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第14話

潮の匂いが、鼻先を擽る。あと少しか。逸る気持ちを抑えきれず、急斜面を駆ける。ひらけた視界の先あるものは、海と空が混じり合う水平線。


「キール!! 海だ! すごいすごい流川さ!」


「なんだ、見たことなかったのか」


長旅の疲れに道中の事件も忘れはしゃぐ私に、キールは目を丸くした。案外、私の立ち直りは早いと言うか、とりあえず海が綺麗で広いだとか。


まぁ、とにかく! 内陸に住む者にとって、海は話の中だけの存在だ! 素晴らしい、素晴らしい。海を初めて見るのだ、そんな子供じみた感想しか出ないのも、仕方がない。


弾む心で、潮風がそよぐ街を一望すると、独特の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。自然に上がる目線。ギラつく太陽に感謝したい気分にすらなった。


いまは、徒歩である。馬車の血の匂いを私は嫌って、馬だけ離すと馬車を置いていくことにした。歩くのは大変だったけれど、海への感動と潮風は、そんな疲れも吹き飛ばしてしまう。


なんて、考えていると、すぐに丘を降り切って、街につく。活気に溢れている。私の見た事のないほど焼けた肌の人達が、汗を散らしながらせっせと働いている。


色々な人間がいる。露出の多い、艶やかな女性。それを目で追う黒焦げの男達に、風車を持って走り回る小さな子供達。


私の出身は内陸だけれど、国が違うと随分住んでいる人の姿形も違うのだと思った。特に海沿いは、一線を画している気がした。海の幸に、働き者の男衆に、生命活動が盛んであった。


そういえば、キールの生まれはどこなのだろう。ふと、考え込んだ瞬間、私は自分の体が、ふっと宙に浮くのを感じた。


いや正確には、小牛の突進のようなものを受けた気がした。揺れる視界の中、倒れ込む私を追った手が見えたけれど、それはすんでのところで間に合わなかった。


「いっ、たい……」

「なんだよあんた!! 前向けばか!」


あ、人とぶつかったんだ、と気がついて、私は正面の相手を見据えた。どうやらその子は、少年のようだった。目元が隠れるほどの帽子を深く被って、青いサロペットの端がほんのり汚れていた。まろい頬と裏腹に、顎は尖って、帽子の影に猫っ毛の短髪が揺れていた。


まさに、絵に描いたような少年。小さな体を震わせる相手に私は一歩近づいて、ある違和感に気がついた。


「あれ? あなた……」


私がそう声をかけると、彼は弾かれるように立ち上がった。「前向いて歩けっ」と高い声で言って、足早に去っていった。小さな背中は、人混みの中に即座に埋もれて追えなかった。その頃には、私は違和感をとっくに忘れていた。それほどに朧気なものだった。


「おい、大丈夫かよ? 知り合いかなんかか?」


「ううん、全然。でも……」


目の前に大きな手が差し出されて、私はそれに従った。彼が私と手の平を重ねて、持ち上げようとした時に、わざと力を込めて小さな抵抗をしてみた。無駄。私の体はいとも簡単に、おもちゃのように持ち上げられて、視界が急に、ぐっと高くなる。


「あんた、無駄なことすんなよ」


淡々とした言い方は、怒っているわけでも呆れているわけでもない。つくづく感情の読み取りずらい男だ。


「人、多いから気をつけろ。これからもっと増えるぜ、船に乗るんだ」


「船?」


ただ言われるがままについてきただけで、どこにいるか全く把握していない自分に今気がついて、問い返してみた。


段々と強くなる潮の香りに、船に乗るのだということを実感する。海が近いのだ。水平線が遠くに見えて、それは薄ぼんやりと青空に溶けて、私たちを迷い込ませるようにも、また歓迎しているようにも見える。


「船、初めて乗るなあ」


道の両側に並ぶ露店に目もくれず進んでいると、視界が開ける。そして同時に強い潮の香りが目にしみる。私は一度目を瞑った。おそるおそる開けてみる。


「あ、え、なにこれ! なにこれ、大きすぎない!?」


視界のほとんどを埋め尽くさんばかりの、巨大な船。なぜ、これが海に浮けるのだろう。沈まないのかな。誰が作ったのだろう。そんな疑問か次々に湧いてきて、つい足を止める私に、気にかけずキールは歩き続けた。


「ちょ、ちょっと待ってよ!これ、浮けるの? 沈まない?」


「現にいま浮いてんだろ」


私と目も合わせず、ぶっきらぼうにキールは言って、「出港は夕方だが、なんかほしいもんあるか?」と付け足した。


「弓の打ち方を、教えてほしい」


さらりと自分が口にした言葉に、私自身が驚かされるハメになった。今までだったら、「露店が見たい」だとか、「宿で休みたい」だとか、私はそんなことを言うはずなのだ。


私は、私は変わってきている。それがいい事なのか悪いことのなのか、わかりはしないけれど、彼についていくためには、なにかを成し遂げる為には、必要なことなのだろうと思った。


船着場の上空に雲よりも白い鳥が、二羽並んで、大きな弧を描いて旋回していた。私は一度地面に目線を下げて、次に目を向けた時には、もうそいつらはいなかった。






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