7 妖魅の刻限
2020.10/15 更新分 1/1
「もうすぐ、日が暮れますねー」
巨大な岩の上に腰を下ろしたフィリアは、所在なさげに足をぷらぷらと揺らしながら、そのように言いたてた。
人の目のない鉱山の前に移動したために、外套の頭巾を背中にはねのけて、兎の顔をさらしている。その顔を、魔女エマはじろりとねめつけた。
「油断をするでないぞ。我々は、もっとも危険な役割を担っておるのじゃからな」
「はいはい、もちろんですー。何せ、妖魅の首魁がこの中で眠っているというお話なのですからねー」
その場に待機しているのは、魔女エマ、ジェラ、フィリアの3名である。
そして一行の眼前には、岩山に穿たれた坑道の入り口がぽっかりと口を開けていた。
太陽は、すでに西の果てに半分がた沈みかけている。
その姿が完全に隠されたとき、妖魅どもは目を覚ますはずだった。
「でもでも、妖魅の首魁が姿を現すかどうかはわからない、というお話なのですよね?」
「うむ。昨晩も、木っ端妖魅どもをあるていど駆逐するまで、首魁たる邪神の眷族めは現れなかったという話じゃからな。すべては東の魔女たちの加減ひとつじゃろう」
魔女ラクーシャ、ロムロム、カーラの3名は、町のほうで待機している。小物の妖魅は地の底から湧いてくるという話であったので、それを撃退する役目を担っているのだ。
南の魔女ドルガが町にほどこしていた守護の術式はあちこちがほころんで穴だらけになっていたが、それも魔女エマと魔女ラクーシャが完全に修復した。生半可な妖魅では、その術式を突破できるわけもないのだが――昨晩、魔女ドルガが撤退したことにより、妖魅どもは数十名に及ぶ人間の精気を捕食した。それでどれだけの力を得たかは、推測することも難しかったのだった。
「今宵は、我々も様子見じゃ。呪いに犯された者たちの身をかなう限りは守りつつ、妖魅どもの出方を探る。もしも首魁めが現れたとしても、退治ではなく己の身を守ることを優先する」
「ふむふむ。南の魔女さんが復活される2日後までは、無茶をしないという方針なのですね」
「うむ。その前に我や東の魔女までもが深手を負ってしまったら、生命取りになるかもしれんからの」
そう言って、魔女エマは金色の目を強く光らせた。
「しかし、町の人間どもの精気を吸われては、妖魅どももますます力をつけてしまうし……加減が難しいところじゃな。よくもまあ、こんな厄介な妖魅めを呼び覚ましてくれたものじゃ」
「本当ですねー。愚かなり、石の都の住人! といったところですー」
フィリアは兎の顔で、にぱっと笑った。
魔女エマは溜め息を噛み殺しつつ、その手の杖を振りかざす。
すると虚空から、『封印の匣』が出現した。
「おやおや、ついに封印を解いてしまわれるのですか?」
「うむ。邪神の眷族が出現した後では、そのようないとまもなかろうからな」
魔女エマは『封印の匣』に杖の先端をあてがいながら、『解』の呪文を口にした。
黒ずんだ木材と水晶の板で形成された『封印の匣』が、音をたてて崩落する。立派な鞘に収められた聖剣、『緋の灼炎』が、数日ぶりに外気にさらされた。
「そら、おぬしも縛りの術式を解くがよい」
「よろしいのですか? 邪神の眷族が現れない限り、わたしたちの出番はないのでしょう?」
「現れてからでは、遅すぎるのじゃ。さっさとせい」
「はーい」と岩塊から飛び降りたフィリアは、瓦礫の中から無造作に聖剣を拾い上げた。
フィリアが『解』の呪文を口にすると、柄に巻かれていた色とりどりの紐が弾け散る。
「聖剣の状態を確認せよ。そやつが不浄の力を失っておったら、なんの役にも立たんからな」
「はいはーい」と、フィリアは聖剣を抜き放った。
濡れたように輝く刀身が、黄昏刻の陽光を妖しく反射させる。
魔女エマはきつく眉を寄せ、ジェラは一歩だけ後ずさった。
「あらためて目の当たりにすると……実に禍々しい存在ですね。見ているだけで、背筋が寒くなってしまいます」
「そうですかー。わたしも早く、そういう感覚を覚えたいものですー」
フィリアは跳ねるような足取りで魔女エマたちから遠ざかると、白銀の刀身を虚空に走らせた。
ひゅんひゅんと、風を切る音色が響きわたる。ジェラはぞっとしたように身をすくめ、魔女エマは金色の目を半分だけまぶたに隠した。
「うん。それほど腕はなまってないみたいですねー。以前と同じぐらいには動けるかと思います!」
「うむ。冗談でも、それを我々に向けるのではないぞ?」
「もちろんです! お師匠さんたちを傷つけるぐらいでしたら、わたしは自害いたします!」
にこにこと笑いながら、フィリアは聖剣を鞘に収めた。
「以前は冗談半分でこれを振り上げたりもしましたが、もうそのような真似はしないと誓約いたします!」
「冗談半分で振り上げてたのかい!」
「はいー。だって、お師匠さんの反応が面白かったものですからー。もちろん、武力をちらつかせて弟子入りを認めさせようというのが本懐でしたけれども!」
「重ね重ね、見下げ果てた人間性じゃな」
魔女エマは荒っぽい足取りでフィリアに近づき、その笑顔を傲然と見下ろした。
「何にせよ、おぬしは我と主従の誓約を結んだのじゃ。おぬしが妖魅以外にその剣を振るい、我や同胞を傷つけたとき……その魂は、闇に堕ちることじゃろう」
「ですから、そのような真似をするぐらいでしたら、わたしは自害いたします!」
長い耳を震わせながら、フィリアはそのように宣言した。
「そして付け加えさせていただきますと、わたしはもう自分の生命も軽んじてはおりません! お師匠さんに弟子入りがかなったわたしは、誰よりも強くこの生に執着しているのです! 邪神の眷族だろうと何だろうと、わたしの健やかなる生を邪魔するものは決して許しません!」
「よし」とうなずいてから、魔女エマはフィリアのこめかみを杖で殴打した。
「いたーい! どうして叩くのですかー!」
「その兎面は、見ているだけで腹立たしいのじゃ。他意はないので気にするでない」
「でもでも、この姿はわたしの本質を表しているのでしょう? だったら、お師匠さんはわたしの本質を腹立たしく思っているということになりませんかー?」
「言い得て妙じゃな。おぬしほど腹立たしい人間を、我は他に知らん」
そう言って、魔女エマは杖を振り上げた。
同時に、いくつもの赤い鬼火が、一行の周囲を取り囲む。
「ともあれ、日は没した。各自、妖魅に備えるのじゃ」
ジェラは懐から、赤い石の埋め込まれた鎚鉾を取り出した。
フィリアは「うわあ」と兎の瞳を輝かせる。
「それは屍鬼の町でも大活躍した魔道具ですね! 今回も火の魔術で撃退するのですかー?」
「はい。蟲神は風に属する存在であるため、もっとも有効なのは火の魔術となります」
「ふむむ? それは石の都にも伝わる、火、水、風、土の属性についてのお話でありましょうか?」
「はい。水は火に強く、火は風に強く、風は土に強く、土は水に強い。それは元来、魔術と精霊の理となります」
「なーるほど! ではでは、精霊王さんの森を脅かしていた樹木の妖魅なんかは、土の属性であったわけですねー!」
そう言って、フィリアは魔女エマを振り返った。
「それでもって、お師匠さんは火の魔術が得意であられるのですよね。今日は周囲も火事の恐れがない岩山ですし、燃やし放題ですねー!」
「ふん。南の魔女めがこたびの妖魅に後れを取ったのも、そういった属性が関わっておるのやもしれんな。あやつは土の魔術、大地の魔術を得意とする魔女であったのじゃ」
「ふーむふむ! そういった方角に関しても、石の都と同一なのですねー! 西の王国は火神、南の王国は大地神、東の王国は風神、北の王国は氷神を崇めておりますものね! それじゃあ東の魔女さんは、風の魔術を得意にしておられるわけですかー!」
「じゃから、順番が逆じゃと言うておろうが。魔術の時代から、東の一族は風の一族と呼ばれており、東の領土に住まっておった。その末裔の一部が、風神なんぞを崇める東の王国を建立した、ということじゃ」
周囲に鋭く視線を巡らせていた魔女エマは、うろんげな目でフィリアを見下ろした。
「で、おぬしはどうしてそのように腹立たしい笑顔を振りまいておるのじゃ?」
「いえいえ! それならお師匠さんは、もともと西の領土に住まう火の一族の末裔なのだなーという喜びを噛みしめていたのです! それってつまり、わたしと祖先を同じくしている、ということなのでしょう?」
「祖先も何も、まだ我々が袂を分かつてから100年ていどしか経ってはおらんではないか」
「ではでは、それだけ血が近いということですねー! あーあ、どうしてわたしの曾祖父様か何かは、魔術を捨てて石の都などを築いてしまったのでしょう! 魔術師の聖域というものに引きこもって、この世界に魔力が蘇るのを待てばよかったのに!」
「……この世に魔力が蘇るには、数百年もの歳月がかかる。その日を待とうと考えるほうが、よほどの物好きであるのじゃろうよ」
そう言って、魔女エマは険しく眉をひそめた。
「そして、いまはそのような話を論じ合っておる場合ではない。妖魅に備えよと言うたのが聞こえんかったのか?」
「でもでも、なんの気配も感じられないですからねー。やっぱり邪神の眷族とやらはお目覚めになられないのではないでしょうかー?」
『いえ。万事、備えていただきたい、思います』
フィリアは、びっくりまなこで背後の岩塊を振り返ることになった。
「あー! もしかしたら、東の魔女さんですかー?」
『はい。使い魔、失礼します』
岩陰に、黒い鱗をした1匹の蜥蜴が潜んでいた。
手の平に乗るぐらいの大きさであるが、その小さな黒瞳は確かな知性を示している。
『こちら、妖魅、出現しました。その数、膨大です。南の従者、驚いています』
「ふむ。想定以上の木っ端妖魅が現れた、ということかの」
『はい。昨晩、南の魔女、撤退した後、魔力、補給したのでしょう。我々、全力、出さざるを得ません』
「では、それに腹を立てた邪神の眷族めが、今宵も姿を現す公算が高い、ということじゃな」
魔女エマは、ふてぶてしく唇を吊り上げた。
「まあ、邪神の眷族めがのこのこと姿を現すようであれば、手足の1本ぐらいはもいでやろうぞ」
『西の魔女、短慮、おつつしみください。今日、あくまで、様子見です』
「じゃから、様子見ついでに痛めつけてやろうという話じゃ。まずは、木っ端どもからな」
そのように言い捨てるなり、魔女エマが左腕を振り払った。
真紅のきらめきが宙に舞い、それが紅蓮の炎と変じて大地を舐める。
大地から湧き出した黒い影が、塵と化して消滅した。
「我らの存在に気づいたようじゃな。おぬしら、妖魅の餌になりたくなければ、迎撃せい」
「はいはーい。いきなりの登場でしたねー」
フィリアは聖剣を抜き、ジェラは鎚鉾をかまえた。
鬼火に照らされる大地から、再び無数の黒い影が浮かびあがる。
それはおぞましい、蟲のごとき妖魅であった。
細長い体躯にうじゃうじゃと足を生やした、蜈蚣のごとき姿である。
大きさや太さは人間の腕ぐらいもあり、妖魅としては小ぶりであるが、蟲としては巨大であろう。全身が闇を凝り固めたかのように漆黒であり、頭部には青白い眼光が燃えていた。
「うひゃー。けっこうな数ですねー」
魔女エマの生み出した鬼火の光が届かぬ暗がりにも、青い眼光が陰火のように燃えている。一行は、完全に包囲されているようだった。
「吹けば飛ぶような木っ端妖魅じゃが、決して油断するのではないぞ。こやつらに噛まれれば毒が回り、首から上に肉の果実を実らせることになるじゃろう」
「それはさすがに、勘弁願いたいですねー」
フィリアがそのようにつぶやいたとき、背後の暗がりから妖魅の1匹が飛来した。
フィリアは「おっと」と聖剣を旋回させる。
文字通り、妖魅は粉々に砕け散った。
「確かに、脆いみたいですー。だけどこの数は厄介ですねー」
「ふん。おぬしたちは、自分の身を守ることに専念せよ。このような木っ端どもは、ひと息で片付けてくれるわ」
外套の内側に指先を差し入れた魔女エマは、再びその手を振り払った。
そうして赤いきらめきが宙に舞うや、今度は右手の杖を振りかざす。
はらはらと舞い落ちようとしていた真紅の飛沫は空中で渦を巻き、炎の竜と化す。炎の竜はうなりをあげて、大地に湧き出た妖魅どもを片っ端から喰らい尽くしていった。
『お見事です。火の魔術、西の魔女、かないません』
と、いつの間にやらフィリアの肩に這いのぼっていた使い魔の蜥蜴が、感情のない声でつぶやいた。
炎の隙間をくぐって飛びかかってきた妖魅を聖剣で斬り伏せつつ、フィリアは「あはは」と笑う。
「お師匠さん、なんだか活き活きしてますー。そちらは大丈夫でありますかー?」
『はい。ですが、守護の術式、軋んでいます。早急、抹殺せねば、多くの人命、失われるでしょう』
「どうぞお気をつけくださいねー! 人命も大事でしょうが、まずはご自分の安全を第一に!」
使い魔と会話をしながら、フィリアは次々と妖魅を斬り伏せていった。
少し離れた場所では、ジェラも火の魔術で応戦している。魔女エマの魔術に比べればささやかなものであるが、それでもこのていどの妖魅を退けるのに不自由はないようだった。
しかしどれだけの妖魅を退けても、大地からは際限なく妖魅が湧いてくる。
それがようやく一掃されたのは、四半刻ばかりも過ぎたのちのことだった。
「ふう。ようやく片付いたようですねー」
「うむ。木っ端妖魅はな」
魔女エマは、金色に燃える目を坑道の入り口に差し向けた。
岩盤にぽっかりと空いた深淵の向こうに、巨大な青い眼光が燃えている。
「もう1度言っておく。おぬしたちは、おのれの身を守ることに専念するのじゃぞ。南の魔女のような姿になりたくなければな」
魔女エマの声に、金属的な響きを持つ咆哮が重なる。
深淵の向こうから、恐るべき妖魅がゆっくりと這い出してきた。




