雇用
大急ぎで駆けつけた病院で待っていたのは、驚いたような母親の顔だった。
悪魔シャックスとのリンクが切れた俺の頭は段々とモヤが晴れていき、病院につく頃には正しい記憶を取り戻していた。
数週間顔を出さなかった俺が突然汗だくで病室に飛び込んできたんだから母親が仰天するのも無理は無い。
思えば悪魔に取り憑かれていたとはいえ親不孝な事をしてしまった。
「ご……ごめん、母さん。」
思わず謝った俺の頬から、安堵の涙が零れた。
恥ずかしい。
そんな俺の何かを察したのか、母親は黙って頷くと俺を抱きしめた。
数週間後、母親は無事退院しアパートに戻った。
同じタイミングで推し量ったかの様に父親から母親宛に離婚の慰謝料と俺の養育費が振り込まれた。
その額、何と破格の四千万円!
俺を大学まで通わせ、当面の生活費も困らない十分過ぎる額面だ。
後日実家を見に行ってみると、家は無くなり駐車場になっていた。
聞いた話では付近の外車販売店に土地を売って何処かに引っ越したらしい。
四千万円の出どころは家の売却だった。
母親は首をかしげていたが、俺には誰の仕業か検討が付いていた。
……拳龍氏夏人……
恐らくあの人が手を回したのだろう。
どんな手段でおどしたんだろうか?
変な人脈とかが有るのかも知れない。
……結局あれ以来、夏人さんとは会っていない。
名前以外何にも知らないのだから仕方ないんだけれど。
まだきちんと礼も出来ていない。
もしかしたら、2度と会うことは無いのかもしれない。
そんな予感がした。
しかし翌日、俺の予感は見事に打ち砕かれた。
もちろん、拳龍氏夏人本人によって……。
「作田ぁー!作田者人ぉーー!!」
昼休みの中学校に響くには少々違和感のある叫び声。
「モノヒト居るかー!!居るなら出てこーい!モーノーヒートーォ!!」
俺の顔が真っ赤になるのが解った。
学校の教室であからさまに中学生には見えない年上の男に自分の名前を連呼されるのがこんなに恥ずかしいとは……。
「ちょ!?ナツヒトさん!?何叫んでるんですか!!」
俺の姿を見つけるなり夏人さんがものすごい勢いで迫ってきた。
「やっと見つけたぞモノヒトぉ!久しぶりだな。話がある。ちょっと面貸せ。」
クラスメイトの視線が痛い。
あー後でなんて説明しよう……。
「と、ともかく1回外に出ましょう!出てから話聞きます!」
これ以上目立つのはゴメンだ。
俺は慌てて夏人さんを教室から連れ出した。
俺の住む埼玉県川越市は小江戸とも呼ばれ、ちょっとした観光地でもある。
ただ、観光に訪れるのは外国人や高齢者が多く若者にとってはやや退屈な街である。
そんな街に最近出来た少しお洒落な大人向けのカフェ、[喫茶 浮島珈琲]の一番奥の席に俺と夏人さんは座っている。
中高生のキャッキャウフフした会話や雰囲気が苦手……むしろウザイと思っている俺にとってはファーストフードよりも同級生が寄り付かないこういう雰囲気の喫茶店の方が落ち着くのだ。
まあ、お値段もそれなりにするのが難点だが。
コーヒー1杯500円。
サラリーマンには普通でも中坊には厳しい価格設定だ。
「えーと、改めてありがとう……ありがとうございました。母もすっかり具合が良くなって。あ、あと慰謝料の事とか。」
「いや、別に礼の言葉は要らないぜ。ただ俺は俺の気を晴らすためにムカつくヤツに憂さ晴らしをしただけだからな。」
笑うでも気を使うでもなく無く淡々と返事をする夏人さん。
「礼の[言葉]はいらない、が……しかし、確か言っていたよな作田者人……今度お礼をしますって。」
「は、はい。確かに言いました……ね。」
予想外の言葉に一瞬戸惑う。
「あ、俺、母親が正式に離婚したんで苗字が作田(作田)から母親の旧姓の筆谷に変わったんですよ、筆谷者人です。」
何となく嫌な予感がして思わず関係ない話題を振ってしまった。
「筆谷か。うん、もう紛らわしいし面倒臭いからモノヒトって呼ぶぞ。」
「あ、はい構いませんケド。」
「モノヒト、お前俺の仕事手伝え。」
不意に話を元の流れに戻される。
「……は?」
「俺1人だとちょっと面倒臭い件が発生した。礼だと思って手伝え。」
「え?いやいや、仕事って何ですか!?俺まだ14のガキなんですけど」
「大丈夫だ。大して難しい仕事じゃ無いし、ちゃんと給料も出すぜ。」
給料。
母親から貰っている月5000円の小遣いで喫茶店のコーヒー代をまかなっている貧乏中学生には非常に魅力的な響きだ。
抗えない。
抗い様が無い。
嫌な予感は止まらないが、つい声に出してしまう。
「きゅ、給料は如何程頂けるのでしょうか?」
「日給一万円」
「お引き受けします!!」
間髪入れずに答えてしまった。
「……で、お仕事の内容は?」
夏人さんがニヤリとほくそ笑んだ。
「闇堕ち砕きだ。」
ふむ。
今度は予感的中。
こうして俺、作田改め 筆谷者人は……恩人である拳龍氏夏人の臨時アシスタントのバイトをする事になったのだ。




