2 魔女の厨房
2020.9/16 更新分 1/1
フィリアとジェラは魔女エマの眠る部屋を通り抜けて、厨房に移動した。
フィリアがこの場に足を踏み入れるのは、初めてのことである。フィリアは「うわあ」と瞳を輝かせながら、厨房の様子を見回した。
「なんだか、すごく原始的ですね! 事前に説明されていなければ、厨房だなんて思えないほどですー!」
「……それは、侮蔑の言葉として受け止めるべきでしょうか?」
「とんでもありません! 心からの賛辞ですー!」
ジェラはフィリアの笑顔を横目でねめつけつつ、調理の準備に取りかかった。
その間も、フィリアはきょろきょろと周囲を見回している。
基本的には他の部屋と大差のない、木造りの部屋である。ただ、壁には干した山菜や香草などが吊るされており、棚にはさまざまな食器が詰め込まれている。そして、部屋の奥には何やら奇妙な細工が施されていた。
「あのー、これは何なのでしょうか?」
フィリアが部屋の奥を指し示しながら、そのように問いかけた。
土の地面が剥き出しになった場所に、大きな石が積み上げられている。天辺の石は平たい板のような形状であり、左右の端に積み上げられた大小の石が、それを支えている格好である。
「それは、あなたがたがかまどと呼ぶ道具です」
「やっぱり、かまどでしたか! 石で積み上げるだけなんて、本当に原始的ですねー!」
「……本当に、こちらを侮蔑する意図はないのでしょうか?」
「ありませんよー。魔術の世界においては、鉄や石を加工する文明を忌避しているのでしょう? だったら、原始的なのが当然じゃないですかー」
そんな風に答えてから、フィリアは棚に並ぶ食器を覗き込んだ。
「でもでも、昨日からちょっと不思議に思っていたのですよね! 木皿をこういう形に仕上げるには、鉄の道具が必要になるのではないですかー?」
「それは、木皿ではありません。ヌプコフという樹木の実の殻です」
「えっ! それじゃあこれは、最初からこういう形をしていたのですか?」
「楕円形の殻を、ふたつに断ち割ったものですね。ヌプコフの実の殻は熱に強いので、間に石をはさめば火にかけることも可能です」
そのように答えながら、ジェラは選別した食材を卓の上に広げた。
そして、どこからともなく黒い小刀を取り出すと、それで山菜を切り分けていく。それは鋭く磨き抜かれた石片であり、手でつかむ部分には蔓草が巻かれていた。
「ふむふむ。刀そのものが忌避されているわけではないのですね。あくまで、鉄がいけないのですか」
「鉄ではなく、鋼です。鉄とて木や石と変わらぬ自然の恩恵であるのですから、それを忌避する理由はないでしょう。しかし、それを鋼として鍛えれば、自然の摂理からは逸脱します。私たちは、そうして摂理から外れた存在を不浄のものとして忌避しているのです」
「うーん。けっこう境い目が難しいのですねー。土をこねて壺なんかをこしらえるのは許されても、煉瓦造りの家なんかは許されないのですか? 『石の都の住人』っていう呼び方には、煉瓦造りや石造りの家を忌避する気持ちがあふれかえっていますものね!」
作業の手を進めながら、ジェラは面倒くさげに「ええ」と応じた。
「その境い目こそが、肝要であるのでしょう。自然の存在を恩恵として借り受けるか、それを魔術ならぬ手管で組み替えて己の力とするか。それはつまり、この世の精霊と手を携えるか、精霊をなきものとして振る舞うかの差異であるのです」
「なるほどなるほどー。ちなみに従者さんも、精霊さんの姿が見えたり、声が聞こえたりするのですかー?」
期待に瞳を輝かせながら、フィリアはジェラの顔を覗き込んだ。
溜め息をこらえているような面持ちで、ジェラは再び「ええ」とうなずく。
「ただし私は、魔術師ならぬ身です。精霊の力を借り受けて、魔術を行使することはかないません。精霊の声を聞くことはできても、こちらの声を届けることはかなわないのです」
「ふむふむ。あの『魔女の正餐』というものを毎日食しても、やっぱり駄目なのですねー」
「はい。ただし、あの食事を取りやめたら、精霊の声を聞くことさえ難しくなるでしょう。魔力が枯渇しつつあるこの地においては、精霊そのものが滅ぶ間際にあるのですからね」
「ふーむふむ! それではわたしもあの『魔女の正餐』というものを食べ続けていれば、いずれは精霊の声を聞くことができるのでしょうか?」
ジェラはついにこらえかねた様子で、手を止めた。
「あのですね、お客人。私は魔術師ならぬ身であるのですから、そのように質問を重ねられても満足な答えはお返しできません」
「だって魔女さんは、なかなかそういう話をしてくれないじゃないですかー。従者さんは何でも答えてくれるから、わたしはありがたくてたまらないのです!」
フィリアの無邪気きわまりない笑顔に、ジェラは深々と溜め息をつく。
「エマ様の仰る通り、あなたは本当に厄介な御方であるのですね」
「はい。天真爛漫で申し訳ありません!」
「そういうところが、厄介であるのです!」
ジェラはやけくそのように、残されていた山菜を乱切りにした。
とりわけ大きなヌプコフの殻にそれらを投じ入れると、少し考えてから、何種かの香草を放り込む。しかるのちに、壺から汲み上げた朱色の液体を注ぎ込むと、甘い香りがふわりと広がった。
「いい香りですね! その壺の中身は何なのですか?」
「ヤラマの実を漬け込んだ水です。ヤラマの実は渋くて食するには適さないのですが、水に漬けると滋養がにじみ出てくるのです」
殻の大皿を石板の中央に配置すると、ジェラはかまどの前で身を屈めた。
「火を灯すので、お下がりください」
「はーい。……だけど、まだ薪を準備していないですよ?」
ジェラは答えず、口の中で何かを唱えた。
それと同時に、石板の下に火が灯る。フィリアは「きゃー!」と歓喜の雄叫びをあげた。
「魔術! 魔術じゃないですかー! 魔術は使えないって言ってたのに! 従者さんの嘘つきー!」
「……この場に火の術式を施したのは、エマ様です。私はそれを発動させたに過ぎません」
「へー! へー! すごいなあ! 薪もないのに、火が燃えてるー!」
ジェラの言葉など耳に入っていない様子で、フィリアはかまどの内部を覗き込んでいた。
石板の下には大きな水晶の塊が設置されており、その水晶が赤い炎を灯している。薪を燃やしているわけではないためか、煙の類いは一切存在しなかった。
「……あまり近づかないでください。精霊の機嫌を損ねると、髪を燃やされますよ」
ぶっきらぼうに言いながら、ジェラは新たな壺の蓋を取り去った。
とたんに、えもいわれぬ異臭が厨房に広がって、フィリアを仰天させる。
「今度はすごい臭いですね! それは何なのですかー?」
「これは、ヌプタフから絞った油に漬け込んだ、川魚です。そろそろ食べ頃のはずですので、朝の食事に出そうと思います」
「なるほど、魚の油漬けですかー。わたしの故郷にも、似たような料理はありましたねー」
そう言って、フィリアは口もとをほころばせた。
「正体がわかると、臭みも気にならなくなるものですねー! むしろ、空腹感を刺激されてしまいました!」
「……このような生活がひと月も続くのであれば、食料を集めるためにも余計な時間を割かなくてはなりませんね」
「あ、それならわたしもお手伝いいたしますよー! 魚釣りとか、一度やってみたかったのです!」
ジェラは無言で、油漬けの魚を小皿に取り分けた。
その間に、大皿のほうはぐつぐつと煮立ち始めている。甘い香りに山菜と香草の香りが入り混じり、そちらもまたなかなかの芳しさであった。
「あー、なんだか幸せですねー。こんなに満ち足りた気持ちになれたのは、母様を亡くしてから初めてですよー」
「……それはあまりに、母親の尊厳を踏みにじるお言葉ではないでしょうか?」
「え? どうしてです―?」
「エマ様は魔女であり、私はその従者であるのです。石の都の住人にとっては、忌むべき異端の存在です。何よりも重んずるべき家族への情愛と、横に並べるべき存在ではないはずでしょう」
「なるほどなるほどー。でも、自分の気持ちに嘘はつけないですからねー!」
満面に笑みをたたえつつ、フィリアはそのように言いたてた。
「母様も天で溜め息をついているかもしれませんが、きっと許してくださると思います! わたしだって、相手が母様であったら、どのようなことでも許してしまいますからねー!」
ジェラは困惑したように眉をひそめながら、フィリアの笑顔を見返した。
ジェラの長身を見上げながら、フィリアはいっそうにこやかに目を細める。
「それに、もしも母様がこの様子を目にされていたら、納得してくれたと思います! 従者さんみたいに親切で優しいお人であれば、きっと母様もお気に召していたはずですからねー!」
微笑を浮かべかけたジェラは、慌てた様子で表情を引き締めた。
「そ、そのような甘言で、私は懐柔されたりしませんからね! さあ、煮汁の様子を確かめるので、そこをおどきください!」
「えー? だけど本当のことですよー? こんなに綺麗でこんなに優しいお人なんて、そうそういませんからねー」
「か、懐柔されませんってば!」
調理中も着込んでいた毛皮の外套の下で、ジェラは肢体をくねらせた。
家の主人が眠りを貪っている間、従者と客人の間ではわずかずつ絆が育まれているようだった。




