家族旅行
一
晴天だった。雲ひとつない、青空が頭上に広がっていた。
天気予報では太い眉の天気予報士が、昼過ぎから大雨になると言っていたが、空はまったくそんな素ぶりを見せてはいなかった。まあもっとも、外すことで有名な予報士なので、元からあまり薫は気にしてはいなかったが。
薫は、今日から家にやってくる婚約者のタダユキさんを迎えるために、この青空の下、家の前で待っていた。
最初薫の母が、「タダユキさんと、この家で暮らしなさい」と言ったときは少し驚いたが、自身の身体の状態を考えれば、それが最善の選択であることはすぐに理解できた。薫の家は、「バリアフリー御殿」であった。
薫は小学三年生の頃から車椅子生活を送っている。
小学三年生の夏休み、七月二十七日に、図書館からの帰り道の横断歩道で車に轢かれ、下半身麻痺になったのだ。
そのせいで、薫が毎年楽しみにしていた家族旅行に、その後は一度も行けていない。
轢かれた翌日、親戚達は皆病室で、「助かってよかったね」「くーちゃんが護ってくれたんだね」なんて母の前では言っていたが、いなくなったとたんに「この家呪われてるんじゃないの?」とか「裕子さんと話すと不幸が伝染るよ」なんてぬかしていた事を今でも覚えている。
少し補足すると、「話すと不幸が伝染る裕子さん」は、薫の母だ。薫が事故で歩けなくなった後、引っ越して、家をバリアフリーにしようと言い出したのは彼女である。そして前述の通り、その「バリアフリー御殿」で、暮らすよう言ったのも彼女だ。
補足をもう一つ。
「くーちゃん」は我が家を護ってなどいなかった。むしろ崩壊させていた。いや別に故意に崩壊させた訳ではなかったが。それでも、八割方「くーちゃん」のせいで、薫の家は呪われている扱いをされていたのだ、と薫は思っていた。
死んだ一歳児の事を責めすぎであろうか。
そう。「くーちゃん」は、薫の今は亡き妹である。
「くーちゃん」は、薫が轢かれた年の春休み……正確に言えば三月二十六日に、当時住んでいたマンションの六階のベランダから落ちて死んだのだ。
「タダユキさん来たあ?」
バリアフリー御殿から母が問いかけてきた。
父は、ちょうど家を建て終わった直後、脳梗塞を起こして死んでしまった。この家は、始めからずっと、薫と母とで住んできたのであった。
薫は家の前の路地に目を凝らしたが、タダユキさんの四角い車はまだ見えない。
「来ないねえ」
玄関から出てきた母が呟く。
「だいたい十時くらいには着くから」と昨日電話でタダユキさんは言って、今まさに十時である。
そこから十二、三分経って、
「あんた家の中で待ってなさい」
と、とうとう母はしびれを切らして言った。
「そうするわ」
私は車椅子をターンさせ、玄関のスロープをゆるゆるとのぼった。
この家には階段が無い。廊下は広くとられ、ドアは全て引き戸だ。
いや、正確には一つだけ、普通のドアになっている場所があった。物置である。しかも手前に引くタイプなので、薫はよっぽどの用事がない限りそこに立ち入る事はなかった。
しかし今日、そのドアは開け放たれていた。「タダユキさんが来る前にちょっと整理しなきゃね」と朝、母が言っていたような気がするので、薫が外でタダユキさんを待っている間、ガサゴソとやっていたのだろう。
興味本位で薫は物置に入った。部屋の奥の大きな窓からは庭の物干し竿が見えている。
部屋は黄色の燃えるゴミのゴミ袋やら、よくわからない小物、ほんの少しだけ着た記憶がある服やらで散らかっていた。そして少し埃臭かった。
あまりにゴチャゴチャで動きづらく、薫はリビングでお茶でも飲もうかと一瞬思った。しかし視界の隅で、緑色のノートが積み上げられているのを薫は見つけ、思わず「あ」と声を漏らしていた。
ああ、あれは。「よい子のえにっきちょう」だ。
薫は、ゴチャゴチャの中をのろのろと抜け、「よい子のえにっきちょう」の側に来た。やはり「よい子のえにっきちょう」である。
薫が小さかった頃の楽しみの大半は、旅行と、この日記をつけることだったように思える。毎日毎日、口元を緩ませながら鉛筆を握っていた、と母は言っていた。
それなのに、いつの間にか日記をつけるのをやめてしまったのだ。
薫は一番上の一つを手にとった。うっすらと埃をかぶっている。
一番上にあったのは、ちょうど最初のやつだったようで、ページをめくると「4月1日すいようび はれ きょうから、にっきを、かきます。きょうは、おかーさんといっしょに、スーパーにいきました。」となんとか読み取れる字で書いてある。上には、人っぽいものが二つ……おそらく薫と母が描かれていて、背景は何か四角い建物……おそらくスーパーである。
何ページかめくると、幼稚園の友達について書かれた日があって、ああ、そんな前から書いていたのかと、薫は目をしばたかせた。
どのページどのページにも、母が赤ペンで、ページの半分まで埋めるような大きなはなまるを書いていた。
七月の三十一日のページには、「きょうから、モルディブにいってきます。とっても、あっついです」十二月二十六日のページには「きょうから、フィリピンにいってきます。こっちには、ゆきが、なくて、あったかいよ。」三月二十日のページには、「いま、ひこうきのなかです。あしたは、ギリシャで、およぎたいな。」……休みの度に日記には家族旅行の事が書かれていた。しかし、この三つ以外は、その先なかった。
日記の中で私は、小学生になっていた。
二
4月30日かようび はれ
ことしのゴールデンウイークは、お かーさんのぐあいがよくないので、 りょこうにいけないみたいです。が っかり。
5月10日きんようび はれ
わたしに、いもうとか、おとうとが できるんだって!!おかあさんがん ばってね!!
6月4日火ようび 雨
きょうは、学校で、かん字をならっ たよ。へんなかたちばっかりだった けど、がんばっておぼえたいな。
7月31日水ようび はれのち雨
おかあさんのおなかに、赤ちゃんが いるから、ことしは、りょこうにい けないんだって。ちょっとがっかり したけど、らいねんはかぞく4人でり ょこうにいきたいな!
8月26日月ようび くもり
きょうで、なつ休みはおしまい。り ょこうにいきたかったなあ。
9月15日日ようび くもりのちはれ
おひるに、おかあさんとさふんじん かにいったよ。「いもうとができる よ」っておいしゃさんにいわれた よ。
10月27日日ようび はれ
きょうは、わたしのたんじょう 日!!おとうさんと、おかあさんと いっしょに、トイザラスにいって、 シルバニアファミリーのおうちをか ってもらったよ!とってもうれしか った!
11月14日木ようび 雨
おかあさんが、とっても大きくなっ たおなかをなでなでしながら、「も うちょっとだねぇ~」っていってた よ。赤ちゃんが生まれたら、またり ょこうにいけるね。
12月31日火ようび ゆき
ことしは、はる休みいがいりょこう にいけなくて、あんまりおもしろく なかったな。でも、もうちょっとで いもうとが生まれるから、そしたら またりょこうにいけるよね。たのし みだな。
1月29日水ようび くもり
赤ちゃんが生まれたよ!!名まえは 「くるみ」ちゃんだって!「くーち ゃん」ってよぶね!!いっしょにり ょこういこうね!!
2月7日金ようび ゆき
きのうのよるから、かぜをひいちゃ いました。わしつで、ねていたら、 となりのおへやから、くーちゃんが ないてるこえがきこえてきました。 すぐに、おかあさんがはしっていっ て、たいへんそうでした。
3月18日火ようび 雨
くーちゃんは、いっつもおかあさん にだっこされてて、いいなあとおも います。でも、かおるはおねえちゃ んだし、くーちゃんがかわいいので ゆるします。
3月19日水ようび 雨
「くーちゃんが生まれたらりょこう にまたいこうね」っておかあさんい ってたよね?おとうさんもいってた よね?ねえ?
4月10日木ようび くもり
きょうは、しぎょうしきで、わたし は、2年生になりました。学校でも、 いえでもおねえちゃんです。
5月2日金ようび はれ
いいお天気だけど、ことしのゴール デンウイークは、また、りょこうに いけないって。ちぇっ。「子どもの 日には、ドライブにいこうね」って お父さんいってたけど、りょこう! りょこう!!
6月3日火ようび 雨
学校のテストを、お母さんに見せた ら、おこられた。82点ってそんなに わるかったかなあ?くーちゃんのせ いでイライラしてるのかなあ。
7月26日土ようび 晴れ
ねえなんでまたりょこう行けない の?
8月4日月ようび くもりのち雨
りょこうに行けないのも、お母さん がイライラしてるのも、くーちゃん のせいだ、きっと。
9月17日水ようび 雨
くーちゃんがハイハイできるように なったんだって。おかあさんとおと うさんがずっとくーちゃんのあたま をなでなでしてたよ。
10月27日月ようび 晴れのち雨
きょうは、わたしのたんじょう日! ドライブにつれていってもらって た よ!あと、かえりにケーキを買った よ!おいしかったな。
10月31日木ようび くもり
くーちゃんが、わたしのシルバニア ファミリーのうさぎさんをぺろぺろ してたから、「かえして」ってした ら、くーちゃんがないて、わたしが おこられた。なんで?
11月1日金ようび 雨
「きのうなんでおこられたの?」っ てお母さんにきいたら、「かおるが おもちゃをちらかしてたから、くー ちゃんがぺろぺろしちゃったのよ。 ごっくんしたらしんじゃうかもしれ なかったんだよ。」って言われた。 そんなにちらかしてたかなあ。
11月2日土ようび 晴れ
やっぱりくーちゃんのせいでみんな イライラしてるんだとおもう。ぜっ たい。
12月18日木ようび くもり
りょこうに行けないのはくーちゃん のせいだ。りょこうに行けないのは くーちゃんのせいだ。りょこうに行 けないのはくーちゃんのせいだ。
12月28日日ようび 雪
くーちゃんなんていなければいいの に。くーちゃんなんていなければい いのに。くーちゃんなんていなけれ ばいいのに。冬休みつまんない。
1月1日木ようび 晴れ
じんじゃにおまいりに行ってきた。
もちろん「くーちゃんがいなくなり ますように」っておねがいした。
2月23日日ようび 雪
今日、ニュースで、「赤ちゃんがベ ランダからおちてしぼう」ってやっ てた。お母さんは、「こわいねえ」 って言ってたよ。
3月26日水ようび 晴れ
くーちゃんはいなくなったよ。これ でまたりょこうに行けるね。くーち ゃんけっこうおもたかったな。
3月27日木ようび くもりのち雨
けいさつの人とかがいっぱい来た。 お母さんは、ずっと、「かぎをかけ とけば」って、ないてた。
4月11日金ようび 晴れ
今日は、しぎょうしきだったよ。と ってもさくらがきれいだった。
5月6日火ようび くもり
今年も、けっきょくゴールデンウイ ークは、「くーちゃんがなんたら」 とかいって、どこにも行けませんで した。なんだかさい近、おうちの中 がどんよりしてるなあ。
6月15日日ようび 雨
さい近ずっと雨ばっかりで、お外に 行けなくてつまんないな。でも、今 年の夏休みこそ旅行に行けるね。
7月26日土ようび 雨のち晴れ
お母さんと買い物に行った帰りに、 「あんたが全部やったんでしょ」っ て、お母さんがぽつりと言った。だ まっていたら、「ゆるさないから」 って言って、そこからはふつうのお 母さんでした。すごくこわかった。
三
日記はここで、終わっていた。まだこの後に何ページも空白のページが残っているにもかかわらず、ここで終わっていた。
それもそのはずだ。薫はこの翌日、車に轢かれるのだから。
薫はただただ呆然としていた。いつの間にか外はどしゃ降りになっていた。薄暗い世界の中、薫は像が結べなくなった目を日記に向けながら、震えていた。
タダユキさんが来た音は、もうだいぶ前に聞こえていたが、この部屋に母も誰も来ないということは、母もこの部屋で何が起こっているのか知っているということだ。
これは罰なのだ。そう薫は思った。妹を殺め、それを忘却し、その上幸せな生活を築きかけていた薫への、罰なのだ。
ご丁寧なことに、最後のページまで全て、日記にははなまるがついていた。
母は全てを知っていたのだ。母はすべてを知った上で薫に接し、この家を建てたのだ。
ふと、薫を轢いたのは、もしかしたら母や、母に頼まれた何者かなのではないかという疑念が湧いて出た。しかし、それを確かめる術は無いだろう。それこそ暴露日記でもなければ。
それに、薫には確かめる権利も無いだろう。
なんとなく、窓の外を見た。
窓の外には、どしゃ降りの中、髪の長い女がこっちを見ていた。
髪で顔が覆われていて、こっちを見ているかどうかはわからないはずなのに、薫はなぜだか確信していた。そして不思議と、恐怖はなかった。
ああ、あれは私の知ってる人だな。
薫はそう思った。だが同時に、あれは生き物では無いな、化物だな。とも思った。
あの化物は、私に殺された「くーちゃん」かもしれない。
あの化物は、人を殺めてのうのうと生きてきた、私自身かもしれない。
あの化物は、心の中で私を憎み続けた、母の怨念かもしれない。
そのどれかともわからぬまま、薫はじっと、その化物を見つめていた。
遠くの方から、雷鳴が聞こえた。