王立学園での出来事
とても、穏やかな気持ちだった。
意識は深い霧の中を漂っている。 何もかも曖昧だ。 私、コスタス=アジーン=グラスティアは、世俗を離れてしまったのか…… あのバハートの凶刃に倒れてしまったのか。 見切る暇は無かったが、深手を負ってしまったか。 彼女の役に立てれば、それで、よいのだ。 王国の至宝は護られた。
王国の至宝でもある。ルーデンベルグ侯爵令嬢、ドロテア様に対し、アドラール公爵家の御令息、ユークトが、ことも有ろうに、王家主催の王立学園の卒業式でここまでの暴挙を仕出かすとは、誰も、そう、国王陛下でさえも思いもよらなかっただろうな。
事の起こりは……そう、二年前。
今もまだ、ユークトの側に立っているであろう、ピンクブロンドの髪、豊満な肢体、愛嬌があり奔放な性格の、”その女”が、王立学園の高等科に入学した事から始まるな。
所領を持たない、王国国都リリデア在住の一官吏、ムスタル家の庶子。 マルーネ=ムスタル。 ムスタル家の主筋の当たる、ボリルテール侯爵家の当主が町娘に手を付けて、たまたま生まれて来た女。 良くある話だが、金銭で解決した筈だったらしい。
それが何故、ムスタル家の令息女になり得たのか。
答えは簡単だ。 何の因果か、マルーネ嬢には 「 聖 」 属性の魔力が備わっていたからだった。 王国の法典に、「 聖 」 属性を有する人を保護し、王国の防御結界にその魔力を供せさせる、一文が有るからだ。
その一文から、十二歳になる貴族の子弟は、皆魔力測定を義務付けされて居る。 ボリステール公爵が手を付けたその町娘は、そんな事は露知らず、当初貰った金を使い果たし、さらなる金を手に入れようと、ボリステール侯爵に接触した。 その時、マルーネ嬢の年が十六歳。 念のためにと、ボリステール侯爵家の者が、魔力測定をした所、マルーネ嬢が「聖」属性の魔力の持ち主と判明。
あとは、言わずもがな。 接触してきた彼女の母親の消息は、その後、知れない。 外聞もあり、ボリステール公爵家では、預かれない為、傍系の子の居ない、ムスタル家に押し付けたと云う訳だ。
―――――
なぜ、そこまで、「 聖 」属性が王国によって保護されるか、それは、王国の守りと言える、防御結界に関係する。 防御結界の成り立ちは、王国成立にさかのぼる。
魔物や魔人を打倒した、開祖が作ったと言われる防御結界。 王国全土を覆いつくすこの結界には、大きな弱点がある。 それは、使用される魔力が膨大で、尚且つ、「 聖 」属性の魔力しか受け付けない事だ。
実は「聖」属性の魔力持ちは、王国内にある程度の人数は居る。 ただし…… ただしだ、幼少期からの厳しい試練の数々に根を上げ、属性を防御結界に引き渡し、只人となる者も多い。 いや、ほとんどがそうなる。
一旦、防御結界に引き渡された、属性は結界に喰われ続け、いずれ消える。 人の中にある「 聖 」属性は、純化された「 聖なる魔力 」を生み続ける。 防御結界には、その魔力が必要なのだ。 だから、「 聖 」属性持ちは、王国で優遇される代わりに、数々の試練を潜り抜け、安定的に「 聖 」属性の魔力を供給する義務があるだった。
魔物、魔人達がこの国を虎視眈々と狙う世界。 その猛攻を防ぎきっている防御結界に関する情報は、最重要機密として厳重に保護されている。 「 聖 」属性持ちの女性を、「 聖女 」などと、持ち上げられれば、彼等の目標とされる事は、火を見るより明らか。 「 聖 」属性の魔力持ちの行動は、制約も含め、雁字搦めとなるのは必定。
その事を判っていない、貴族が多すぎる。 あくまで、「 聖 」属性の魔力持ちの子供が誕生するのは ” 稀 ” なのだから。
生まれた「 聖 」属性持ちの、子供たちは、通常は隠匿される。 その「 聖 」属性の魔力を増大させるための様々な試練の為に、個人的な時間を大きく奪われる為だ。 また、その能力を他人に知られると、利用される。 特に幼子に関しては、厳重に生家で護られている。 その為、そうでは無いかと、噂される人物はいるが、明確に「 聖 」属性の魔力持ちであると言われる人物は、社交の場には居なかった。
ムスタル子爵に庶子として登録され、それまでの生活と一変したマルーネ嬢。 「 聖 」属性が有る為に、王国の庇護が確約されている。 正に別世界と云う訳だ。 また、マルーネ嬢を庶子とした事で、ムスタル子爵は、伯爵への陞爵が約束されていた。 それほど、王国は「 聖 」属性の魔力を必要としていたからだ。
そう、王国の防御結界の維持の為に。
マルーネ嬢が最低限の礼節と教育を受ける為に、王国学園に入学したのは、そんな王国からの恩恵の一つだった。 これで、マルーネ嬢は完全に勘違いした。 本来ならば秘匿するべきこの事を、彼女は公言してしまった。 「 聖 」属性の魔力持ちは、俗に「 聖女 」と言って、もてはやされる。 過去の歴史を振り返るまでも無く、当たり前の事だった。 それは、王国学園内でも同じ事だ。
これが、悪い方に作用した。
マルーネ嬢は、自身が当代唯一の「 聖女 」であると、思い込んでしまった。 生来の奔放な性格が加速したかの様だった。 周囲に群がる下位から高位に至る貴族の御令息、御令嬢達。 あわよくばそのお零れに預かろうと、マルーネ嬢をちやほやした結果、事態は最悪の様相を呈し始めた。
入学当初、マルーネ嬢と仲良くしていた筈の、下級貴族の令嬢たちが排除され、代わり高位の令嬢たちが側に付き、さらに、その彼女達の婚約者たる、この国の未来の重鎮たちが、取り巻きを形成していった。 マルーネ嬢はまるで王女殿下かと思われる様な、特別待遇を与えられるようになった。
そんな中、マルーネ嬢は、「 聖女 」として、ついに社交界に出た。 周囲の貴族は様々な思惑の元、彼女に近寄り、彼女の勘違いは加速する。ついには、彼女を取り込もうとする大貴族が出始めるに至って、事態は急変する。
奔放な性格は、マルーネ嬢の母親から受け継いだのか、男性関係でも遺憾なく発揮される。 差し出される好意は、全て受け取る。 たとえ、それが、婚約者がいる男性だろうと。 にこやかに微笑み、生来の性格からか、貴族社会には無い、極めて無防備な話し方で、彼等に対していた。
異分子が、それまでの秩序を、揺さぶったのだった。 少なくとも私の目からはそう見えた。 良い意味では無く、悪い意味で。
そう、婚約者を持つ男子生徒が、一方的な婚約破棄を行うに至る。
それまで、親しくしていた、高位貴族の令嬢達からも、彼女の行動が行き過ぎた物だと、批判されるに至ったのだが、時すでに遅し。 彼女達の婚約者たちはすでに、それぞれの実家からの思惑もあり、反対に糾弾されてしまう始末。
不幸な事に、このような事態になった、この世代に、王族の子弟が学園には居なかった。 そう、だれも、この事態を止める事が出来なかった。 気が付いた時には、もうすでに手遅れの状態だったのだ。 現在、王立学園に在籍している者の中で最高位は、アドラール公爵家の御令息、ユークトだった。 彼にもまた、婚約者がいた。
彼女の名前は、そう、ルーデンベルグ侯爵令嬢である、ドロテア様…… 類まれな魔力の持ち主。 漆黒の真っ直ぐな髪、深い藍色の瞳、抜ける様に白い肌。 優雅な所作。
秘匿されては居たが、彼女もまた 「 聖 」属性の持ち主だった。
物静かな、彼女は、マルーネ嬢の騒動を遠くから、そっと見詰めていた。 現状、「 聖 」属性の試練を全てクリアしたのは、この世代、彼女を含め二人だけだ。
そして、それは、起こった。
起こってしまった。
ユークトの暴挙に
盾となれるのは、
あの場では、私しかいなかった。