4:私はほのかのためになることがしたいのだ
改めて調べたところによると、内側に青空が描かれた傘はスカイアンブレラといい、本来MoMAことニューヨーク近代美術館のショップアイテムらしい。日本でも一部の美術館やセレクトショップなどで売っているけれど、数は多くない。だが何のことはない、それをパクった類似商品が幾つか出ている。
映画を観終わって訪れたモール内の傘屋には、そのパクリすらなかった。
「うーん……ないね」
一渡り店内を見終わって、私は呟いた。
「実物見るのを楽しみにしてたんだけどな、残念」
「地方の普通のモールにそんなに期待しちゃいけないってことだね」
もうちょっと遠出すれば、流行りのアウトレットモールなどがあり、あそこなら売っているのかもしれない。でも、少なくともここにはない。
「通販でなら確実に買えるみたいだったけど……どうする? ここで他の傘を買った方が、現物確かめられていいよね」
「うーん……」
迷っているようなので、とりあえずもういっぺん品揃えを見て気に入ったのがあったら買えばいいよ、これとかどう、と差し出した白っぽい傘は、ろくに見もしなかったので日傘だった。
それでも一応ほのかがさしてみると、白くてふわふわした傘が雲、コバルトブルーの服が海のようで、よく似合っていた。
褒めるとほのかは照れ臭そうに、でも素直に喜んだ後、何故か小さく首を振って傘を畳んだ。
「やっぱり青空の傘を買う」
いつの間にか迷いの陰は微塵もなくなっていた。
「いいの? 通販ってちょっと不安じゃない?」
「いい」
きっぱりとした言い方だった。けど、今度はどうにか理由を聞けた。
「どうして?」
「キミちゃんの推薦だから」
その言い方は冗談めかしたものでも妙に真摯でもなくごく自然だったが、私を戸惑わせるには十分だった。
「ええと。信用してくれるのは嬉しいんだけれど、私も自分で使ったわけじゃないし、そもそも実物を見たこともないから……」
「いいの」
ほのかは私の声を遮る。
「キミちゃんが教えてくれたってことが大事なんだから」
「……そっか」
それ以上の追及はしなかった。できなかったのではなくしなかった。
ほのかはどうなのか知らないが、私は、人から何かを薦められた時、その薦められたものと薦めてきた人を切り離して評価することはできない。たとえば、嫌いな相手から映画や音楽を薦められたとしたら、実際その作品が好みだったとしても素直に好きになることはできない。その映画を見直すたび、その音楽を聴くたび、嫌いな奴のことが頭に浮かんで不快な気分になる。そして、好きな相手から薦められたものには逆の現象が起きる。
ほのかはその、逆の現象が起きると言ってくれたのだろうか。私がほのかに十分に好かれているという楽観的な予測を立てればそうなるけれど、あまりに楽観的すぎやしないだろうか。
なんて、陳腐な漫画みたいに、極端に鈍感なふりはやめよう。ほのかは多分、私にある程度以上に好意を向けてくれていて、日常使う傘が私に関わりのあるものだったら、それだけで少し気分がよくなってくれるのだ。
嬉しかった。凄く嬉しかった。それは当然嬉しかった。
でも、少し困っていた。より正確に言えば、少し後悔していた。スカイアンブレラ、ないしそのコピー商品の使い心地を私は知らない。何の保証も信用もできない。女性用としては大きめで重いというレビューもあり、小柄なほのかには使い辛いことも大いに考えられる。それは、凄く嫌だ。
たとえ使いづらくても、すぐに壊れても、ほのかはまず間違いなく私を責めない。私のせいだと思うことすらないかもしれない。責任を問われるのが嫌なのではないし、もし私のせいだと思われたって別にそれはいい。
私はほのかのためになることがしたいのだ。ほのかのためになることだけを。それがほのかを好きでいることの権利で義務で、証明だ。
だから、安易にスカイアンブレラを薦めたことを後悔していた。太鼓判を押せるものを紹介すればよかった。せめて、通販でしか買えないなんてものじゃなければよかったのに。
「……もし届いて気に入らなかったら、私に売ってよ」
善後策のつもりだったけれど、断られた。