1-3
千博と教師の間に割って入った少年は、長身ですっきりとした体型をしていた。
顔立ちは整っており、つんと尖った高い鼻梁と切れ長の目が彼に涼しげな印象を与えている。
髪と瞳の色は、日本人でもなかなかお目にかかれないような深い黒。
肌の色は磁器のように白く、彼は街中でも人目を引くような美しい少年だった。
しかし彼の目つきはどこか危なげで、全身からは鋭いカミソリのような空気が漂っている。
千博は本能的に、少年が危険な存在だと悟った。
身なりはごく普通なのに、触れてはいけないような、そんな一触即発の雰囲気を彼は持っている。
「見たことねぇ顔だな。新任か?」
少年は薄い唇をゆがめながら教師に聞いた。
そのナメた言葉づかいに、男性教師の眉が吊り上る。
「貴様なんだその態度は!? もういっぺん言ってみろ!!」
「こっちはな、聞いてんだよ。『はい』か『いいえ』で答えろ」
教師は千博の前髪から手を放し、少年に掴みかかった。
しかし少年は瞬時に教師の手首を捕まえると、造作もなくひねり上げる。
彼は眉一つ動かしていなかったが、教師は顔を真っ赤にして呻くばかりだった。
「貴様ぁ、教師を何だと思ってる!」
「教師っつったって夢見の森に飛ばされるんじゃ、どうせとんでもないことやらかしたクチだろ? わいせつか、いや、その分じゃ暴力事件か? 依願退職を迫られても、無理やり居座ったってところだろうな」
「きさっ、なんでそれを……」
少年の言ったことは、図星のようだった。
なぜ分かったのか不思議だが、周りの生徒は「やっぱりな」と納得した顔をしている。
少年が突き飛ばすようにして手首を離すと、余程強い力で押しやったのか、男性教師は床に転がった。
「生徒相手に威張って調子こいてんじゃねぇよ。消えろ」
吐き捨てるように言うと、少年は顎をしゃくった。
しかし生徒にいいようにされた教師が、素直に言うことをきくわけがない。
男性教師は立ち上がると、少年めがけて右腕を振り上げる。
「あぶなっ――!」
千博が口を開くのと、少年が教師の顔面に拳を叩きこんだのはほぼ同時であった。
味気ない廊下に、赤い血がしたたり落ちる。
千博は目の前の光景に、ただ呆然とするばかりだった。
向こうから仕掛けてきたとはいえ、ためらいなく教師の顔を殴るなんて信じられない。
助けてもらっておいてなんだが、やはり少年は関わってはいけない人種だと思った。
教師は涙目になりながら、後ずさるようにして走り去っていく。
「おいテメェ。ティッシュ持ってるか」
少年に声をかけられて、千博は我に返った。
慌ててポケットからティッシュを取り出すと、彼は鼻血でまみれた右手をぬぐう。
慣れている様子だった。
本当は話しかけたくなかったが、一応助けてもらったのは事実ので礼を言うべきだろう。
「ありがとう……。その、助かった」
千博が言うと、少年はやや三白眼気味の瞳をこちらに向けた。
強面では決してないのに、改めて見ると彼は凶相というにふさわしい顔立ちをしている。
「二学期早々騒がしいからシメてやっただけだ。つーかデカい図体してるくせに、情けない真似さらしてんじゃねぇよ」
「わ、悪い」
「テメェは転校生だな。まぁせいぜい長生きしろ」
どういう意味だろうかと思ったが、これ以上話をしたくなかった。
なるべく早くこの場から遠ざかれるよう、千博はタイミングをうかがう。
しかし今日はとことん運が悪いらしい。
まるで逃げるのを邪魔するかのように、一人の少女が二人の前へ現れた。
短めのスカートからすらりと伸びた白い足と、長い手足。
現れた少女は、まるでモデルのように均整の取れた体つきをしていた。
長い髪は赤く、瞳も青色をしており、外国の血でも入っているのだろうかと千博は思う。
おまけに少女はアイドル顔負けの顔立ちで、アーモンド形の目はパッチリと大きく、口角は猫のように上を向いていた。
こんな可愛い子が一体何の用だろう千博が思っていると、彼女はいきなり少年目がけてタックルを食らわせる。
「クロのバカーっ! どうしてワタシのこと置いて行っちゃうのっ!?!」
一瞬少女が殴られるかと千博は血の気が引いたが、意外にも少年は大人しく彼女を受け止めていた。
ひょっとして、彼氏彼女の関係なのだろうか。
「うるせぇよキクコ。朝からギャンギャン騒ぐんじゃねぇ」
「どうして先行っちゃったのー。ワタシずっとクロのこと探してたんだよー」
「テメーがアリンコいつまでも眺めてるから悪いんだろーが」
少年が話している最中も、少女は彼の首をガクガク揺すぶっていた。
過激な光景だが、仲がいい証拠なのだろう。
黒い感情が湧き上がってくるのを感じつつも、千博は今がここを立ち去る絶好のチャンスだと思い直す。
しかしいざ足をふみだそうとすると、少年を見ていたはずの少女が突然こちらに顔を向けた。
「アナタ、クロの新しいお友達?」
クロとは誰だと一瞬思ったが、すぐに目の前の少年のことだと察しがつく。
どうも少女は千博と少年が友達だと早合点したようだった。
「あ、いや、俺は友だちじゃないんだ」
「なんで?」
「何でと言われても……」
「なんで?」
千博は答えに詰まった。
友だちじゃないものは、友だちじゃないのである。
そもそも千博は、少年と友達どころか知り合いにもなりたくなかった。
「ま、まだ、名前も知らないしな。だから友だちじゃないんだ」
「名前は鬼灯鳴郎。一年生だよ! クロって呼んでね!」
「なにテメー勝手に名前教えた挙句アダ名まで決めてんだよ!」と、少年、鬼灯鳴郎が叫ぶ。
「それからワタシは鬼灯キクコ。クロと同じ一年生だよ」
「は、はぁ……」
「アナタのお名前はなーに?」
横で鳴郎から怒鳴られてもどつかれても、鬼灯キクコは彼のことをガン無視だった。
苗字が同じところから察するに、二人は恋人ではなく兄妹なのだろう。
学年が一緒だから二卵性双生児か。
「俺は氷野千博。二人と同じ一年生だ」
真正面から名前を聞かれて無視することもできず、千博は答えた。
「あっ、そうなんだ。アナタ見たことないから転校生ね」
「ああ」
「名前分かったから、これで千博とワタシとクロはお友達だよっ」
キクコは満開の笑みを千博にこぼした。
まだ友達になるなんて一言も言っていないのだが、喜ぶ彼女を見るととても断れない。
まぁ鳴郎の方もこちらと仲良くする気はないだろうし、実質的につながりができたのはキクコだけである。
「もう満足しただろ。行くぞ」
「またねー。『なりかけさん』」
(なりかけさん?)
意味が分からずキクコの目を見ると、彼女の瞳はゾッとするほど暗かった。
見間違いかと確かめようとするが、もうキクコはこちらに背を向けて歩き出している。
(なんなんだ、あの兄妹は……)
教師の顔面を躊躇なく殴る鳴郎と、その妹らしきキクコ。
キクコの方は兄とちがって無邪気そうに見えるが、少し人との距離感がおかしいようにも感じる。
一瞬やたらと目が怖かったし、兄妹そろって曲者なのは間違いないと千博の直感が告げた。
あの二人には、なるべく近づかないようにしよう。
千博はそう決めると、気を取り直して職員室を探す。
幸い案内板を見つけられたので迷うことはなく、部屋の前まで来た千博は深呼吸をした後、ノックを忘れずに扉を開けた。
近くの教師に転校生であると告げると、着いてくるように言われる。
案内された先には、これから編入するクラスの担任が座っていた。
おそらく定年間近だろう、白髪の目立つ男性である。
茶色い眼鏡の奥には優しそうな目がのぞいており、良さそうな先生だと千博は一安心した。
先程の男性教師のような担任に受け持たれたらたまったものではない。
その後千博は体育館の後ろで始業式に参加し、それが終わるといよいよ新しいクラスに足を踏み入れる番となった。
体が大きいので最低でもイジメには合わないだろうが、転入の挨拶は非常に緊張する。
ひどく騒がれて質問攻めになるだろうか。
それともよそ者だと拒絶されるだろうか。
期待と不安を抱きながら、千博は担任――三上という――に促されて教室に入る。
しかし緊張する千博を出迎えてくれたのは、拒絶と歓迎、そのどちらでもなく、うつむく生徒たちと葬式のように重苦しい空気だった。
夏休みが終わったにしても暗すぎる雰囲気に、千博はギョッとする。
軽く辺りを見渡すと、窓際の席に菊の入った花瓶が置かれていた。
(ひょっとして、夏休み中に誰か死んだのか……?)
千博の予想は大当たりだった。
三上は千博を生徒たちに紹介するより先に、声を詰まらせながら言う。
「もう知っている人も多いかと思いますが、三日前の夕方、原西君が亡くなりました」
千博は気まずさに息をのんだ。
室内にさざ波のように広がる、嗚咽と鼻をすする音。
まさかこっちがこの街に来たその日に、亡くなった生徒がいようとは。
「死因はまだ分かってなくて、警察が調査中です。これはあまり言ってはいけないのかもしれませんが、他殺の疑いもあるということなので、皆さん外を歩くときは気を付けてください……」
三上は言い終わると、メガネをはずして目頭を押さえた。
生徒達はまるで今が通夜かというように、全員下を向いている。
千博は死因が他殺かもしれないという事実に、絶句する他なかった。
亡くなった生徒を痛ましく思う気持ちと、とんでもない時に転入してしまったという思いが交錯する。
三上はしばらく泣いた後、気を取り直したように上を向いた。
「それから、皆さんに新しい仲間ができました」
千博は自分の転入の挨拶がまだだということを思い出した。
三日前に生徒が亡くなったという衝撃的な事件を聞いて、すっかり忘れていたのだ。
「ご、ご紹介にあずかりました。氷野千博です……」
あらかじめ挨拶は考えてあったのだが、あの話の後で長々喋るのも気が引ける。
結局千博は名前と出身地、好きな食べ物というしごく無難な自己紹介をして転入の挨拶を終えた。
三上に一番後ろの真ん中の席に座るように言われ、教壇を降りる。
一体どんな生徒が隣になるのかと思いながら進めば、なんと空いた机の左隣りには鬼灯鳴郎が、右隣には鬼灯キクコが座っていた。