第9話
豪雨のように矢が、降り注ぐ。あまりの非日常に、耳を塞いで目を閉じる。
怒り、憤り、猛り。負の感情が、濁流のように溢れていた。
私達を囲んでいたダークエルフの集団に突撃する兵士達、なぜこんなところに。二つが接触しないうちに、キールは動いた。戦うためではない、隠れるために。
抱えあげられていた理由が、やっと分かった。戦場と化したその場から、少し離れた木陰に入る。茂みに身を潜める。
キールはしぃと人差し指を自身の唇に押し当てた。目を見て、戦う気かないことは一瞬でわかった。
丸く固まったエルフの集団に、兵士達は恐れを知らず飛びこんでゆく。手に灯った炎が次々と、繰り出される。
矢の雨のお返しに炎の雨。隙間もないほど固められた甲冑の中で、蒸し焼きにされる兵士もいた。
それでも両雄怯まなかった。矢の号令をかけた若い男が、殺せと声を張り上げた。私達と話していた長らしきダークエルフが、兵士を一人黒焦げにした。
キールは、いや私も、黙って見ていた。危険のない木陰で、この惨状を。
「キール。この兵士達、なんで……?」
口調だけはいつも通りだけれど、震える唇で声まで震えた。
「こいつらな、いろいろあって俺だけは殺せねぇ」
どういうこと、と尋ねる。お互い視線だけは戦場に向けていた。炎の赤と、血の赤。わたしの髪色みたいだった。
人が死ぬ瞬間は始めて見たのに、頭の中でそんなことを考えていた。動揺は許容量を超えると、平静になるのかもしれない。
「それについては、後で話すからとりあえず今は。それよりもあいつら馬鹿だ、封印先が大木なんて考えてないんだろうな、ダークエルフを殺しちまって」
キールは私以上に冷静だろう。だってそうだよ、こんな口ぶりで。よく考えたあの挑発も。
あ、ひとりしんだ。血に染まった刃が、ダークエルフの首にかかる。ごろりと勢いよく転がって。ん見開いたまま絶命した首と、目があった。ぎらぎらと炎を灯して、生きていたと語っていた。
「ねぇ、キールは全部わかってたの?」
全部。この戦いの全部。互角の戦いは、互いの数を順調に減らしていった。誰かが死ぬたびに、旅立つ魂が見えるようだった。
あんなに洞窟で悲しげに魔物を倒したキールが、いまは無表情であった。
「こたえてよ、キール」
何度も助けられながら、嫌疑を孕む私の声が大嫌いだ。
「あぁ」と小さく頷いた。嫌になるほどいつも通りに。平和に、冷静に。この声を戦場で聞いても、日常で聞いても、違いがわからないほど淡々としている。
決着はついたのだ、その返事のほぼ直後。ぎゃあと絶命の合図がした。勝ったのは人間だ。
焼け焦げた大地に血の海が出来、三人人間が立っていた。いや、肩を借りている一人はもう息絶えているかもしれない。
号令をした青年が、息を大きく吸った音がした。一人だけ鎧の装飾が豪華である。
「キール・アレース!!今日こそお前捕まえる!」
青年は大きく怒鳴った、鎧の下の鍛え上げられたであろう腹筋を使って。
私の耳元で、キールが「あいつの名前はアルベルト。覚えなくていいぞ」と囁いた。
「手負い含め、たった三人では無理だろう!尻尾を巻いて逃げろ!」
キールは茂みから勢いよく立ち上がると、アルベルトに負けない大声を張り上げた。凛と、しかし恐ろしく、木々の狭間に響いた。
アルベルトは聞かない。煤だらけの剣を再度構える。ぐっと力をこめたのが、遠目にわかった、が。
新品の傷が痛んだのだろう。ぐっと唸り声を奥歯で噛み締めた。剣を持たぬ手で、傷口を抑えるも、鎧の上からでは意味が無い。
全てがアルベルトに牙を向くように、瀕死の兵士が、ひゅっと息を引き取る音が静寂に響いた。肩を貸していた兵士の頬を涙が伝う。
泣くのだ、ダークエルフを全滅させる屈強な兵士も、私と同じ色の涙を流すのだ。
「下がろう……」
ぎりと奥歯を噛み締めた後、一人ぼっちの子供のように、アルベルトは呟いた。涙でくしゃくしゃな顔の兵士は、死体を美しい緑の上に置いた。
痛む傷を抑えながら、よたよたとどこかへ去って行く。私はその背中をじっと見ていた。
ふと、春の息吹に触れたような、そんな気配を背後に感じた。何気無しに振り向く。
戦いで踏みつけられ折れ曲がった植物が、光を発しながら成長していく。朝顔の蔦がのびるように、死体、血、落ちた剣までもに巻きついて、捕食のように取り込んでいく。血を朝露に、屍肉を養分に。
残ったのは、なに事もなかったかのような、美しい緑。天からの光を受けて植物は生きようと輝いていた。
目の前の異様さに目を見張りながらも、どこか心惹かれた。