『最近思ったこと』
生きていると色々なことがある。私の日々は同年代の他の人と比べれば変化は少ないと思うけれど、それでも毎日少しずつ何かが変わっていっている。それは私の心情とか、移ろいゆく空模様とか、顔を合わせる人とか、私の周囲でおきている状況とか。大したことではないけれど、小さな変化が私にとっては大きなことで。圧倒されそうになるたびに、その意味をゆっくりと時間をかけて噛み砕いて、私は自分の中にしまい込む。塞ぎ込みながらも、私の中ではゆっくりと時間が進んでいる。その中で私は、未整理なことに整理をつけていく。現実の流れは私にとって、とても速く感じる。けれど世界は新鮮さに満ちていて、私はそんな世界が綺麗に感じる。だから私は、生きているのが辛くない。世界は絶えず動いていて、綺麗なものも暗いものも、絶えず生まれては消えていく。
停滞しない、というこの世界の一点にかけて、私はこの世界に意味を見いだしている。それは度々挫けそうになる私にとっての、光だ。雨が降ったって、その雨はずっとは続かないだろう。晴れる日もきっとある。世界は一刻一刻と姿を変える。私は、それを信じている。私は度々塞ぎ込むが、それも永遠には続かない。一つ一つ区切りをつけて、ようやくこの文章を今書いている。それも小さな変化の一つだ。涙を流すのも、たまには悪くはない。人には見せたくないけれど、誰にも見せなければちっぽけな自尊心は守られる。不条理に泣いて、塞ぎ込んで。気持ちが軽くなったら、これからのことを考える。時間を置いてゆったりと心を落ち着けて、好きな音楽を聴いて。温かい飲み物を飲んで、早い時間に布団に入る。朝起きたらしっかりと太陽の光を浴びて、一日を生きる。ちょっとした変化を日常につけてみる。それだけで、何も変わっていないという絶望を絶つことができる。小さな変化が、大きな勇気になる。変わらない、なんてことはない。全ては変わっていく。世界が変わっている以上、人が変われない道理はない。
生きている以上、たくさんのことが起こってくる。一度にたくさんの問題が襲ってきて、どれから対処したらいいのかわからない。もう死んだほうが楽なんじゃないか、なんて思うこともある。けれど死んでしまったら、悔しくないか。なんで自分が死なないといけないんだ。そう思わないだろうか。私は、悔しい。悔しいから、生きている。生き続ける。そして絶対に、雨の後に差し込む太陽の光を見る。悔しいから生きている、なんて書いたがちょっと違うかもしれない。それもあるけれど、私は信じているから生きている。この世界が停滞していないと信じているから、状況は変化次第で変わると信じているから、私を取り巻く状況も、私の努力次第で小さな変化を与えて、変えていけると信じているからだ。だから諦めるには何もかも早すぎる。止まっているように見えても、世界はずっと変わっていっている。だからこの世界を見限るのは、自分の人生を見限るのは、その時点で全てを判断するのは、あまりにも早すぎる。もうちょっと生きてみてもいいじゃないか。全てを見てからでも、判断するのは遅くない。判断しなくても、変わるのに遅すぎるということはない。停滞感を感じているなら、何も変わらず苦しい思いをずっとしているなら、小さいことから変えてみよう。最初から大きなことを変えるのは難しくても、小さなことなら変えられる。小さなことでも変われば、それは大きなことなのだ。閉塞感に満ちた日常に、新しい風が吹き込んだのと同義なのだから。小さな変化をたくさん取り入れていけば、それはいつか大きな変化として人生も変えていくだろう。私は、この世界で変わらないことなんてないと信じている。実際、世界は一日たりとも同じ世界を私に見せてくれない。私はそれを苛立たしくも、それ以上に愛しく感じている。だから人も悲嘆に暮れる必要はない。世界が変わっていく存在である以上、人も変わらざるをえない。もし神様がいるのなら、私はそれこそ神様が我々人類に与えた奇蹟であるように思う。だから私は自分のことも、この世界のことも最後まで諦めたくない。
読んでくださり、ありがとうございました!辛くなったら、まったりyoutubeで猫動画でも見てみましょう。子猫、かわいいですよ。あと上北健さんの『笑って咲いて』という曲も、私は結構好きです。感情の熱が伝わってきて、良い感じです!笑 これから寒くなってきますが、体調を崩されないよう暖かくなさってくださいね...。ではまた次の文章でお会いしましょう!