親達の想い
「陛下…… 長男は…… コスタスは……」
「クラスティア卿…… ドロテア=ヌーリ=ルーデンベルグが尽力している。 しかし、王国は至高の存在を失いつつある。 万が一、貴殿の長男が命を落とすような事になれば、我等は王国の安寧を護る事が難しくなる」
「御意……」
謁見の間に伺候した、ファルケ=フォン=グラスティア筆頭侯爵は、国王陛下に深々と頭を下げている。 その横には、同じように伺候している、ソルダート=フォン=ルーデンベルグ侯爵も項垂れいた。
筆頭侯爵家としては、由々しき事態なのだが、彼の長男には、「 問題 」 が、有った。 男性にも関わらず、「 聖 」 属性の魔力を持つがゆえに、聖なる魔力がその身を内側から焼くという、まるで、” 呪い ” の様な、生まれながらの「贈り物」
故に、コスタスはいつ、魔力暴走するかわからない危険を持っている。 感情の揺らぎを極力抑え、魔力を研ぎ澄まし、暴走を抑えるために、多量の魔力を魔方陣に送る。 そんな毎日だったのだ。
彼が生まれた時、余りの出来事に、古今の東西の記録を紐解き、対処法を探し回り、宮廷魔術師、果ては、森の隠者にまで、訪ね歩いたのだが…… 結果は惨憺たるものだった。 妻のエリザベートは、コスタスの未来に暗然とし、いっその事と、まだ、三歳に成ったばかりの彼の首に、手をかける所まで、追い詰められていた。
幸いな事に、彼の家の、治療師が古の魔術に詳しく、彼の導きで、どうにか平衡状態を維持できる事には成ったが、本人の不断の努力が必要な事には変わりなかった。 もう、これ以上、息子に負担をかけたくなかった。 生きていてくれれば、後は何も望む事は無い。
祈る様な気持ちで、陛下の言葉を聞いていた。
―――――
隣に侍していた、ソルダート=フォン=ルーデンベルグ侯爵も項垂れいた。 侍従たちから、愛娘がコスタスの治療に当たり、宮廷の医師たち、魔術師たちの助力を一切拒んでいると、そう聞いたからだった。
愛娘ドロテアの「聖なる障壁」に阻まれていたからだった。 開祖以来、聖魔障壁を紡ぎだせた魔術師は未だ存在していなかった。 その驚異の業を愛娘が成したと聞くと同時に、その切っ掛けと成った言葉に、頭を抱えたくなる想いだった。
「貴方達は信用なりません。 触らないで!!」
感情の発露は、「怒り」 宮廷魔術師が、コスタスの魔力暴走を怖れ、このまま逝かせる様に進言したのを聞いてしまった愛娘は、今まで密かに想い続け、抑えつけていた感情を露わにし、大成してしまったのだ。 ついに聖魔障壁を立てるに至るまでに。
しかし、その力は王国の為の力では無い。 彼女自身がそう宣言した。 もし、コスタスを失うような事になれば…… 愛娘もまた、自らの命を捧げようとするだろう事は、彼女を深く知る、ソルダートにとっては、火を見るよりも明らかな事だった。
「アレには……無理をさせて来た。 王国の為、民の為といつも、いつも、教え導いてきたつもりだった。 アレも良く答えてくれた。 私は……アレに、もう、無理強いする事は出来ない…… し、幸せになって欲しい……」
唇から零れ落ちる言葉は、この国の宰相の言葉では無く、娘を愛する一人の父親の言葉だった。 コスタスならば、愛娘にとって、最愛の人に成り得る。 そして、父親たるソルダートの目からしても、良き漢だった。
妙に大人びて、達観した目を持つコスタス。 感情を露わにすることなく、漣一つ立たない、湖面のような、穏やかで懐の深い漢。 彼ならば、愛娘を任せても良いと、そう思いもした。 ……生きていてくれたら。
沈痛な面持ちの二人の重臣を前に、国王陛下は重い口を開いた。
「……余に任せてくれまいか。 コスタスが命、助かればの話だが」
「仰せのままに」
「御意に」
更に言葉を重ねる国王陛下。
「ファルケ。 グラスティア筆頭侯爵家には、引継ぐものがおろう」
「はっ」
「ソルダート、ドロテアの幸せを望むか」
「はっ」
「余は、王国の安寧を欲する。 ファルケ。 公式には、コスタスは死んでもらう。 ドロテアには、失踪してもらう」
「なっ!」
「それは!」
「表向きだ。 ファルケは、前々より、長男コスタス廃嫡の許しを乞うて来ていたな。 許す。 死亡を確認した為、廃嫡と成すとする。 もう、公式にあの者を縛る事は何も無くなる。 お前が用意した、魔法具店。 なんの障害も無く、そこに置ける。 ドロテアは、もうコスタス以外見ようとしない。 きっとついて行く。 王都の王城近くだったな、ファルケ。 どうだ、ソルダート、そこなら、お前も逢いに行けるぞ」
「陛下……」
「陛下……」
「コスタスが命、長らえられればな…… 今は、祈るしかない。 余は、これより、ドロテアにこの事を伝えに行く。 聖魔障壁を越えられるのは、どうも余だけらしいのでな。 余は、この国を諦めたくは無いのだ。 非常の処置だ。 堪えて欲しい」
「勿体のう御座います」
「陛下の御気持ち、頂戴いたします」
膝を付き臣下の礼を取る、二人の重臣の肩を叩き、頷く国王陛下。 ほろ苦い笑みが、頬に浮かんでいる。 彼の口から、漏れた言葉。 理由は違えど、その場に居た三人の男達の偽らざる本心からの言葉だった。
「戻ってこい、コスタス。 お前は、生きなければならぬ」
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アドラール公爵家 当主、マクシミリアン=フォン=アドラールは、卒業記念舞踏会 翌日に、後宮に呼び付けられた。 呼び付けた人物は、王妃殿下。 使者から受け取った呼出し状の文言は、此れまで受け取った事の無い程苛烈で、怒りに満ちていた。
その場に居た、マクシミリアンは事の次第に恐れおののきつつも、息子の仕出かした事を諫めようと、その日は、ユークトに共に屋敷に戻ってしまった。 あの場に残って居ればと、今更ながらに思っていたが、過ぎた時間は、戻っては来ない。
息子のユークトが、「聖女」マルーネ、及び、重鎮たちの子弟と共に、屋敷に戻ったのはいいが、自分の言葉も聞かぬまま、彼等は、朝まで ”卒業記念のパーティ” をしていた。 さすがに、その場に、バハート=エウガム騎士爵の姿は無かった。 家人に連れられ、早々に衛兵と共に、事情聴取を受けているのだろうと思っていた。
マクシミリアンは、王家傍系の公爵家の中でも、勢力を持った公爵家だった。 いかな国王陛下でも、彼の言には相応の敬意を持ってしかるべきだった。 しかし、今呼び付けられているのは、王妃殿下。
国王陛下でも無い。 いくら、怒りの文言で有ろうと、其処まで恐れるには及ばないと、そう考えていた。
マクシミリアンは、後宮に入るなり、様子がおかしい事に気が付いた。 後宮守護騎士の数が妙に多い。 衛士の人数も。 マクシミリアンの侍従たちがまず、排除され、たった一人で王妃殿下の待つ後宮、謁見の間に進まざるを得なかった。
謁見の間の扉を衛士が開け、彼を中に通した。 豪華な椅子に腰を下ろした王妃殿下が、睨みつけるように、マクシミリアンを睥睨していた。
「王妃殿下には、御危険麗しく……」
「単刀直入に言います。 マクシミリアン=フォン=アドラール、 本日只今を持って、貴方の帝室籍を抜き、アドラール家を取り潰します。 ”いたずらに人心を惑わせし罪、本来ならば、死を持って贖うのが至当。 しかし、これまでの功績を鑑み、帝室籍よりの離脱で済ます。” 国王陛下よりの宣下です。 以上です。 下がりなさい」
「な!!!」
王妃殿下はサッと立ち上がると、後も見ずに下がろうとした。 その後ろ姿に、マクシミリアンは、叫んだ。
「そのような非道、罷り通るとでも、お思いか!!」
「先に仕掛けたのは、そちら。 古き法を持って処罰したのみ。 不服でもあるのか?」
「本当に、陛下の御意思かどうかもわからぬ! このような重大事、議会を招集し……」
「この処分に疑義を唱えるならば、王国への反逆とみなす。 衛士、この平民を捕らえ、牢に。 反抗するならば、斬り捨てても構いません。 陛下よりのご指示です。 王国に仇成す者は、公爵家、王国の民として遇する訳には行きません」
両側から、両手を掴まれ、引っ立てられるマクシミリアン。 何を叫ぼうとも、何を言おうとも、屈強な衛士は、無言のまま彼を牢へと引き摺って行った。
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ムスタス子爵は、事に成り行きに理解が追いつかなかった。 主筋である、ボリステール侯爵家から、庶子として遇せよと預かった女児マルーネ。 「 聖 」属性の魔力を持ち、「 聖女 」として社交界に颯爽と登場した彼女。
養い親として、家名を渡したが、その養育の殆どは、主家である、ボリステール侯爵家が執り行って来た。 子供が居ない自分に、わざわざ主筋からお声が掛かると云うのは、そういう事だった。
ムスタスの家名を貸す見返りに、子爵から伯爵への陞爵の約束。 ボリステール一門が、勢力を増す為の布石。
とても、嫌だった。
元来、そのような権力争いから距離を置いて来た。
本来ならば、ムスタス家は、陞爵せずとも伯爵家。 彼の父親が権力争いに加わり負けたために、子爵への降爵が有ったためだ。 以来、領地の経営や、子爵家としての仕事を優先したために、酷く遅くに結婚したのだ。
ボリステール侯爵家から、マルーネ嬢を預かった時、妻は妊娠初期だった。 初子だったのだ。 自分の子がこの手に抱けると、そう思った喜びは、主家の思惑で潰れた。 マルーネ嬢を受け入れる為の騒動で、体調を崩した妻のお腹の新たな命は、生まれる前に、天に召された。
悔しかった。
情けなかった。
ボリステール侯爵家の者達がうろつく、帝都の屋敷。 マルーネ嬢に対しては、それこそ王侯に対する礼を強要された。
「何が、「聖女」様だ。 驕慢な令嬢なだけじゃないか。 教育も、貴族の資質も、なにもかも、有った物じゃない。 こんな女に、俺の子が…… アレには、関わらぬ。 なにがあっても、関わらぬ」
心に決めた事だった。 主家から養育費の請求が有れば、ただ、それを言いなりに出し、口は出さず、極力顔も合せずにいた。 情もなにも無い令嬢に掛ける時間は無い。 妻を領地に戻し、用が有る時以外は、ずっと領地に籠った。
マルーネ嬢が王国学園に入学した後も、彼は何もしなかった。 ただ、主家に言われるがまま、「養育費」を支払ったまでだった。王都での仕事をしていると、同僚から、「聖女」の養父という事で、色々と言われてきた。 実情を知る者も多い中、一部の者達から、「聖女」への取次ぎを頼まれもした。 苦笑いと共に、彼は言ってのけるのだった。
「すべては、ボリステール侯爵閣下が差配されております。 わたくしは何もできませぬ故、ご容赦を」
こうやって、彼は、マルーネ嬢に対して、完全に無関心を突き通していた。 そんな彼の下に、卒業記念舞踏会の招待状が舞い込んだ。
「また、ドレス代を支払う事になるのか」
彼は、溜息と共に、そう吐きだした。 招待状を領地で受け取り、その様子を見ていた夫人が、彼の肩に手を載せ、優し気に微笑み、労わる様に言った。
「初子に…… 天に召された、初子に買ってあげたと、そうお想いになれば宜しいのでは? そして、初子の御下がりを渡すと……」
「そうか…… そうだな…… 我が子のドレスを下げ渡すか。 折り合いを付けられそうだ。 礼を言うぞ」
モヤモヤとした心が、多少晴れた。 優しく妻を掻き抱き、そっと唇を重ねる。彼女の心使いに感謝し、天に召された初子にドレスを贈ったと、その時、心に決めたのだった。
―――――
結局、卒業記念舞踏会には欠席する事にした。 領地の水利に問題が出た事もあった。 いや、単に行きたくなかっただけだったのかもしれない。
しかし、そんな、ささやかな抵抗も、次の日から押し寄せる怒涛の伝令に吹き飛んだ。
卒業記念舞踏会におけるバハート=エルガムが行った凶行、更にそれに続く、高位貴族を含む多数の貴族家の御取り潰し。
罪状は、「国家反逆罪」
主筋の、ボリステール侯爵家もまた、その惨禍に落ち込んだ。 いや、全ての原因だとも言えたからだ。 自身の権力を増そうと暗躍した貴族家の者達。 そして、利に預かろうとした者達。 尽く貴族籍を剥奪され、庶民階層に落とされた。
事、ここに至っては、ムスタス家も無関係ではいられない。 子爵家の庶子として登録された、マルーネ嬢。 親としての責務が重くのしかかって来た。
「責は……負わねばな…… 済まぬ」
「あなた…… 初子に逢いに行きましょうか。 二人して、この手に抱きましょうか」
「すべての沙汰を受けた後……ならばな」
「あなた……愛してくださって有難うございます。 得難い人生でした」
「私からも、礼を言うぞ。 お前が居てくれたおかげで、心豊かに過ごす事が出来た。 本当に有難う。 お沙汰が下されるまでは、子爵領に責任がある。 ついて来て呉れるな」
「はい、あなた。 わたくしの命は、貴方と共に。 絶対に離さないでください」
「判っている。 離すものか」
予想に反して、王都からの使者はなかなか来なかった。 その間も、多数の貴族達が没落していく。 彼に助けを求める者達も居たが、
「わたくし自身が、お沙汰を待つ身ですので、申し訳ございませんが、何も出来ませぬ」
そう、清々しく笑みを浮かべながら、全ての願いを拒絶した。
次第に落ち着く王都。 ある日、王宮よりの呼出し状が届けられた。 いよいよ来るときが来たと、心を決めた。 呼出し状には、夫婦で来るようにとの、添え書きが有った。 不思議に思いながらも、ムスタル子爵は、夫人と共に宮殿に伺候した。
落着いた佇まいの王都。
混乱は、何処にも見られなかった。 以前より、街の活気が増した様にも見えた。王宮に入ると、謁見の間に通された。 臣下の礼を取り、陛下よりの御言葉を待つ。 いかな沙汰でも受け入れるつもりがあった。 妻と一緒ならばと。
「よく来た。 顔を上げてくれ。 委細は法務官より聞いておる。 一つ……確認したい事があってな」
よく通る、陛下の声であった。 こうやって、国王陛下自らお声がけして頂く事など、今までに無かった事だった。 そろそろと、礼を解き、ムスタル子爵は、夫人と二人で顔を上げた。
玉座に座す、高貴なお二人の姿を認める。 その隣に項垂れた少女が一人、佇んでいた。 神官の正装に身を包んではいたが、どことなく草臥れた雰囲気を漏らしている。
「この方々を見知っているか?」
国王陛下が、その少女にそう、聞きただした。 固い声だった。 容赦のない尋問のようなそんな固さだった。 少女はムスタル子爵夫妻をじっと見詰めた。 首を横に振り言う。
「存じません。 逢った事は有るのかもしれませんが…… 記憶に……御座いません」
「ふむ、 ……そうか。 では、貴殿たちは?」
「存じ上げません。 申し訳ございませんが、仕事柄一度会った事がある方ならば、たいていは覚えておるのですが…… 申し訳ございません」
「ふむ、左様か。 よい。 少し、時間を貰うぞ」
「ははっ」
少女が退出し、国王陛下が、再度口を開いた。
「ムスタル子爵、良く子爵領を守っている。 さらに、王都での任も責務も滞りなくはたしている。 貴殿の功を評し、降爵を解く。 先代の領地を復し、ムスタル伯爵領とする。 ムスタル伯爵、励め。 王国の民を護ってくれ」
茫然と、国王陛下を見詰めるムスタル子爵、いや、ムスタル伯爵。 疑問が一時に沸いた。 取り潰し、庶民となる筈だった。 何故に……
「騒動に巻き込まれた事、大儀であった。 その渦中の中でも、己を律し、法に順じ、民を護り、それにな…… 初子の事、悔やみを言う。 余の目が届かなかった事、許せ。 確かめたき事は、貴殿らが、『マルーネ嬢』と、どこまで関りを持っていたかだった」
朗らかに笑う国王陛下。 ムスタル伯爵は、その言葉にハッとしながらも、深い感銘を受けていた。
彼の両目から、滂沱の涙が零れ落ちた。 夫人の方を見ると、彼女もまた同様に涙を流していた。 国王陛下は、見ていてくれたのだと、理解した。 二人は臣下の礼を尽くした。