事件
名栗花子が多北重翔に出会ったのは高校受験を控えた中学三年生の春だった。
成績が伸び悩み、模試の結果志望校合格B判定だった花子はモヤモヤしていた。
好きだったアイドルの追っかけも辞め、子供の頃から続けていたピアノのレッスンも辞め勉強に専念しているのに……。
自分は何の為に勉強しているのか?
自分は何になりたいのか?
中学生にありがちなフラストレーションの渦に例に漏れず花子も陥っていた。
そしてある日間が指した。
いや、魔が指したと言うべきか。
塾帰り、どうしても真っ直ぐ家に帰るのがイヤで夜の繁華街へ向かったのだ。
と言っても中学三年生の花子に入れる店は少なく、、、いやほぼ無く。
仕方なくコンビニで炭酸飲料を買い公園で1人ブランコに揺られていた。
するとドラマみたいな事が起きた。
「なあ君、こんな夜中に1人でなーに黄昏ちゃってんの~?」
酒臭い。
自分より10歳くらい上のチャラついた如何にもたちの悪そうな男が声を掛けてきた。
「暇ならさ~、お兄さんとホテル行こうよ~?」
何を言われているのか理解出来なかった。
オドオドしていると無理やり腕を捕まれた。
「こんな時間に1人でこんな場所に居るってことは売り目的だろ?2万か?3万までなら出すよ~?」
朧気ではあるけれど何となくこの男の目的が理解出来た。
そしてその瞬間……恐怖が込み上げてくる。
自分がこの後何をされるのか……何となく想像がついた。
「いや!離してっ!私はそう言うんじゃ無いから!」
「あ!?ウルセーよ!!暴れんじゃね……ぇ……。」
セリフの途中で男は引きつった表情になり、泡を吹いて股間を抑えながらうずくまった。
「おいお前!ボーッとして無いで逃げるぞ!」
さっきまでの汚らわしい大人の手では無く、少し柔らかい同年代の男の子の手が花子をその場から引っ張り出した。
走る事5分弱、明るい表通りまで出たところで2人は足を止めた。
「おい!お前みたいなヤツが夜中にあんな公園に居たら危ねーぞ!なにかんがえてんだ?」
息を切らしながら花子を怒鳴りつけてくる少年。
髪は染めれていて耳にはピアスをしている。
服装も派手で全体的にチャラい。
普段の花子なら絶対に関わらないタイプの人間だ。
しかし、
「あ……あの!助けてくれてありがとうございます!」
「ああ、この辺は飲み屋が多くてタチの悪い酔っ払いがいっぱいいるからな。マジで気を付けろよ!」
しかし、この時の花子にはこの同世代の少年、多北重翔が……白馬に乗って現れた王子に見えたのだ。
「あの!貴方の名前を教えて下さい!」
間も無くして、花子と翔は交際を始めた。
翔は決して品行方正な若者では無かったが、受験で疲れきった花子にとっては翔と過ごす日々はとても新鮮で面白かった。
それに何よりも花子にとても優しかった。
交際がちょうど良いカンフル剤になったのかもしれない。
花子の成績も上がり、志望校にも無事合格した。
2人が付き合い始めて丁度3年が経つ頃、事件は起きた。
翔が最近ニュースでよく耳にしていた連続暴行犯に襲われ入院したのだ。
知らせを聞き慌てて病院に駆け付けた花子が見たのは、見た事の無い機械と様々なコードで繋がれた翔の無残な姿だった。
「翔?……翔?何でこんな事に……?」
翌日の新聞記事の端に、翔の事件は小さく掲載された。
[不良学生、夜の繁華街で暴行される]
「ちがうのに……翔は確かに派手な格好はしているけど、不良なんかじゃない。お願い、早く目を覚まして……。」
しかし花子の祈りは届かなかった。
翔は何日たっても、何週間たっても、何ヶ月たっても目を覚ますことは無かったのだ。
「許さない!許せない!翔をこんな目に遭わせた犯人も、翔を不良扱いしたメディアも、絶対に許すことは出来ない。……私がいつか、この手でカタキを取るんだ!」
それから花子はボクシング、空手、柔道、合気道、多種多様な格闘技を学び始めた。
いつか敵を取るために。
翔の仇を打つために。
ただただ自分を鍛え続けた。
2年弱の時が過ぎた頃、花子は自分の限界を悟る。
元々温室育ちで格闘どころかスポーツにさえ無縁の生活をしていた花子には才能が無かった。
確かに一般的な女子と比べればだいぶ鍛えられた肉体にはなったが、暴漢とやり合えるかと聞かれると不安要素の方が勝る。
しかも伸び代もほとんど無いような気がした。
花子は絶望した。
翔のカタキを自分は打つことが出来ない。
そもそも警察にも捕まっていない犯人をどうやって見つければ良いのだろう。
目の前が真っ暗になった。
……その時、頭の奥の方から声が聞こえた。
「ふむ、もう直ぐ堕ちるな。」
?!?!
突然聞こえた低音の声に戸惑う花子。
切望の余り幻聴が聞こえたのだろうか?
しかし、声はそんな自問自答に答えてきた。
「幻聴では無い。我が名はアエーシュマ。このままではお前は愛しい男の仇を取ることは叶わんなぁ。」
驚きよりも仇を取れないと断言されたショックの方が花子を硬直させた。
「だが、1つだけ方法が有るぞ?」
得体が知れない声だったが、思わず叫んでしまう。
それほどこの時の花子は追い詰められていた。
「方法が有るなら教えて!仇を取ることができるなら私は何でもする!!何にでもなる!!」
声の主が不気味に微笑んだ気がした。
「ならば俺に体と心を委ねよ!何者にも屈しない強さを与えてやる!!」
自分の体と頭の中に真っ黒いノイズが入って来る感覚に襲われ、そして花子の視界は……闇夜に堕ちた。




