思い出してしまう、その日
煮詰まったので、ちょっと、息抜きに。
ここは、王都の魔法具店。
店先に並ぶ魔法具は、どれも飛び切り精巧なモノばかり。 店の中には、愛しい妻がいる。 お客様に、お茶をお出ししている。 振り返る彼女の、短い黒髪がふんわりと揺れる。 にこやかに、楽し気に笑う、そんな彼女に、心の中がボンヤリと温かくなる。
そんな妻を見ながら、今頃の季節になると、ふと思い出す。
窓の外には、聳え立つ、王宮と王立学園の建物が見える。
あれから…… 何年、経たのだろうか。
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国王陛下主催の、卒業記念舞踏会。
毎年、いささか煌びやかすぎる、この舞踏会で、王国学園の卒業者予定者は皆集まる事になっている。下学年の高位貴族も居るが、今日の主役は、卒業生たちだった。
まだ、国王陛下が御出座になる前、出席者が揃っている中、アドラール公爵家の御令息、ユークトが、良く通る声で、言葉をつむき出した。 豪奢な金髪、透き通る碧眼、整った顔立ちは、たとえ婚約者が居られても、高位貴族の御令嬢達の溜息と濡れた視線が集中する。
「卒業記念舞踏会が始まる前に、告げねばならん事がある。 皆、良く聞け。 アドラール公爵家、次期当主のユークト=ウーノ=アドラールが宣言する。 婚約者の、ルーデンベルグ侯爵令嬢である、ドロテア=ヌーリ=ルーデンベルグとの婚約を破棄し、ここに居る、ムスタル子爵……いや、伯爵令嬢 「聖女」マルーネ=ムスタルとの婚約をここに、宣する」
周囲の令嬢、令息が息を飲む。 出席している大人達の中にも動揺が走る。 してやられた、という顔。 どうだと言わんばかりの、テラついた笑顔。 そこに集う者達の交錯する思惑。
「理由を、お聞かせいただけませんか?」
凛とした声がした。 漆黒の真っ直ぐな髪、深い藍色の瞳、抜ける様に白い肌。 優雅な所作。 大貴族のルーデンベルグ公爵家の至宝と言われている彼女。 四方を圧する気品があった。 彼女の声は、静まり返っているボールルームに広がった。
「お前が、「聖女」を、苛んだからだ。 周囲の貴族の令嬢を先導してな。 「聖女」に対する態度すら、なっていない。 そんな者を我が妻になど、するとでも思ったか! 証言ならば、いくらでも有る!!」
そう口にする、ユークトの視線の先には、視線を伏せる、彼の取巻き達の元婚約者たち。 冷たい視線を彼女達に投げかけた、ドロテア様は、ふっと溜息をつかれると、口をお開きになられた。
「存じ上げません。 ユークト様が婚約を破棄すると云うのならば、従いましょう。 しかし、名誉を傷つけられては、困ります。 証人と云われましたが、ここ一年、彼女達とは、交流はおろか、口もきいておりません。 そんなわたくしが、何をできますか」
「聞く耳は、持たぬ。 「聖女」マルーネへの、行い、断じて許しがたい! 衛士! こいつをつまみ出せ!!」
ユークトの言葉に、何人かの衛士が動く。 アドラール公爵家は、王族の遠縁に当たる血筋。 その次期当主の言葉には、ある程度の強制力が働く。 じりじりと間合いを詰める衛士。 冷たい視線のまま佇むドロテア様。 身に覚えのない非難に、戸惑われているのが判った。
「何をしている! 早くつまみ出せ!! おい、バハート!」
ユークトの後ろに控えていた、騎士装束のエルガム侯爵の子息、バハート=エウガムが帯剣を引き抜き、ドロテア様の前に進み出て来た。 その後ろ姿を、卑し気な笑みを湛え、見詰めている、ユークトと、残った取り巻き、そして、マルーネ嬢。
ピタリと帯剣の切っ先をドロテア様に向け、バハートが重く低い声で言葉を紡ぐ。
「女狐、さっさと出て行け。 その身が切り裂かれたくなければな」
キッと、バハートに鋭い視線を向けるドロテア様。 その様子にイラついたか、はたまた、最初からいたぶるつもりか、帯剣を大きく振りかぶるバハート。 こいつ、本当に斬る気だ。 馬鹿な!
途端に足が出た。
もう、形振り構ってられない。 振り下ろされる剣が、ドロテア様に届く前、辛うじてその間に体を滑り込ませることに成功した。 女をいたぶる為に振るわれた剣は、鋭くない。 刀身を左肩から胸にかけて、受け止めた。
噴き出る血潮。
茫然とする、バハート。
私の顔を認識して、狼狽え始めた。
バハートの騎士装束に、私の血が飛び散る。
鋭くは無いが、重い剣。
かなり斬られたか。
「バハート卿、貴殿は、気でも触れたか?」
私の声に、息を飲むバハート。 沈黙が続くボールルームに悲鳴が轟くのが聞こえた。 騒然とした部屋に怒号と、悲鳴が交錯する。 その状況を作り出した、馬鹿者共は怯えた表情を浮かべながら、引き下がった。
いや、逃げ出したな、あれは。
よし、ドロテア様には危害はもう加えられないだろう……
良かった。
本当に良かった。
ちょっと、血を流し過ぎたか。 足元から力が抜ける。 情けない、自分の体が支えられない。 崩れ落ちてしまった。 噴き出す血潮に、手が触れられる。 ぼんやりとした、視界の中で、ドロテア様の深い藍色の瞳が、見えた。 なにかを叫ばれて居られるが、良く聞こえない。
ドロテア様……
「何故です!! なんで、こんなことを!!! コスタス様! コスタス様!! コスタス様!!! お気を確かに!!!!」
遠くで、ドロテア様の声が聞こえた様な気がした……
意識が遠のき、白濁の世界に落ちる。 グラスティア筆頭公爵家の長男として生まれ、生きて来た、私、コスタス=アジーン=グラスティアの最後がこれか……
愛しい人を護れた事が、誇れるか。
言い出せなかった、この想いは。 ずっと私と共にあった感情。 ドロテア様が アドラール公爵家、次期党首のユークト=ウーノ=アドラール の婚約者となっと時に、封印した気持ち。 溢れたはしまったがな、こんな形でな。
栓無き事……か。
恋愛物が書きたくなったのです。
後悔はない。