正義の業火
俺達は同じ学校に通っていながら、知り合って以来ほんの二日しか経っていない。
加えて俺は政府のエージェントであり、霜月は敵対組織のエージェントだ。
しかし、これは果たして敵同士と言えるのだろうか。
霜月は俺の前で体を横たえたまま静かに寝息を立て始めている。
このまま義手に仕込まれたトランキライザーダーツを血管に打ち込めば、彼を乖離状態に追い込み安全に捕縛できる。
それは『孤なる先導者』の重要戦力の喪失を引き起こす。こちらにとっては非常に有利になるだろう。
国家の為、友の信頼を裏切ろうとした。しかし掌から突き出たダーツは心許なく震えていた。
人生で唯一の友人を手にかけ、死へ突き飛ばせというのか。
政府に捕まれば彼の命は保証できない。きっと誰に知られることもなく死に行くのだろう。
「ん……」
霜月は目を覚ました。
慌ててダーツを格納し、彼の濁った目を直視した。
ぼやけた瞳は俺の顔を見るなり潤み始め、一筋の涙が頬を伝った。
「……怖かった」
「もうゲームはやめだ。他の事をしよう」
「でも、ボクは戦わなきゃダメなんだ。来たるべきジハードの為に……強くならなきゃ……」
「人は必ず弱さを持っているものだ。弱さや欠点を失えば……お前は人ではない何かになるだろう」
「難しくてよく分かんないや」
「とにかく、無理してFPSを続ける必要はない。『孤なる先導者』に何かを投与されているのだろう?」
「うん、きつい薬。VRが本物みたいに感じて、現実は夢の中みたいにふわふわしてて」
「重症だな。医療機関で薬を抜いてもらえば――」
否、無理だ。エージェント・アヴァロンを公共機関に関わらせてはいけない。
ならばどうするべきか。途方に暮れてしまうほど良案は思い浮かばない。
国民が政府に依存し続けた結果、あらゆる公共機関は政府とのパイプを持つようになった。
エージェント・アヴァロンの顔が政府のデータベースに登録されている以上、彼を医療機関に連れて行こうものなら、その時点で捕縛任務を与えられたエージェントが派遣されるだろう。
体から薬が抜けるまで、どうにか霜月を外界から引き離しておく必要がありそうだ。
*
ぼくには不思議な力がある。空を飛ぶことができるし、物も燃やせる。
数キロ先の遠くのものを見たり聞いたりする事もできる。
でも、ほとんどの力は自分で制御する事ができない。
あの日の事は忘れない。家で意識がぶつりと途切れて、気付けば周囲に人魂のような黒い火の塊が浮かんでいた。
それに触れたお母さんは体を病み、ぼくは治療費を稼ぐ為に死に物狂いで働いている。
「……んー、政府の体たらくもここまで来たんだねぇ」
ぼくには全てが分かった。玉露とアヴァロンの内通についての全てが。
きっと彼らは気付いていない。マンションの窓の外に浮かぶ視覚の付いた鬼火に。
玉露くん、相変わらず気に入らないな。ぼくが常に監視していなければ何をするか分からない。
任務に必要なのは遂行能力。人の心は任務の遂行に必要ない。
政府の為にさえ動いていればぼくらは安定して賃金を得られる。
お金をたくさん貯めればきっとぼくの罪も赦される。
玉露くん。きみの裏切りを許すわけにはいかない。政府の為に。ぼくの贖罪の為に。
「東部管轄官に通達。こちらエージェント・蛍火。『孤なる先導者』のアヴァロンの現在地を特定。並びにエージェント・玉露との内通を確認」
『こちら東部管轄官フォクストロット・ノーベンバー。両名を捕縛せよ』
「了解」
*
端末が震える。エージェント・蛍火からの着信だ。
「どうした、蛍火」
『きみはぼくと一緒に仕事をするようになって日が浅い。だから分からなかったんだろうけど……ぼくの目の届かない場所なんてないんだよ』
「……何が言いたい?」
『きみはエージェント・アヴァロンと通じてるよね。政府はきみを逃がさない。今からきみを捕縛しに行くよ。厳重な処分を覚悟しておいた方がいい』
「お前に捕縛任務が割り振られる事は無い筈だろう?」
『本来ならぼくは諜報活動以外禁止されてるからね。だけど……きみはそれだけ重大な違反を起こしたんだよ』
「くだらない。管轄官に伝えておけ。政府内での地位などクソくらえだとな」
窓の外で光が弾けた。思わず目が眩む。
閃光の中から少年が姿を現した。
流れるような金色の長髪、小中学生と見紛うほどの低身長。
政府戦闘員正式装備に身を包んだエージェント・蛍火の姿がそこにあった。
「……直接会うのは久しぶりだな、蛍火」
「こんな形で会いたくなかったよ」
霜月は歯噛みをし、腰の辺りから何かを抜き放った。リボルバーだ。
「ちぇ、政府のエージェントか」
「きみがアヴァロンだね。武器を捨てて投降した方がいいよ」
「やだ。そしたらボクは殺されるもん」
「……まあいいよ、ぼくはきみ達を逃がさない。どこに逃げても……」
蛍火は殺気立ち、呼吸すらも時折忘れているようだ。
直後、どっと空気を振るわせる鈍い音が響いた。
霜月がリボルバーを発砲したらしい。
「無駄だよ」
蛍火の額に着弾する直前、銃弾は高熱で溶かされたようにして地に零れた。
「つくづく厄介だな。政府の高レベル諜報員は……」
「さあ、ぼくは簡単には倒せないよ。どうする?」
蛍火の姿が陽炎のようにゆらめいて見える。
「向坂くん、逃げよ?」
「こいつは転移能力を獲得している。何キロ逃げようが無駄だ」
俺は蛍火を睨み付け、パイルバンカーの使用準備を整える。
「お前との二人三脚も終わりだ、蛍火」