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商人撃退

 次の日の朝、早起きしたラットンは自前で用意した宿泊用の馬車から出てくると、まだ薄闇に包まれた村を一望して心の中で呟いた。


(鎮守の森の奥地に本当に村があったことも驚きだったが、まさか何もないように見えるこの村が宝の山だったとは。ビクトール商会め、よくも今まで目立たずに商売できていたものだ。まあそれももう終わりだがな。これからは私の時代がやってくるのだ!)


 声を押し殺しながら一人ほくそ笑むラットンだったが、気を取り直して表情を引き締めた。


(いかんいかん、もう勝ちは揺るがないとはいえ、事が成就していない内からこのように油断するのは私の悪い癖だ。それに街に帰ってからもひと仕事待っているのだから、さっさとこんな野蛮な地はおさらばしなければ。もし今日もあの村長が首を縦に振らなければ多少強引な手で行くとするか。なあに、奴らが後で役人に訴えたところですでに根回しは終わっている頃だからどうとでもなる)


 今度は表情に出さずに心の中で笑うラットンだったが、これまでとこれからの綱渡りの計画に焦りも同時に感じていた。

 元々お世辞にも商人としての才覚に恵まれているわけではないラットンが曲がりなりにも商会を構えてこられたのは、昔から繋がりのある傭兵団を使って様々な悪事に手を染めてきたことと然るべき所に賄賂を渡して事件として扱われる前に揉み消してきたからである。

 そのおかげでラットン商会は異例の急成長を遂げて中央貴族に繋がる伝手も手に入れることもできたのだが、同時に同業者や役所から目を付けられることも増えてその度に貴族に渡す賄賂の額が雪だるま式に増大して経営を圧迫していた。

 そして賄賂の額が商会の儲けを食いつぶすまでにラットンが追い詰められた頃、王都の片隅でひっそりと店を構えるビクトール商会の奇妙な噂を懇意にしている情報屋から仕入れたのである。

 情報屋曰く、商人の間でも噂に上ることのないビクトール商会だが、店の造作は高級材木をふんだんに使った最高級の建築物になっており、それとなく配置された美術品も知る人ぞ知る芸術家たちの作品で占められているとか。それでいてほとんど客が訪れる気配のないビクトール商会が王都に店を構えていられる理由は、ある極秘ルートで王宮御用達の高価な薬草を大量に仕入れて直接王宮に納めているかららしい、と自慢げに情報屋は語った。


 その極秘ルートが鎮守の森のセイラン村だという情報を情報屋から裏の世界でもあり得ないほどの額で買い取ったラットンはすぐさま行動を開始した。

 いつも悪事のもみ消しを依頼する中央貴族に対していつもの5倍の賄賂の後払いを条件にセイラン村の薬草を一手に扱う権利を内諾してもらうと同時に、馴染みの傭兵団に声を掛けてセイラン村までの護衛を依頼した。もちろん彼らの仕事は護衛以外にもセイラン村での交渉(少なくともラットンはそう思っている)が決裂した際にはそのまま盗賊に早変わりすることも含まれている。その時に発生するだろう獣人の奴隷を傭兵団の報酬に含むことで総勢30人の傭兵を雇うことにも成功した。

 そして傭兵団とは別にラットン自身の護衛として雇ったフリーランスの傭兵のスフルスは王都の傭兵の中でも五指に入る実力者で、ラットンの商売敵を何度も闇討ちにしておりラットンが絶対の信頼を寄せる男だ。それなりに裏の情報に通じているラットンでもセイラン村のことをほとんど調べられなかったが、スフルスさえいれば村を制圧することなど容易いと確信していた。


(ここに来るまでに資産の半分を使ってしまった以上、手ぶらで町へ帰れば待っているのは死より悲惨な結末だ。何としても今日中に片を付けなければ)


「ラットンもう起きたのか、早いな」


「っ!?なんだ、お前か。いきなり声を掛ける奴があるか」


 そう前方から声を掛けてきたのは今まさに心の中で考えていた男、スフルスだった。


(こいつのどこでも気配を消そうとする癖はいつまでたっても馴れんな。だが目の前に立たれるまで相手に気づかせないほどの足運びだけでこの男の力量が素人の私にも察せられるというものだ。契約の条件の中に雇い無私との対等な口利きを入れてくるような変わり者だが、それを許すだけの価値がスフルスにはある)


「ついてこい、まずは馬車の荷のチェックだ」


 スフルスを背後に従わせて意気揚々と歩き始めたラットンだったが、村の広場に停めてあった荷馬車に着くなり早くも出鼻をくじかれることになる。商人にとっては命の次に大事な荷馬車を夜警を担当していた4人の傭兵が全員眠りこけていたのだ。


「な、何だこれは!?お前たち何をしている!!さっさと起きんか!!」


「痛っ、何しやがんだ!?・・・って、ラ、ラットンの旦那!?」


 激怒したラットンに頭を蹴られた傭兵が怒鳴りながら起き上がってきたが、相手が自分たちの雇い主と知って一気に顔色を悪化させる。


「よりにもよって大事な商談の最中に荷馬車の護衛が居眠りなどしおって!!スフルス!こいつらを始末しろ!!」


「か、勘弁してくれラットンの旦那!!昨日の夜更けに変な匂いがしたと思ったらいきなり意識がなくなっちまったんだ!!信じてくれ!!」


「適当なことを言って私を騙そうなどそうはいかんぞ!!どうしたスフルス!!さっさとやれ!!」


「待てラットン、どうやらそいつの言っていることが嘘とは言い切れんようだぞ」


「・・・なんだと?」


 そうラットンを制止したのは、別の傭兵近くに寄って何やら調べていたスフルスだ。普段は一切雇い主の行動に口を出さない男だけにラットンも幾分か冷静になれたようだ。


「もうほとんど消えかかっているが、この匂いは憶えがある。前に一度だけ組んだことのある獣人の暗殺者が使った強力な睡眠薬だ。効果が強すぎて少しでも用量を間違えるとあっという間にあの世行きと言って入手先を聞き出すことはできなかった記憶がある。確か香のように風に乗せて使う代物だったから素人に売れないのも納得だがな」


「なんでそんなものがこいつらに・・・まさか!?」


「俺もまさかこんな秘境で睡眠薬の入手元に行き合うとは思わなかった。まず間違いなくこの森で採取されたものが原材料なのだろうな。それよりラットン、いいのか?お前にとっての最優先は夜警の者の処分でも睡眠薬のことでもなく、目の前の積み荷だろう?」


「っ!?おいお前っ!夜警中に寝ていたことは不問にしてやるから積み荷のチェックを手伝え!!他の奴らもさっさと叩き起こせ!!」


「へっ、へい!!」




 今日も朝から村長との交渉がある以上、のんびりはしていられないとばかりに夜警の四人と起きてきた傭兵も手伝わせて積み荷の再チェックを始めたラットン。

 本来ならここまで時間のかかる仕事ではないのだが、利益の要となる部分は絶対に人には任せないやり方でここまでのし上がってきたラットンはセイラン村への旅にラットン商会の部下を一人も連れてきていなかった。そのためすべての積み荷をラットン一人で確認しなければならない事態に陥ってしまったが、それでも朝日が昇り切った頃には何とか作業を終えることができた。

 だが、その表情は安堵と疑念の入り交ざった複雑なものだった。


「おかしい、この村の誰かが夜警の傭兵を眠らせたのは確実なはずなのに積み荷には一切手を付けていないだと?馬鹿な!?奴らの狙いはこの積み荷のはずだ!傭兵を無力化しただけで満足したわけがない!!何か、何かあるはずだ!!」


 興奮して誰に向けるでもない独り言を大声で叫ぶラットン。金の為ならどんな汚いこともやってのけるラットンにとって、損得を度外視した行動ほど理解できないものはない。積み荷のチェックを手伝っていた傭兵たちが雇い主の様子に恐れ戦くのとは対照的に、感情の揺らぎすら見せないスフルスがそっとラットンに告げた。


「とりあえず落ち着け。村の者達が見ているぞ。今のお前が交渉を生業としている商人が交渉相手にあまり見せていい姿でないことだけは俺にもわかるぞ」


「っ!?」


 ラットン達の慌てた様子を見ていたのか、村の広場には獣人の姿は一つもなかったが家々のドアや窓の隙間からいくつもの視線がラットンを注視している気配があった。


「それに日が昇ってからずいぶん経っている。これ以上の遅れはお前の予定としても俺との契約としても許されないんじゃないか?」


「わ、わかっている!!積荷が無事な以上、交渉自体に支障はない。さっさと終わらせて街に帰るぞ!!ついてこいスフルス!!他の奴らは準備をしておけ!!」


 いつもの調子に戻ったラットンの様子に安心したのか、お世辞にも素行のいいようには見えない傭兵たちはこの後のお楽しみを想像して残忍な笑みを浮かべながら持ち場に戻り、ラットンとスフルスは村長の家に向かうのだった。




「おやラットン殿、思ったよりお早いお着きですな。何やら朝から忙しくされていたようなので、あの分だと交渉は昼からと思っておりましたが」


(何をいけしゃあしゃあと!!誰のせいで慌てさせられたと思っている!!)


 目の前の獣人が首謀者だと確信して心の中で罵ったラットンだったが、言葉は勿論表情にもおくびにも出さない。

 何しろセイラン村の住人が睡眠薬を使ったという証拠はどこにもないし、村長が首謀者だというのはラットンの想像であって証拠どころか手掛かり一つない話だ。この場で持ち出して交渉を不利にするようなことは絶対に避けたかった。


「少々広場を騒がせてしまったようで申し訳ありません。急に荷を確認すべき事態が発生しまして、何とかこちらに午前の内に伺えるように急がせたのがまずかったですな」


「ほう、それはそれは。まあ交渉が早く済めばこちらとしてもそれに越したことはありませんからな。何か手伝えることがあれば何でも言ってくだされ」


「ありがたい申し出ですが、自分の荷も管理できないようでは商人のプライドに関わりますからね、お気持ちだけありがたく頂戴しますよ」


(こんな言葉で尻尾を出すとは思わなかったが、やはり反応なしか。この村長、昨日は慌てるばかりで落とし易い相手と思ったが、少々評価を改めんといかんな。しかし無反応ということは逆に何かを知っているということでもある。目の前の獣人が関わっていると確信できただけでも収穫と言えるか)


 ダメ元で睡眠薬の件を匂わせてみたものの、眉一つ動かさなかった村長の態度で難しい交渉になりそうだと気合を入れ直すラットン。

 だが、今日の交渉の口火を切ったのは意外にも相手の方からだった。


「早速で悪いがラットン殿、昨日同席させた二人を今日もここへ呼んでもいいだろうか。実は早朝からうちに来ていて、交渉の補佐をしてもらうために隣の部屋に待機してもらているのだ」


「っ!?もちろんいいですとも、こちらとしても村の人達に少しでも納得できる形で契約したいですからな、ハハハ」


「おお、流石はラットン殿。こちらの心情をよく理解しておられる。グスタフ、ナオユキ殿、ラットン殿の許しをもらったので入って来てくれ」


 昨日とは打って変わってこちらの意表を突いてくる村長の一手にさすがに動揺を隠せないラットン。

 今日の計画としては村長の答えを聞くだけのはずだったが、昨日の二人を同席させるということは明らかに何かを仕掛けてくると言っているようなものであり、またも計画の修正を余儀なくされるということである。

 秘境に住む野蛮な獣人をカモにする簡単な仕事のはずが、いつの間にか相手に主導権を握られているような言い知れぬ不安を感じずにはいられなかった。


 少しずつ焦りを感じ始めたラットンとは対照的に、グスタフと直征が座ったのを確認した村長は落ち着いた物腰で話し始めた。


「さて、二人に同席してもらったのはある気になる話を教えてもらったからでな。何でも昨夜このグスタフの家で塩が足りなくなったとかでラットン殿の馬車に売ってもらいに行ったそうだ。まあ二人は他の村人がけんもほろろに追い返されているところを見ていたそうだからダメで元々というつもりだったそうだが。ところがどういうわけか馬車の護衛が中に入れてくれたそうだ」


「なっ!?馬鹿なあり得ない!!」


 思わず立ち上がって声を上げるラットンを鋭い目で睨みつける村長。


「ほう、あり得ないと言われるか。ここまでの旅程の厳しさを考えると積み荷はすべてこのセイラン村のみで売却するはずだが、ラットン商会ではあれだけの荷を抱えて他の村に売りに行く余裕があるというのか?それとも初めから我らに売るつもりがなかったのかな?」


 村長の舌鋒に言葉に詰まるラットン。確かに鎮守の森への旅路で行きの途中の村々に立ち寄って商売することはあっても、森の中の過酷な環境で帰りも余計な荷を抱えて進むことはあまりに非効率だ。これまでの交渉で度々自身の有能さを自画自賛してきたラットンにとってセイラン村以外に帰りの旅程で商売をする気だとは口が裂けても言えないセリフだった。


「で、でたらめだっ!!先ほど護衛に話を聞いたが、馬車の中に入れたという報告は受けていない!!」


「ああ、そう言えば俺たちを通してくれた護衛の奴ら、やたら眠たそうにしてたんだよな。あれじゃあ碌に記憶もねえんじゃねえか?おかげでモノは見せてもらえたけど馬車から出てくると全員眠っちまってて塩を買うことができなかったんだよ。ラットンさん、あんたんとこの護衛は大丈夫か?他人事とはいえさすがにあのザマはいただけねえな」


「だ、誰のせいで!!もとはと言えばお前たちが睡眠薬で・・・!!」


「睡眠薬?何のことだ?まさか自分の所の護衛の不始末を俺たちに押し付けようってハラじゃねえよな?もしそこまで言うなら何か確証があるんだろうな、やり手の商人さんよ?」


「こ、この!!」


 最早隠そうともせずに徴発してくるグスタフに激高して殴りかかろうとしたラットンだが、落ち着けとばかりに肩に置いてきたスフルスの手の感触にすんでのところで踏みとどまった。

 その代わりとばかりに憤怒の表情でテーブルの向こう側の三人を睨みつけるラットンだったが、どこ吹く風と言った相変わらずの態度で村長が話を続けた。


「どうやら言いたいことが山ほどあると言ったところのようだがもう少し我慢していただこう。なに、話はもうすぐ済む。というよりここからが本題だ」


 と一旦言葉を切った村長はグスタフと直征の二人と目を合わせた後、淡々と、しかし強い怒りを抑えたような口調で話し始めた。


「ここにいるナオユキ殿は様々な町や村を巡っているため非常に物価に詳しくてな、何でも今年は主要な穀物が大豊作だそうで昨年の七割ほどの値段だということだ。グスタフが購入しようとした塩も天候に恵まれて普段の八割ほどの値段と聞いた。さらに念のためグスタフに同行して馬車の荷を確かめてもらったところ、今回ラットン殿は通常よりも品質の悪いものばかりをこの村に持ち込んだようだな。それはそれで仕方のないことではあるが、これでは昨年の取引の半値が相場というものだろう。

 さてラットン殿、そのような品を実質十倍の値段で我らに売りつけようとした理由を窺おうか」


「そ、それは・・・そ、そうだ、そのナオユキとかいう男が嘘をついているのだ!!村長殿、騙されてはいけませんぞ!!そいつは所詮異邦人、私たちのように助け合っていく考えなど持ち合わせていないゆえ適当な言動で両者の中を引き裂こうと」


 ドンッ!!


「ヒイッ!?」


 凄まじい音に驚いたラットンがおそるおそる音の発生源の村長の方を見てみると、厚み10cmはありそうな気のテーブルに亀裂が走っていた。もはや村長はぶるぶる震える目の前の男に対して怒りを隠そうとはしなかった。


「貴様は我らの客人が虚言を弄したというのか。我らセイラン村にとって客人とは村を挙げて歓待すべき、ある意味で村長である私よりも上位の存在。それに引き換え貴様はただの初対面の取引相手。そのただの取引相手が客人を愚弄するということがどういうことか、貴様はわかっていないようだ。

 いや、貴様はたった今取引相手ですらなくなった、これ以上の問答は無駄以外の何物でもない。早々に村から出て行ってもらおう」


 村長を怒らせるまでの真っ赤だったラットンの顔はいつしか青色に替わり、村からの追放を言い渡された時には完全に血の気が引いて真っ白になっていた。こと交渉事ではどんな不利な状況になっても臆したことのないラットンだったが、初めて会った獣人の男に対して完全に腰が引けてしまっていた。


(何なんだこの迫力は!?老獪な大商人ともプライドが服を着たような王国の官僚とも筋骨隆々の戦士とも違う、まるで生き物としても格の違いを見せつけられるような感覚は子の獣人の一体どこから!?)


「ああ、一つ言い忘れていた。追放と言っても詐欺を働こうとした以上ただで返すわけにはいかん。違約金代わりに積み荷はすべて置いて行ってもらおう」


「な、何だと!?」


「・・・何か文句でもあるのか?」


 一瞬抵抗しかけたラットンだったが、村長の獣人特有の鋭い目で睨まれるとそれ以上反抗する気持ちは失せてしまった。


「わ、わかった!!言う通りにする!!そ、そうだ、流石に荷をすべて渡すと言っても書面に残さないわけにはいかない、今すぐ契約書を作るから少し待っていてくれないか?」


「・・・わかった、昼まで待とう」


「か、感謝する。行くぞスフルス!!」


 言葉の上だけは了承したものの、怒りと恐怖が最交ぜになったラットンの表情はどう見ても納得しているとは言い難く、結局村長の態度が一変してからは一度も目を合わせることなく足早に村長の家を去っていった。




(おのれおのれおのれおのれ!!よくも私に恥をかかせてくれたな!!荷をすべて渡せだと?馬鹿め、全てを失うのは貴様らの方だ!!村が生き残れるくらいは生かしてやろうかと思ったがもう止めだ。皆殺しにでもせんとこの屈辱は晴れんぞ!!)


「おい」


 怒り交じりの思考の渦に囚われていたラットンは再びスフルスに肩を掴まれるまで自分が呼ばれていることに気が付かなかった。


「何だスフルス、私は今忙しいんだ、用なら後にしてくれ」


「・・・なら歩きながらでいい、こちらとしても最優先事項だ。ラットン、お前は今商談に失敗した。俺への報酬は半金が前払い、もう半金が後払いの契約だが今のラットン商会に現金資産がほぼないことは業界では有名な話だ。俺への報酬の支払いの当てがあるのか聞く必要がある」


 ラットンはこれまで聞いた事がないほどのスフルスの長セリフに再び背筋が凍るような思いに囚われた。この目の前にいる凄腕の傭兵は金次第でどんな汚れ仕事も引き受けるが、その反面契約を反故にした相手には絶対に容赦しない。これまでスフルスを敵に回した者達はすべて殺されているのは確実だが、死体が一つも出てきていないため官憲も手を出せないらしい。スフルスが裏の世界で畏れられているのは何もその実力だけではないということだ。

 今回のラットンとの契約も傭兵ギルドを通さないいわゆる裏契約だ。それなりに付き合いの長い関係ではあるが、そんな理由で容赦してくれるほどスフルスは甘くない。返答次第ではこの場で消されるかもしれないのだ。

 ラットンは次第に追い詰められていく自らの状況に焦りつつも、慎重に言葉を選びながらスフルスに説明を始めた。


「大丈夫だ、お前に払う金の当てはある」


「ほう、これはまた意外な返答だな。だがどうやって金を作るつもりだ?」


「簡単な話だ。この村の薬草を売って金を作るのさ」


「今しがた俺の目の前で交渉に失敗したお前がどうやって薬草を売ってもらうというのだ?」


「買う必要はない。そもそも初めから金を払うつもりなどない。連れて来た傭兵を使ってこの村から奪えばいいだけだ。さすがに三十人は多すぎて村長にも怪しまれたが、村の中に入ってしまえばもうこっちのものだ」


「・・・・・・俺はそんな話は聞いていないぞ」


「当然だ、言っていないからな。心配しなくても他の傭兵達だけで事足りるからお前の手を煩わせることはない。この程度の規模の村なら半分の戦力で十分だったろうが今回は失敗できんからな。これほど辺鄙な場所なら外に漏れる心配もないし、薬草と奴隷に落とした村の獣人を売った金の一部を方々にばら撒けば何も問題はない」


「・・・・・・」


 スフルスの沈黙を肯定と受け取って少し自信を取り戻したラットンは後ろのスフルスのことを気にすることをやめて、襲撃の準備を整えているはずの傭兵達寝泊まりしているセイラン村の倉庫へと急いだ。


 後ろを付いてくる護衛が周囲の警戒を忘れるほどに考え込んでいること緒は気づきもせずに。




 元々さほど広くもないセイラン村なので、目的地の倉庫に辿り着くのにそう時間はかからなかった。

 これから起きるであろう惨劇に流石に緊張しているのか大きく息を吐いたラットンは後ろを振り向いて先ほどから俯きっぱなしのスフルスに声を掛けた。


「いくらお前の手を借りないとはいえ、もし襲撃中に私に向かって来る者が出てきた場合はお前の仕事な範疇だからなスフルス。その時はしっかり働いてもらうぞ」


 ガララララ


「さあお前たち、仕事の時間だ。男と年寄りはは殺して構わんが女子供はできる限り生け捕りにしろ。薬草類だけは全て私の物だが、それ以外の金品はお前たちの取り分だ。さあ、暴れてこい!!」


 倉庫の扉を開けてそう傭兵達に高らかに宣言するはずだったラットンのセリフは「さあお前た、ち?」までしか言うことができなかった。ラットンが倉庫の中を一瞬覗いただけでそんなことが不可能だと一目瞭然だったからだ。


「グエエ・・・」「ゲホッゲホ」「痛てえ、痛てえよおぉ」「頼む、俺の足の骨を嵌め直してくれ・・・」


 そこにあったのは叫び声を上げる気力すら失ってうめき声を上げ続ける三十人の傭兵と、十人にも満たない獣人の男たちが彼らを見下ろしている光景だった。


「は、え?・・・はぁ?」


 蹂躙する相手だったはずのセイラン村の獣人が逆に傭兵達を制圧するという予想外を通り越してあり得ない光景を見て思考停止に陥った様子のラットン。


「どうした?俺たちから何もかも奪うんじゃなかったのか?」


「疾っ」


 当然すぐ後ろからかけられた声に反応できるはずもない。動いたのはいつの間にか声の主であるグスタフに隣に立たれていたスフルスだった。

 袖口の隙間から細身のナイフが落ちてきたかと思いきや、次の瞬間には指の動きのみで寸分の狂いなくグスタフの喉元目がけて放ったのだ。


「あっぶねえな。これはあれか、お前も俺たちに敵対するってことでいいんだよな?」


 重力に逆らって真っすぐに飛んだナイフは、グスタフが突き出した二本の指に挟まれて喉元数cmのところで止まっていた。


「いや、そんなつもりは毛頭ない。これはあくまで依頼主の身の危険を感じたゆえの防衛行為だ。あんたたちに敵対する意志はない。この通りだ、勘弁してくれ」


「なっ!?スフルス、裏切る気か!?」


 先程の長セリフに続いてスフルスが頭を下げる場面を初めて見たラットンは思わず叫んだ。


「いいや違うな、これは契約上の俺の裁量の範囲内だ。お前との契約はあくまでこの旅の間の身辺警護。だがお前が勝ち目のない戦いを挑む際は俺の離脱を認めるという内容だったはずだ」


「勝ち目がないだと?馬鹿な、この程度の人数ならお前一人でも私を守りながら切り抜けられるはずだ。もちろん追加の報酬なら払う、さあ、こいつらを早く始末してくれ!!」


「ラットン、お前とは長い付き合いになるがここまで愚かだったとはな。ならはっきり言ってやる、完全武装の今の俺でもここにいる素手の獣人一人にすら勝てはしない。ここで剣を抜けば確実な死が俺に待っているだろうな」


「何を言っている、町に住む能力もない亜人ごときにお前が後れを取るわけがないことは私が一番よく知っている。冗談を言うのもいい加減にしろ!!」


「・・・・・・お前ほどの商人までがそんな愚かな妄言を未だに信じていたとはな。俺の眼も曇り切っていたということか。いいか亜人というのはな」


 少しだけ語気を強めて説明しようとしたスフルスを片手で制して、グスタフが後を引き継いだ。


「いいか、俺たち獣人は大勢で群れなきゃ生きていけねえおめえらと違って、各地に散らばってこの世界に生きる者としての役割を果たしているんだよ。なぜかこの耳や尻尾を見て進化しきれなかった半端者なんていう輩がいるらしいが、これはお前ら平人(へいじん)より神に近い存在である証なんだよ。だが俺たちはいつもはお前らのことを平人なんて見下した呼び方はしねえ。お前らも俺たちも等しくこの世界で生きることを神に許された存在だからだ。まあ、たまにお前のように勘違いしてアホなことをやってくる奴らには容赦しねえがな」


「そ、そんなことあるはずがない!!」


「じゃあなんで自分の命を懸けて契約を守ろうとしたこのスフルスって男はあれ以上俺たちに向かって来なかったんだ?お前ら長い付き合いなんだからわかるだろう?」


「そ、それは・・・・・・」


 グスタフに動かしがたい事実を突きつけられ悄然と肩を落としたラットン。

 頑なに否定し続けたラットンもスフルスとの契約まで持ち出されては商人として認めざるを得なかった。


「ここまでやられたんじゃあ積み荷をもらうだけで済ますわけにはいかねえ。馬車や傭兵の武装も含めてこの森を抜けるまでの最低限の食料以外はすべて没収させてもらう。だが実際に村の被害はゼロだったことを考慮して永久追放のみで済ませてやるとの村長からの伝言だ。そこに転がっている奴らも最低限の怪我で済ませているからそのうち起き上がれるだろう。全員が目を覚まし次第すぐ出発してもらうぞ」


 その場に崩れ落ちたラットンを睥睨(へいげい)しながらグスタフは静かにそう告げた。

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