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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『脱香 なぜ彼らは香川県を捨てたのか』 冬文社NF文庫

作者: タサオカ

※この物語はフィクションであり、登場する地名、自治体、人物、団体、条例、出来事などは実在のものとは一切関係がありません。似ていたとしても何ら政治的主張を持たないものです。

『脱香 なぜ彼らは香川県を捨てたのか』

 冬文社NF文庫、第1弾!

 2020年、全ては香川県議会が可決した対ゲーム・ネット依存条例から始まった!

 今やもう一つの日本となった香川県にかつて住んでいた人々。

 元香川県民、いわゆる脱香者たちの声にフォーカスを当て、彼らの実態に迫る。

 そこから明かされる香川県の過去、真実とは。


 まえがき

 2040年現在、香川県は複雑な経緯を経てもう一つの日本として、今も四国に存在している。

 香川の人々はどのように考え、生活し、昨今に至るまでを過ごしてきたのか。

 同じ国に居たはずなのに香川県民の生の声というものは、中々聞こえてこない。

 香川県におけるノーメディア運動の激化によって県民たちの通信は制限されているのも大きい。

 珍しい旅行者や公式報道からもたらされる情報はあくまで限定的なものでしかない。

 香川県から脱出してきた人々、俗に言う脱香者たちの口が重いのも理由の一つだ。

 一般的な人々は、どのような生活をしていたのか。

 香川県の門戸は出版社であると未だに固く、困難だった。

 次善として脱香者たちに対するインタビューを我々は開始した。

 最初の条例可決から20年後、2040年の現在においてもなお、脱香者たちの口は重い。

 しかし冬文社編集部の熱意が通じたのか何名もインタビューに応じてくれた。

 コレほどの脱香者のインタビューを集めた本は初めての事だ。

 彼らの過去、現在の声、香川県が日本であった頃の記憶に。

 読者の皆様は耳を傾けていただきたい。


 まえがき

 目次

 1 脱香者たち 

 Aさん(36)の場合 009p

 Bさん(19)の場合 029p

 C、Dさん夫婦の場合 053p

 Eさん(49)の場合 084p


 2 現在の香川、秘密通信の夜

 Fさん(28)の場合 112p

 Gさん(25)の場合 149p


 3 自由香川党

 党員Hさん(51)の場合 195p

 党員Iさん(63)の場合 232p


 4 香川はどこへ向かうのか

 国の対応 253p

 ゲーム脳という虚影 285p

 ノーメディア運動とは何だったのか 311p


 あとがき 345p



 1 脱香者たち

 Aさん(36)の場合


「2020年の規制が、すべての始まりだったと思います」


 語り始めてくれたのは元香川県民、いわゆる脱香者であるAさんだ。

 現在は某県で配送ドライバーを務めている長身の青年である。

 見た目はどこにでもいそうな、肌の焼けた青年だった。

 だが彼は香川県議会によって対依存条例が厳罰化された2025年。

 香川県から父親とともに脱出した人々の内の一人だ。

 システムエンジニアの父を持っていたAさんは子供時代からゲームとインターネットが好きだった。

 だが条例が可決されてからは、それらを公にできなくなったそうだ。


「バレるといじめられるんですよ、同級生ではなく……先生から」


 苦々しげな笑顔を見せるAさんだったが、その瞳は我々の目には暗く写った。

 忘れられない光景があるという、浄化運動という行事だ。

 学校の校庭において家庭から回収させたゲーム機がを、生徒らに破壊させていたというのだ。

 校庭に全生徒が集まり、教師が音頭を取って一人ひとりにゲームハードに金槌を振り下ろさせたという。

 ノーメディア運動の過激化に伴い、学校の授業において取り入れられた他にも教育は凄まじいものがあった。


「放課後になるとゲームが好きだったことがバレていた僕はよく一人だけ立たされていました、先生からはゲームをやっているとこんな奴になると言われ続けて、処刑台に立たされたような気分を味わいましたよ」


 法案の可決からAさんが卒業するまでの数年間それは断続的に行われたと答えている。

 なお現在の香川県公式発表においてそのような教育は行っていないという。

 あくまで生徒たちが自主的にゲーム機を回収し破壊したというのだ。


 Aさん親子が香川脱出を決意する25年には規制条例の厳罰化がほぼ確定となっていた。

 ノーメディア運動に反する職業だったAさんの父親もその影響を免れなかったという。


「父が突然解雇を言い渡されまして、とても生活ができなくなっていきました、ゴミ出しすらできなくなっていきました、ある日唐突にここのゴミステーションは使わないでくれと言われたんです、父は町内会費を必ず払っていたはずなのに」


 一日の食事が冷凍うどん2食だけという日も珍しくなく、近所からの迫害も加わった。

 父子が脱出を決意するのに時間はそう掛からなかった。




 Eさん(49)の場合


 場所はあるネット喫茶のバックヤードだった。


「正直あの時は稼がしてもらいましたがねェ……」


 Eさんは現在東京都で某有名ネット喫茶チェーンを経営している49歳の男性だ。

 インタビューをするならぜひ自店舗ということで快く応じてくれた。

 彼は2027年に今まで香川県で経営していた闇ネット喫茶を畳み、東京都にネット喫茶を立ち上げたという変わった経歴を持っている。

 今までの脱香者たちと違い、身なりはキッチリとしていて、経済的にかなり豊かであることが伺える。

 Eさんは20年の規制条例可決の煽りを受けて、一旦香川県内で経営していたネット喫茶を廃業した。

 だが、彼はただでは転ばなかった。

 規制上限を超えるネット接続を求める人々に対して、闇ネット喫茶を経営し始めたのだ。


 厳罰化される以前にはこういった闇喫茶と呼ばれる存在が、香川県のそこかしこに存在していたことは周知の事実だ。

 規制されたからと行ってすぐに辞められるものではない。

 そこに目をつけた闇喫茶経営者たちの一人がEさんだったのだ。

 店は繁盛したという、目をつけられないように某香川県市議にまで話を通していたというのだから驚きだ。


「飢えてましたね、みんな、だから僕は場所を提供してあげたんですよ、需要があるとみましたね、県外から最新のソフトを輸入したときなんか大変でした」


 香川県からのゲーム会社の撤退の動きは早く、22年前後には流通するゲームの殆どはこういった闇喫茶で取引されていました。

 カガワショックというゲーム業界における騒動は、こういった影響を及ぼしていた。


 風向きが怪しくなったのは闇ゲーム喫茶が市議会で取り沙汰されてしまった25年からだった。

 ついに、この時香川県内における闇ゲーム・ネット産業は香川県が察知するほど大きくなっていました。

 Eさんにとってはここが分水嶺だったといいます。


「いくつかの店に浄化隊監査が入ったと聞いてこりゃウチもイヨイヨだなと」


 過激化するノーメディア運動によって誕生した浄化隊と呼ばれる集団は、こういった闇ゲーム喫茶を標的とした襲撃を繰り返していました。

 現在、ニュース番組などで香川動乱について取り上げる際、店舗に火炎瓶を投げ込んでいる映像の多くはこういった浄化隊の姿を映したものです。



 2027年、Eさんは浄化隊の監査が入る直前に県外へと脱出しました。

 持っていけない機材、ゲームソフトなどは常連客などに譲り、謝ったそうです。


「ゲームが好きな子どもらが本当に可哀想でね、今日で最後だから、もうゲームは出来ないよというと静かに、ポロポロと泣くんです、困りましたよ、彼らと言えどお客様だから、けど私だってあの時はどうしようもなかった」


 Eさんはその時、店内に続くドアへ薄っすらと潤んだ目を向けていました。


「だから約束したんですよ、大人になったら本州に来いって、今うちで雇ってる子たちには脱香者が多いんです、やっぱりね、みんなゲームとネットが好きなんですよ」


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