<はじめに><体育の時間>
<はじめに>
教師になる前に、研修会や講習会で児童心理や教育論など難しい話を沢山聞かされて、乃木山小学校に赴任したのです。その年の4月21日でした。
子供達に取り囲まれて、日々を過ごしている毎日でした。
そのうち子供達が「先生、面白い勉強しようよ。体育の時間に山登りしようよ。」と授業に注文を付ける様になったのです。
それを時々カリキュラムに沿って受けてやると、こちらの言うことも素直に聞いてくれるようになりました。
いつの間にか、生の子供から児童心理学や学習指導法を学び、身に付ける様になったのです。
その一つ一つの体験やエピソード等が次の指導の手がかりとなり、その一つ一つが私の思い出になったのです。
教育論や社会評論など何も考えていません。
資料すらありません。
ただ、記憶に強く残っているものを思い出せる限り書き連ねるだけです。でも、これが自分にとっての宝物であると感じます。
<体育の時間>
稲榎市を流れる乃木山川は、子供の頃から魚とりや水遊びをした慣れ親しんだ故郷の風景です。
その上流の乃木山小学校で教師を勤める事になるとは夢にも思いませんでした。
山の子供達だから純朴でおとなしい子供達だろうと思っていました。
ところが、この子供達に大きな刺激を与えられてしまったのです。
ある日の体育の時間、たぶん新緑の頃だったと思います。
突然子供たちが「先生、鉄棒やラジオ体操ばかりじゃ飽きちゃった。山登りやろうよ。」と言い出します。
私は
「学校の勉強は学校でやらなければいけない。校長先生に見つかると先生が叱られるよ。」
「大丈夫だよ。分からない様にやるからさ。」
というやり取りを繰り返しているうちに時間が過ぎてしまいます。
私も折れて、どんな山に登るのか見てからにしようと、校庭から山際の細い山道を下っていくと大きな沢に出ました。
それを右に曲がると、右手に45度以上の急傾斜の崖のような山が聳え立っていたのです。
生い茂っているのは殆どが雑木林でした。
そこまで来ると、38人の児童たちは、男の子も女の子も「わあーっ!!」と歓声を上げて一斉に登り始めたのです。
私は慌てて「止まれ!山を降りろ!!」と何度も怒鳴ったのですが子供達は細い雑木や弦を掴んではぐいぐいと登って行くのです。
まるで猿のように見えました。
仕方なく私も登り始めると、既に4・50メートルもある頂上に登り切った子供達が上から
「その木を掴んで!」
「そっちの石に足を掛けて!!」
と言いながら囃し立てるのです。
崖のような頂上から先は、なだらかな山道になっており、そこから右下を見下ろすと学校の校舎や校庭が手に取るように見えました。
山道を少し登ると右手に下り坂があり、子供達は勝手に下っていきます。
下り坂の途中に古いお宮が建っています。
お宮の表に廻ると、子供達は口々に
「これは水室神社だよ。」
「本社は水室山に祭ってあるんだ。」
と教えてくれます。
田山花袋の「田舎教師」に出てくる「〇〇の山々」の中の一番高い山がここにあったのかと、初めて知り、身をもって経験したのです。
尚も下ると道路に出て、バスの停留所が見えました。
このバスが乃木山から葛城の駅までの唯一の交通機関です。
一時間に1本あるかないか程度の頻度でも、地元の人にとっては貴重な足です。
子供達が突然「先生、マラソンやろう!」と言い出しました。
私は「早く学校に戻らなければ。」という意識があり、心配でもあったので、そこから学校までの2~3百メートルの距離を子供達と走り出しました。
村の中心道路でバスも走りますが、当時は砂砂利で走り辛い道路でした。
学校に着き時間を確認すると、終業5分前くらいでホッとしたのですが、突然、小太りのK君が校庭の真ん中で大の字にひっくり返ってしまったのです。
そして、他の子供達も次々に校庭に寝転び、大の字になってしまいます。
私は半分呆然として様子を見ていたのですが、間もなく授業終了時間の鐘がなりました。
全員がすっくと立ち上がり「先生、体操をやらなくちゃ!」と言うのです。
全く冷や冷やさせられた「体育の時間」でした。
校長先生との最初の面談の時に「活きのいいのを取って置いたよ。」と笑顔で言われた事が思い出されます。
そして、私自身も一つ図々しくなったように感じます。
その後は不思議にも、このような無茶なことは二度と起こりませんでした。




