2 精霊の森
2020.10/4 更新分 1/1
朝の食事を終えた後、魔女エマの一行は精霊王のもとへと出立することになった。
まずは魔女エマの生みだした光の門をくぐって、家の外に出る。
そこに待ち受けていたのは、深い森――ただし、寒々とした《針の森》ではなく、鮮やかな色彩で構成された南方の森であった。
「うわあ、ずいぶん温かいですねー! 外套なんて、いらなかったんじゃないですかー?」
「やかましいわい。同胞の家を訪れる際は、外套を纏うのが礼儀じゃと言うたろうが? この地は精霊王の家のようなものであるのじゃから、文句を抜かすな」
「文句じゃないですよー。ただの軽口です!」
「なおさら、やかましいわい!」
一行は、森の中に足を踏み出した。
頭上にかぶさる枝葉の隙間から、明るい木漏れ日が差している。それに照らし出されるのは、南国の森の様相であった。
足もとの茂みも樹木の葉も、深みのある緑色に艶々と輝いている。ときおり目に触れる花も鮮やかな色合いで、そこには隅々にまで生命の息吹が満ちていた。
耳を澄ませば、遠くで鳥が鳴いているのがわかる。
ときどきガサリと茂みが揺れるのは、この森に生きる獣たちであろう。
森を進めば進むほどに、緑はいっそう深くなり、生命の気配も濃くなっていくようだ。
うねうねと曲がる獣道を進みながら、フィリアは「ふいー」と息をついた。
「ただ暑いっていうだけじゃなく、なんか、圧倒されちゃいますねー。四方八方から、森にのしかかられてるような気分です!」
「ふん。この地は、精霊の領土じゃからの。石の都の住人には、居心地が悪かろう」
「でもでも、わたしは石の都を捨てた身でありますからね! 決して弱音を吐いているわけではありません!」
先頭を歩く魔女エマの横顔を覗き込みながら、フィリアはにこりと微笑んだ。
「これがこれからのわたしが生きていく世界なんだなーと、力いっぱい喜びを噛みしめている次第であります! この地には、精霊さんたちもわんさか住まっておられるのですよね?」
「当たり前じゃ。これだけ魔力が満ちあふれておるのじゃからな」
「ではでは、お師匠さんも魔術を使い放題ということですか?」
「うむ。この地であれば、秘薬や魔道具の力もほとんど不要であるぐらいじゃろう。ただし、魔術を行使する用事もないがな」
「ふむふむ? でも、こういう地には妖魅もわきやすいのではないですか? 精霊さんと妖魅の力の根源は、同一のものであるのでしょう?」
「馬鹿を抜かせ。清浄なる地に、妖魅がわくことはない。そうじゃからこそ、この地は精霊王の住処と定められたのじゃ」
そう言って、魔女エマは森へと視線を巡らせた。
「まあ……それでもあと数十年もすれば、この地からも精霊の力は失われて、石の都の文明に呑み込まれてしまうのじゃろうがな」
「数十年ですか! ではでは、魔術の世界もあと数十年は続くということですね?」
瞳を輝かせるフィリアを、魔女エマはじろりとねめつける。
「それはあくまで、見込みに過ぎん。大地の魔力が枯渇するにつれ、運命を読み解く魔術の力も弱まってしまうのじゃ。世界の行く末を正しく読み解くことなど、もはや誰にもかなわぬじゃろうよ」
「なるほど、興味深いです! ……でもでも、何が起きるかわからないほうが楽しいなーとかいう感想は、魔術の世界に生きる人間として、つつしむべきでしょうか?」
「うむ、つつしむべきじゃな」
「それでは、つつしませていただきます!」
フィリアが、元気に声をあげる。それと同時に足を止めた魔女エマは、「止まれ」とフィリアの頭を杖で殴打した。
「いたーい! 叩かなくても、止まりますよー!」
「細かいことは気にするでない。どうやら、出迎えが来おったようじゃ」
3人は、森の只中で立ち尽くした。
やがて前方から、茂みを鳴らして小さな人影が現れる。
「……精霊王の領土にようこそ、《針の森の魔女》」
「うむ。出迎えご苦労じゃな」
それは、少年とも少女ともつかない不思議な存在であった。
フィリアよりもわずかに小柄で、フィリアよりも幼く見える。色が白くて、ほっそりしており、どことなくはかなげな雰囲気の幼子である。
このような森の中であるというのに、白い長衣ひとつの姿で、足には靴すら履いていない。そして、肩までのびたやわらかそうな髪は透き通るような水色をしており、ぼんやりと瞬く瞳はごく淡い灰色であった。
「こやつは、精霊王に仕える精霊じゃ」
魔女エマの言葉に、フィリアは「えー!」と雄叫びをあげた。
「精霊さんって、こんな人間そのままのお姿をしているのですか? それに、どうして精霊さんのお姿がわたしに見えるのです?」
「人間の言葉で対話するには、精霊の側が人間の形を取る必要があるのじゃ。このような真似のできる精霊は、ごく稀じゃがな」
「へー! へー!! すごいですねー! それじゃあ御伽噺とかに登場する精霊さんが人間の姿をしているのも、まんざら作り話ではなかったのですねー!」
興奮しきった面持ちで述べながら、フィリアは精霊のもとに駆け寄った。
ぼんやりと立ち尽くす精霊の顔をまじまじと見つめ、それから背中のほうを覗き込む。
「ふむふむ! 透明の羽が生えたりはしていないのですね! 御伽噺なんかでは、たいてい羽が生えているものなのですけれども!」
「はい。羽はありません」
「でもでも、人間にはありえない綺麗な髪の色です! 水色の髪なんて、素敵ですねー! まるで、花か何かみたいです!」
そんな風に言ってから、フィリアは「ありり?」と小首を傾げた。
そうして精霊の水色をした髪に鼻を近づけると、「ほわあ!」とおかしな声をあげる。
「色だけじゃなく、花みたいな香りがします! これは、あれですよね! ニケアの花の香りですよね!」
「はい。わたしはニケアの花を触媒として、人間の姿を取っています」
「やっぱりー! それじゃあ精霊さんは、ニケアの花の精霊さんということですね! うーん、ますます御伽噺みたいな展開になってまいりましたー!」
黙ってこのやりとりを見守っていた魔女エマは深々と溜め息をついてから、フィリアの頭を再び杖で殴打した。
「えーん、痛いですー! お師匠さん、ひどいですよー!」
「ひどいのは、おぬしの立ち居振る舞いじゃ! 相手は、精霊王の使いなのじゃぞ!」
杖の先端部でフィリアを押しのけてから、魔女エマはうろんげに精霊を見やった。
「それにしても、わざわざ出迎えとは親切なことじゃな。そのような手間をかけずとも、我らが道に迷うことはないぞ?」
「はい。わたくしは、精霊王のお言葉を伝えに参ったのです」
そよそよと流れる風のような声で、精霊はそう言った。
「精霊の友たる《針の森の魔女》に、頼みたき儀がございます。この森を穢そうとする瘴気を打ち払ってはいただけませんでしょうか?」
「なに? 精霊王の領土が、瘴気に犯されておるというのか?」
「はい。数日前に噴出した瘴気に、すでに森の一部が喰らわれてしまいました」
魔女エマは、険しく眉をひそめることになった。
「じゃったら、何をのんびりかまえておるのじゃ。《火の山の魔女》めに使いを出せば済む話じゃろうが?」
「《火の山の魔女》は、何か強力な妖魅の討伐に出向いているようで、ずっと家に戻っていないのです。我々としても、別なる魔女がこの地を訪れてくれるのを待つ他ありませんでした」
「いざというときに、役に立たんやつじゃな。……よい、とっとと案内せい。そんな瘴気は、我が綺麗さっぱり浄化してくれようぞ」
「ありがとうございます。では、こちらに」
精霊はふわりと身をひるがえして、茂みの中に足を踏み入れた。
そうして一行は、精霊王の拝謁を賜る前に、妖魅退治へと繰り出すことに相成ってしまったのだった。




