の魔女よ、今の内に魔力を練りあげるのじゃ!」
「了解です。依り代、打ち砕けば、屍神、闇に返るでしょう」
魔女エマと魔女ラクーシャは屍神から距離を取り、それぞれ何かを念じ始めた。
その間も、大地の巨人に捕獲された屍神は死に物狂いでもがいている。その触腕が打ちつけられるたびに、水晶の壁や地面は粉々に砕け散った。
「す、すごいですー! これなら、相手が邪神だって――」
と、フィリアがつぶやきかけたとき――青白いきらめきが、頭上から降り注いできた。
その閃光に翼を破られた魔女ラクーシャが、きりもみをしながら地面に落ちる。
魔女エマとジェラがたたずんでいた場所からも、ぱっと赤い血飛沫が舞った。
そして、魔女ドルガとカーラである。
いつでも飛びたてるようにと魔女ドルガの肩をつかんだままであったカーラも、全身を引き裂かれて地面に落ちていた。
「なんだよ、こりゃあ……くそったれが……」
魔女ドルガは、がくりと膝をついた。
その右胸に、青白く輝く氷柱が貫通している。
魔女たちに降り注がれたのは、青白く輝く鋭利な氷柱であったのだ。
「大地の魔術の申し子であるあなたは、私の天敵ですからね。念入りに痛めつけさせていただいたわ」
氷のように冷たい声とともに、青白い人影が頭上より舞い降りた。
場所は、魔女ドルガの眼前である。
魔女ドルガはごぼっと血の塊を吐いてから、青く燃える左目でその人影を見上げた。
「そういうことかよ……本当の黒幕は手前だったってことだな、北の魔女野郎……」
「ええ、そうよ。ネロが正体を明かした時点で、それぐらいは予測するべきだったわね」
その女――北の魔女たるリリアナは、唇を吊り上げて微笑んだ。
老木のように干からびていたその肉体には、あふれんばかりの若さと生命力が蘇っていた。




