え、元婚約者……? 知らない人ですねぇ。
「エディット・ド・バルビエ! お前との婚約を破棄する!」
ここは王立魔法学園のど真ん中。
大勢が集まる中で私は婚約者リュシアン・エティエンヌ・エトナラティア王太子殿下に私はそう告げられた。
彼は自分と腕を組む女性、サンドリーヌ・ド・カバネル男爵令嬢。
リュシアン殿下はサンドリーヌ様を示して言う。
「お前は聖女であるサンドリーヌに嫉妬し、虐げ、彼女に嫌がらせを続けた!」
――聖女。
傷や病を癒したり、古来に存在した魔王が各地に残したという『呪い』と呼ばれる災害に対抗する力を持つ、極稀な体質の女性。
世界中でも数える程しかいない聖女達は、神に選ばれた神聖な存在として優遇される。
我が国で聖女の力『聖魔法』を扱える事が確認されているのはサンドリーヌだけ。
爵位は心許なくともその力から彼女は王族すら無視できない特別な存在として見られてきた。
そして、リュシアン殿下は侯爵家の娘である私よりも聖女である彼女に惹かれたのだ。
元々魔法の才があった私が、彼の劣等感を擽っていたのもあるのだろう。
彼はサンドリーヌを虐めたという、私を責め立てる条件を見つけた途端にこうして強気な姿勢に出たのだ。
尚、私はサンドリーヌを虐めてなんていない。
とんだ言い掛かり――冤罪だ。
その後もリュシアン殿下とサンドリーヌは私の虐めに関する主張を続けたけれど、その全てが証拠すら出ない、口先だけのもの。
「全て身に覚えがありません」
「嘘を吐くな! 卑しい女が!」
私は事実を述べる。
けれどその言葉を信じる者はいなかった。
サンドリーヌもリュシアン殿下も、そして――周囲の生徒も。
何故なら聖女は神に選ばれた存在と呼ばれていたから。
神に選ばれるような神聖な存在が、誰かを陥れたりなどする訳もないから。
サンドリーヌはそこへ更に王太子という後ろ盾まで手に入れた。
私の運命は、この場に立たされた時から決まっていたのだ。
証拠不十分。
私に直接的な罰が下される事はなかった。
しかし幼い頃から交わしていたリュシアン殿下との婚約は白紙になり、長年努力してきた淑女教育は全て無駄になった。
おまけに私は社交界で悪女として囁かれるようになり、周囲からは笑われるか蔑まれるかのどちらかだった。
そして周囲の評価は我が家にも影響を及ぼし……『聖女を害する悪女の家族』として私と同じように腫れ物のように扱われるようになった。
リュシアン殿下は、サンドリーヌという女性を手に入れ、私へ憂さ晴らしをする為に私の日常を奪ったのだ。
母は心を病み、痩せ細って行き、自室で泣くようになった。
父は貴族の後ろ盾がもらえない中で何とか財政を保とうと仕事を詰め込むようになり、兄は後ろ指を指される私を庇い続けた。
朝起きてドレッサーの前に立てば、虚ろに濁った目と毎日視線が合った。
家族は誰も私を責めなかった。
サンドリーヌへの虐めが嘘であると、私がそんな事をする訳がないと信じてくれていたのだ。
だからこそ余計にやるせなかった。
せめてそんな家族に少しでも報いることが出来るよう――この悪評を覆せるようにと私は学業に打ち込んだ。
態度で示す事くらいしか、私に出来る事はなかった。
けれど、私が総合成績で首位を維持するようになると、誰もが不正を疑った。
終いにはリュシアン殿下という圧力に屈した学園が別室での試験参加を提案してくる始末だった。
私の王太子妃となる為の長年の努力は簡単に奪われるのに、それを取り返す事はあまりに困難だった。
憎かった。
リュシアン殿下とサンドリーヌが。
彼らと廊下ですれ違う度、彼らが私に皮肉を浴びせる度、怒りで頭が沸騰しそうだった。
そんな日々が続いたある日。
衰弱していた母が倒れた。
「バルビエ侯爵夫人が倒れたそうよ」
生徒が囁く声が聞こえる。
その中で――一際大きな笑い声があった。
「あんな忌むべき女を産んだんだ。当然の報いだろう」
リュシアン殿下だった。
「も~、殿下、言い過ぎですよぉ」
甘えるような不愉快な声でサンドリーヌが言う。
その声は明るく弾んでいた。
ぷつん、とふいに糸が切れるような。
そんな風に、私がギリギリで保っていた理性が消えた。
――ああ、もういいや。
こいつらのせいだ。
こいつらがいなければ、私は今も家で笑顔のお母様に出迎えてもらえていた。
父が領地経営に苦しむ事もなく、家族皆で談笑しながら食事がとれていた。
私を庇うお兄様の背を見ながら罪悪感と無力感に苛まれる事もなかった
幸せな日常があったはずだった。
こんな奴らさえいなければ――
そんな怒りが先行した私は冷静さを掻き、ふらふらと二人へ近づいていく。
明確な殺意があった。
学園の首席である私の魔法なら、至近距離から人を殺めることだって容易い。
「何だ、その目は」
これから何が起こるかもわかっていないリュシアン殿下は暢気に私の目つきを気にしていた。
私は彼の問いに答えることなく、魔法を使おうと手を持ち上げ――
「――エディット・ド・バルビエ」
魔法を使う直前、私は背後から手を掴まれる。
驚いて振り返れば、紺色の髪と美しく整った顔を持つ男子生徒が立っていた。
彼は手を掴んだままそれを引いて、正面に私を立たせた。
「で、あっている?」
想定外の出来事。無関係な人物の乱入。
それらによって私の思考は僅かに冷静さを取り戻していく。
「……は、い」
学校では見かけたことがない顔。
けれど見覚えはあるような面影を感じる。
怪訝に思いながら頷けば、彼はパァっと顔を輝かせる。
「ああ、よかった! では君がこの学園の首席と言う訳だね」
こんなにも好意的な反応をされたのはいつぶりか。
私が驚いていると、彼は明るい声のまま続ける。
「僕はセザール・フェルディナン・エトナラティア。エトナラティア王国の第三王子だ。面識はあったと思うけれど……覚えているかな」
「せ、セザール……殿下……?」
第三王子、セザール殿下。
幼い頃からリュシアン殿下と婚約していた私は彼と面識があった。
とはいえ、セザール殿下は記憶の中の姿よりも随分成長し、以前から囁かれていた美しい顔立ちもより麗しくなっていた。
彼は数年前から隣国に留学していた。
確かに最近帰国し、この学園へ編入することは決まっていたが……どうやら私が周囲から孤立している間に編入していたらしかった。
私がセザール殿下の名を反芻すれば、彼は頷きを返す。
「そう。魔法の知見を深める為に留学してきて、最近戻って来たばかりなんだ。こちらの学園は留学先とカリキュラムも違うから戸惑うことが多くて困っていてね。王族が編入してきたとなると皆近寄りがたいみたいだから」
恐らく近寄りがたさを感じたのは王族である事だけではないだろう、と私は思った。
宝石のように透き通った金色の瞳に長い睫毛、通った鼻筋、きめ細やかな肌に薄くも艶やかな唇。
彼の美貌は声を掛けるのを躊躇してしまう者も出てしまいそうな程だったのだ。
「は、はぁ……」
「そこで、だ」
何故か自分の悩みを話し始めたセザール殿下に困惑していると、彼が両手で私の手を包み込んだ。
「もしよければ、僕に勉強を教えてくれないかな」
周囲がざわめき立つ。
また、リュシアン殿下は顔を強張らせサンドリーヌは何故か怒りを滲ませて私を睨んでいた。
「セザール。そいつはやめておけ」
「兄上」
「お前は戻って来たばかりだから知らないだろうが、そいつは、聖女を虐げるような悪女だぞ」
「悪女?」
不思議そうに首を傾げるセザール殿下へリュシアン殿下が忠告する。
セザール殿下は私をまじまじと観察した。
この頃にはすっかり冷静さを取り戻していた私は小さく息を吐いてから頭を下げる。
「……私は、殿下に物を教える身としては相応しくはないかと。是非、他のお方をお探しください」
「……うーん?」
返されたのは何とも暢気な声だった。
彼は首を傾げてからあっけらかんと答える。
「兄上や、君が言っている事はよくわからないけれど、それって後々僕が判断すればいいよね」
「え?」
「な……っ」
「せ、セザール様……!? そんな……っ、エディット様と一緒など、何をされるか分かったものではありませんわ! でしたら私が代わりに――」
「うーん。でも君は既に兄上の婚約者だし。流石に婚約関係にある女性には頼み辛いかな」
名乗りを上げたのはサンドリーヌだったが、彼女の申し出はいとも容易く突き返される。
それからセザール殿下は私に向き直ると、人の好さそうな笑みを私に向けた。
「どうかな、エディット嬢」
セザール殿下と共にいれば悪目立ちするのは明白。
厄介事が増える可能性だってあった。
普段の私なら断っていたと思う。
けれど、セザール殿下と向き合った私はある事に気付いていた。
鋭く息を呑み、それから――
「……畏まりました。どうぞよろしくお願いいたします」
彼の申し出を受け入れる。
「ああ、よかった!」
セザール殿下が明るく言う。
「これからよろしく頼むよ。――エディット嬢」
美貌による近寄りがたさを中和するような人懐っこい笑みが向けられる。
明るさや優しさ。そんな印象を抱く笑顔だというのに。
――その目は泥のように濁っていた。
ああ、彼はきっと私と同種なのだと私は思ったのだ。
***
「……私の噂、ご存じでしたよね」
昼休憩。
親睦を深める為だとかよくわからない理由で裏庭まで呼び出された私はセザール殿下にそう問い掛けた。
遠目に校舎を見ていたセザール殿下は一足先に木陰で腰を下ろしていた私へ振り返る。
静かな微笑みが浮かべられている。
話を促されていると感じた。
「お勉強の件。サンドリーヌ様が申し出た際に「婚約関係がある女性には頼み辛い」と仰っていました」
それはつまり、私に婚約者がいないと知っていたという事だ。
「誰かから聞いたのかも」
「今、貴族の前で私の名前を出せば、リュシアン殿下との婚約解消以外の噂話も山ほど出るはずです」
セザール殿下は喉の奥で笑った。
否定しない。それが答え。
「君は」
セザール殿下は私の隣までやって来ると腰を下ろす。
「あと少しで死ぬところだった」
王太子、そして聖女。
国の重要人物を害せば当然極刑は免れない。
幸い、あの場で私が激情に駆られた事に気付いたものは殆ど居らず、私の行いについて騒がれるような事はなかった。
「そうだろう?」
けれど、セザール殿下は私の考えに気付いていたようだった。
今度は私が黙る番だった。
この場で否定しないという事は肯定と同義だ。
「死を感じても尚、我が身を顧みず、復讐心に染まった者。僕にとっては都合がよかったのさ」
濁った瞳が私を見る。
顔が整っているからこそ、彼の浮かべる微笑が優しいからこそ、その瞳だけがちぐはぐだ。
「どうせ死ぬなら、僕に利用されてからでも遅くはないだろう?」
あの場で私の手を取ったのは、良心からではない。
明確な打算であったと彼は告げる。
「手伝ってあげよう」
どれだけ外面の良い笑みを浮かべられようと、最早彼の事を先程までの明るく温和な青年だとは見られない。
――悪魔のようだ、と私は思った。
***
後日。
私はセザール殿下に王宮へ招待された。
「ここなら誰かに会話を聞かれる心配もない」
自分に充てられた部屋の一つにセザール殿下は私を招いた。
「王宮の図書館は好きに使えばいいよ。必要なら研究室もあげよう」
テーブルを挟んで互いにソファへ座ったところで、セザール殿下は穏やかな笑みを貼り付けながら言う。
「毒でも魔法でも呪いでも。君が望むもの……もしくは得意とするものを選べばいい」
表情と発言の乖離に少し動揺しつつ私は溜息を吐く。
「あの時は衝動的になってしまっただけで、私は常日頃からあんな思惑を持っている訳ではありません」
「でもリスクがないならそうしてやりたいとは思っているはずだろう?」
事実ではあった。
私の全てを壊したリュシアン殿下とサンドリーヌ。
二人が私の前から消えてくれるならばそれ程喜ばしい事もないだろう。
「でも実際にはリスクしかない」
「家族の事なら僕が責任を以て守ってあげよう。君だって自殺願望者でないというのであれば出来得る限りの逃げ道は用意する。何なら実行する人物は別で用意したって良い」
「笑顔で人を殺す話が出来るような人の言葉を信じろと?」
「そんなもんさ。……王族なんて」
最後の言葉が酷く冷たい声色をしていて、私は思わず息を呑む。
少しの間、私達の間に静寂が下りた。
「……そもそも、セザール殿下は何故このような事をお考えに」
「そんなもの、決まってるだろう? ――王太子になりたいからだよ」
……リュシアン殿下が王太子に選ばれたのはセザール殿下が留学中の事だった。
長く国を離れていた彼は王太子争いの当事者にすらなれなかったのだ。
リュシアン殿下は第二王子。
第一王子とセザール殿下は側室の子で、おまけに第一王子は既に病死している。
リュシアン殿下が王太子となったのは、王位継承権の順位が高い者が王太子の座に就くという順当な流れではあった。
しかし如何せん、リュシアン殿下よりも他の王子が文武どちらにおいても優秀だった。
それ故に王宮内で好まれていたのはリュシアン殿下以外の王子。
それこそセザール殿下を王太子の言う声だってあったという。
彼が留学している間に国王陛下が流行り病で命の危機に瀕するような事が無ければ、もしかしたら今頃、第二王子と第三王子の派閥に分かれて王太子争いが巻き起こっていたかもしれない。
その可能性があったからこそ諦めきれないのだ……という話は確かに納得出来そうなものではあった。
けれど、妙に腑に落ちない。
とはいえ、これ以上踏み込んだとて何かを教えてもらえるとも思えなかった。
それに、彼が自分の思惑――王太子の殺害を試みているという事実を知った時点で、私に決定権はない。
拒否すればどんな目に遭うかなんて、わかり切っていた事だ。
「では私は、リュシアン殿下を王太子の座から下ろす為にセザール殿下に協力すればよいという事ですね」
「ああ。僕はどちらでも構わないが、君が望むなら聖女へも復讐できる場を与えようか」
こんな話を聞かされても落ち着いていたのは、怒りに駆られたあの日、自分の死に恐怖すら抱かなくなったからだろう。
笑顔で恐ろしい事を言う人だ、と私は息を吐いた。
それから。
私は具体的にどのような手段を講じるべきかをセザール殿下と語り合った。
「現実的な点で言うなら毒殺でしょう。新たに作る必要までもなく、何かしらは入手できると思います」
「ただし僕達はどちらも薬学には詳しくないし、何より証拠が残りやすい」
「だからと言って『呪い』は論外ですよ。あれは魔族が使った力であり、人で使える事例はありません。魔法についても……術師がバレないような殺し方が出来るものはありませんから場所を選ぶしかありません。アリバイや目撃者などからバレてしまう可能性がある」
「なら作ればいいだろう? 人が扱える『呪い』、もしくは痕跡を残さず他者を殺められるような魔法を」
何の為に君を勧誘したと思っているんだい? と呆れるような顔をされるが、呆れたいのはこちらである。
「確かに魔法というものは、現代においてもどんどん新たなものが開発されています。しかし、学生が着手する課題としてはあまりにも難易度が高いと言わざるを得ないかと」
「そうかな? 君、学園の課題の論文で魔法の構造の細分化とそこから導き出される新たな魔法の可能性の一例を綴っただろう?」
「な……っ」
「学園の図書館には生徒が書いた直近の論文が保管されている場所もあるからね、事前に確認させてもらった。君の立場から、その実力を認めるものは少なく、面倒事を嫌った学園側もきちんと取り合ってはくれなかったのだろうけれど、あれは随分と完成度が高いものだった」
そう言うと、セザール殿下は手を翳す。
「僕も向こうでは似たような研究をしていてね」
彼の掌の中にはそこから少しだけはみ出る大きさの氷塊と――その内側で灯る明かりが生成される。
その明かりが単なる灯りではない事に気付いた私は目を見張った。
「氷魔法の中に炎魔法を閉じ込めているんだよ」
「そ、そんなことが……」
「僕が作った魔法だ。……自然界では不可能な事だろうけれど、知識と技術によってはその不可能すら可能にする――それが魔法だ」
「不可能を、可能に……だから『呪い』と魔法の殺害という手段を提示したと?」
「ああ」
残酷な話をしているというのに、彼の手の中にある魔法は目を奪われる程美しい。
妙に心が躍った。
「古代の夜に、光は殆どなかった。何故なら光魔法が存在せず、炎以外で明かりを生み出す術を人は知らなかったから。だが今、光魔法は当然のように人々が扱える魔法となり、街灯によって王都の夜は非常に明るい世界となった。これまで不可能である事が、未来永劫不可能である事の証明なんて、誰にも出来やしないだろう?」
「そ、れは、そう……ですが」
「君の魔法の腕は学生の範疇を大きく超えているという評価は耳にしていた。だから気になって、論文を読んだし、そのお陰で確信した。君の魔法の才は一般のそれとは大きくかけ離れている。僕より優れた魔法を生み出す事だって可能なはずだ。だから僕は……君を誘ったんだよ」
心なしか、彼の声が少し明るいような気がする。
魔法を学ぶこと自体は、きっと彼にとって楽しい事の一つなのだろう。
私は小さく吹き出してしまう。
「ん? どうかした?」
「いいえ。話している事は尤もなはずだし、セザール殿下もいきいきとしているのに……それが全て暗殺に絡んでいるという事実が、なんだかすごくちぐはぐで」
セザール殿下は目を瞬かせたあと、私の笑いにつられるように笑みを深めた。
「そう言いながら笑う君の方こそ、変だと思うけれどね」
***
それから、私はセザール殿下と共に魔法の研究を始めた。
どのような魔法であれば、気付かれないかと話し合い、物が不可視化出来る魔法があればいいのではないかという話で纏まった。
セザール殿下も私に全て丸投げするつもりはないようで、培ってきた互いの魔法の知識をふんだんに使い、私達は様々な可能性を追求していく。
意外な事に、彼と過ごす時間はそう悪いものではなかった。
「エディット嬢」
セザール殿下は学園で私に良く会いに来てくれていたし、彼が私を気に入っているという理由で周囲は簡単に私を蔑むような態度を取れなくなった。
「お言葉ですが、セザール殿下。エディット様と一緒にいらっしゃるのはおやめになった方がよろしいかと。彼女は聖女様を陥れる卑しい女性ですわ」
こんな風に言う者が現れる度、セザール殿下は笑顔でこう答えた。
「僕はエディット嬢の卑しさをまだ見つけられていないし……むしろ公衆の面前でそのように他者を貶める発言をする人の方が、好まれたものではないと思うけれどね」
令嬢は顔を真っ赤にして逃げていく。ここまでがいつもの流れだ。
因みにこれと同じ事をサンドリーヌにも行い、サンドリーヌは泣く事さえあった。
彼女はセザール殿下に一目惚れしたらしかったけれど、彼は一切なびかない。
そんな場面に出くわした時は決まって気味が良く、心がすっきりした。
「やっぱり、神様はいないんだろうね」
サンドリーヌを追い払い、二人になった時にセザール殿下が呟いた。
その言葉の意図を理解した私はくすりと笑う。
「ええ。本当に神様が聖女を選んでいるのだとすれば、彼女は選ばれなかったでしょうね」
――そして、私や家族が謂われない罪で苦しむ事もなかったはず。
そんな恨み言を、私は呑み込んだのだった。
研究を進める以外の時間も、私とセザール殿下は共にいる事が多かった。
魔法の研究が好きな私達は単純に話がよく合ったのだ。
そして、そうして時間を重ねていく内に……最悪な利害の一致から生まれたはずの関係は大きく変わっていき、気が付けば私達は、魔法の研究など関係なしに休日に出掛けるような仲になっていた。
この頃には、リュシアン殿下やサンドリーヌへの憎しみも薄れつつあった。
きっとそれは、私の味方でいてくれるセザール殿下の存在が大きかったのだと思う。
ある日の事。
お忍びで街まで出た私達は、平民に扮して屋台で安っぽい軽食を買い、広場のベンチに腰を下ろす。
そして夕日を眺めながらのんびりと過ごしていた。
「……セザール殿下は」
「うん?」
「まだ、研究を勧めたいと思いますか」
セザール殿下は数度瞬きを繰り返した。
彼はすぐに自分の本心を隠そうとする、警戒心の高い人物だ。
きっと今回も簡単にはぐらかされて終わりだろうと私は踏んでいた。
けれど――。
「……わからないなぁ」
のんびりとした声。
その反面、彼が浮かべた笑顔は少し苦しそうだった。
「憎しみは、まだ残っている」
「憎しみ……」
セザール殿下は深呼吸をする。
「僕の家族は、殺されたんだ」
誰に、だとか『家族』が誰を指すのか、とかが伏せられたのは敢えてだろう。
いくら平民に扮していたとて、ここは多くの人が行き交う場所だったから。
そしてその言葉だけで、彼の言いたい事は充分わかった。
――セザール殿下は側室の子。
セザール殿下の母君は王妃様よりも早くに子を産んだ。それが第一王子。
それから少し間が空いて王妃様の子――リュシアン殿下も生まれたけれど、彼は王族としての器を持っていなかった。
その為リュシアン殿下は第一王子や、数ヶ月後に生まれたセザール殿下と比べられてはがっかりされたし、王太子は第一王子の方が良いのではという声も多く上がるようになった。
そして第一王子が学園を卒業し、王子としての公務に努めるようになる時期。
第一王子と彼の母は同時期に病で亡くなった……事になっている。
それが『病』ではなかった。という事だろう。
「母上のお腹には新しい命が宿っていた。僕は突然、家族を三人失った」
セザール殿下が留学に出たのは、ご家族を失ってすぐの事だった。
きっと目的は――自らの死を避ける為。
「それからずっと、僕はあの女を憎んでいる」
最大限潜められた、低い声が、彼の憎しみを物語っていた。
「…………何故、私にそのような話を」
「君が聞いたんじゃないか」
思わず問えば、セザール殿下が小さく吹き出す。
「そうですが……てっきりはぐらかされるものだと」
セザール殿下は、笑いながら私を見る。
「……そうだなぁ」
彼は、私の頬を優しく撫でた。
「僕が君を、気に入ってしまったからだろうね。迷いが、生まれたんだと思う」
「セザール殿下」
「セザールでいいよ」
「……セ、ザール」
私は彼の手を優しく握る。
私以上に深い傷を負っている彼に掛ける言葉が上手く見つからない。
彼は迷っている。それはきっと私と同じ理由だ。
新しい幸せを見つけてしまったから。
他者を殺めればその罪を一生背負っていく事になる。
罪の意識に苛まされる日々に幸福はないだろう。
だから迷っている。
このまま二人で同じ時を過ごせたなら、と希望を持ってしまったから。
そして相手に罪の苦しみを味合わせたくはないから。
何かないだろうか。
私は頭を悩ませる。
私達が憎しみから解放され、けれど罪を背負う事もない幸せを掴む方法が欲しかった。
ぐるぐると回る思考。リュシアン殿下やサンドリーヌのこれまでの行い、そしてそれらに抱いた憎しみ――セザールへの愛。
その時だった。
――これまで不可能である事が、未来永劫不可能である事の証明なんて、誰にも出来やしないだろう?
且つて聞いた彼の言葉が脳裏で反響する。
「…………そう、だ」
「……エディット?」
「セザール」
私はセザールの手を強く握る。
「研究内容を、変えましょう」
***
それから、数年の時が経った。
学園を卒業する前、セザールは私に婚約を申し出た。
私達は婚約者としての関係を築きつつも婚姻を後回しに、魔法の研究へ打ち込んだ。
協力者も増やした。『呪い』への知識を持つ研究者や医者、薬師、等だ。
そうして、私達の悲願は――ある日達成された。
魔法が、完成したのだ。
陛下も出席する、王宮のパーティーで、私は相変わらず浮いていた。
セザールが私を選んでくれたからと言って私の社交界での地位が回復する事は殆どなく、寧ろセザールが笑われ者となるくらいだった。
今日も今日とて、私達を見てひそひそと囁く貴族達を尻目に私達はダンスに興じる。
その時だった。
「フン、まだ社交界に顔出しできるとはな」
サンドリーヌを連れたリュシアン殿下がそう声を掛ける。
私とセザールは顔を見合わせてから……互いにほくそ笑んだ。
「ご機嫌よう、リュシアン殿下、サンドリーヌ様。丁度良かった。今から大切なお話をしようと思いまして」
「二人共、散々彼女に冤罪を着せたようだからね。無実の証明と――」
私は深くお辞儀をしてから私は手を出す。
そして不思議そうな顔をしている二人の前で、私は魔法を使用した。
「「――神がいない、という証明を」」
淡い光が私から放たれ、周囲の者包んでいく。
その光に包まれたものは、体の不調が癒えていく魔法。
つまりは――聖魔法だ。
周囲からざわめきが起きる。
その中で私は声高らかに言う。
「残念ながら、『聖魔法』は清い心を持つ選ばれし女性のみが扱えるものではございませんでした。このように――魔法への理解を深め、研究したものであれば誰でも使うことが出来ます」
「彼女は、『聖女』を虐げた悪女として罵られた。証拠もなく。何故なら神に選ばれた聖女は絶対に罪を犯さないから。けれど……どうだろうか。であるならば、こうして聖魔法が使える聖女エディットが罪人として裁かれた過去は、矛盾していると言える」
「そ、そんな……っ! 何かの間違いよ!!」
「今一度、彼女のこれまでの行いを調べて頂くようお願い致します。……聖女としてではなく、ただの一令嬢として」
サンドリーヌが声を荒げるが、そんなものはもう意味がない。
何故なら、私が聖魔法を使ったという事実はこの場にいる者達が皆理解している事だったから。
聖女が罪人にならないという――神がいるという前提を覆す。
その為に、解明されていなかった、誰もが聖魔法扱える術を見つけ出す。
結果、聖魔法が本能的に使える体質の者が極めて少ないという事実はあれど、正しく技術を積めば他の魔法のように誰でも使うことが出来る者であることが解明された。
これにより、聖女という立場は特別なものではなくなった。
これが――私達の復讐と、幸せの為に選んだ選択だった。
***
それからすぐに、サンドリーヌは捕らえられた。
彼女が『聖女』であるとして罪を被せられてきたのは、私だけではなかったのだ。
そして中には、気に入らないからと人を殺めてしまった罪すらも他者へ擦り付け――その者が処刑されてしまうような傷ましい事実も浮き彫りになった。
よって彼女は極刑。
国にとって一時的な痛手とは成り得るだろうが、聖魔法を使えるものならば現時点で私が存在するし、聖魔法の使い手は今後増やしていく事が可能である事も明らかとなっている。
その為、大罪人サンドリーヌを生かしておく必要がなくなったのだ。
また無知なリュシアン殿下はサンドリーヌが聖女であるという理由だけで彼女を信じ込み、結果多くの者を不当に裁いたとして王太子の座を剥奪……どころか王族としての籍を廃され、辺境へと送られる事となった。
そして新たな王太子に選ばれたのはセザール。
王妃からすれば、恐ろしい話だろう。
殺し損ねた第三王子が次期国王となるのだから。
彼が玉座についてから、自分がどんな仕打ちを受けるのか。
そんな大きな不安に苛まれる日々を送っているはずだ。
なおこの件についてセザールは
「殺すよりも、恐怖に晒されながら一生を過ごす方が苦痛かもしれないと思ってね。まぁ、定期的に脅かしたりしてみるよ」
との事。
彼女に心の安寧は二度と訪れないだろう。
一方の我が家は日常を取り戻しつつあった。
私の冤罪が明らかになった事で家の評判も持ち直したのだ。
母の体調も少しずつ良くなってきている。
そんな、ある日の事。
「……ッすまなかったぁっ!」
私の前には何故かひれ伏すリュシアン殿下――いえ、リュシアンがいた。
「どうか……っ、やり直させて欲しい……っ!!」
セザールとのデートの帰り、王宮の前で騒ぎになっていたから、何事かと様子を見に来たら――これだ。
「頼む、エディット……! 俺を助けてくれ!」
隣では冷ややかな顔をしている不機嫌なセザールがいる。
学生時代のポーカーフェイスはどこへやら。
全て片が付いた今となっては、彼は私へ対する愛情や嫉妬心を一切隠さなくなっていた。
「俺は騙されていただけなんだ! 本当はお前を愛していた! でも、聖女だから仕方なく……ッ」
つまりリュシアンは、辺境での暮らしに耐えられず……もしくは王族や王太子という肩書きや権威を失ったことに耐えられず、復権を求めて私の力を借りに来たようだ。
今や国中で称賛される身、おまけに数ヶ月後に婚姻が決まった未来の王太子妃である私の口添えがあれば許してもらえると考えたらしい。
「頼むよ、元婚約者だろう。あんなに一緒だったじゃないか」
リュシアンは情けなく涙と鼻水で顔を濡らしている。
セザールは私の隣で騎士達に指示を出そうと動きを見せるが、私はそれを一度制した。
「え、元婚約者……?」
私はセザールを宥めつつ、リュシアンを見下ろして鼻で笑う。
「――知らない人ですねぇ」
「っ、な……!」
「そんな人、いたかしら?」
「え、エディット……ッ」!
「これは例えばの話だけれど――相手の話を聞かず、冤罪を擦り付け、家族をも潰し掛け、笑い者にするような男がいたとするならば、それはもう婚約者などという存在ではありませんわね」
「そ、そんな……っ、エディットーーヘブゥッ」
「連れて行け」
私の足に縋りつこうとすれば、セザールが彼の顎を盛大に蹴り上げた。
失神したリュシアンはセザールの命によって騎士達に捕らえられる。
当然だ。王族ではなくなった彼は王宮へ出入りできる身分ではない。
……というか、辺境へ送られる際に出禁を言い渡されたはずなのだから。
このまま辺境で息を殺して生きていれば、これ以上の屈辱もお咎めもなかっただろうに、何と愚かな事か。
これでは罪の上乗せも避けられまい。
運ばれていく彼を見送りながら、私は嘲笑する。
「さようなら」
リュシアンがいなくなった後。
馬車へ戻りましょうとセザールを促そうとした私は、思わず笑ってしまう。
彼は何故か不服そうに顔をしかめていた。
拗ねている事は明らかである。
「焼きもち?」
「そりゃあ。あんなのでも……君と共にいた時間は僕より長いんだから」
「全く、気にするような事じゃないのに」
「笑い事じゃないよ。……ああ、もう、後で覚えておいてくれよ」
子供のような彼の反応が可愛くて、私は思わず吹き出してしまう。
それにつれられるように、セザールも恥ずかしそうにはにかんだ。
「――今日は暫く、君を放してあげられそうにないからね」
セザールが、耳元で低く囁く。
「お手柔らかに」
「無理だね。僕が嫉妬深い事は――もう、わかっているはずだ」
セザールの美しい顔が迫る。
私は観念したように目を伏せた。
それから私達は深い口づけを交わす。
ああ、今日はきっと帰りが遅くなるのだろう。
セザールの愛に心を満たされていく内、そんなことを考える暇もなくなっていって。
私はただ、彼の熱に溺れていくのだった。
***
「セザール」
「うん?」
王宮に入ってからも、暫く馬車に揺られていた私達。
二人きりの空間で私は彼の名を呼ぶ。
金色の瞳がこちらに向けられる中で、私は
「研究の変更、承諾してくれてありがとう」
「何を今更。あれが最善だった事は結果が物語っているだろう?」
「そうねそれもそうなんだけれど……私、貴方にも幸せになって欲しかったから」
私は隣に座るセザールの頬に触れる。
「貴方は幸せになるべき人よ。お母様もお兄様もきっとそれを望んでいるわ。だって――家族よりも過ごした時間が短い私がそう思うんだから」
金色の瞳が大きく揺れる。
「今、幸せ?」
「…………ああ」
「よかった」
私はセザールを抱き寄せる。
突然家族を失い、孤独に命の危機と戦ってきた……計り知れない苦労を抱えて来た背中を何度も優しく撫でる。
「ありがとう、セザール。幸せでいてくれて。そして、私を幸せにしてくれて」
「……こちらこそだよ、エディット」
私を強く抱きしめ返す腕も、声も、小さく震えていた。
そんな彼がどうしようもなく愛おしくて、大切にしたいという気持ちが溢れて、目頭が熱くなる。
「愛しているよ、エディット」
「私もよ。愛しているわ、セザール」
私達は互いの温もりに浸りながら、愛を囁き合うのだった。
これが、私達の復讐の終わり。
そして――幸せな物語の始まりだ。
私達が紡いでいく未来は、まだまだ始まったばかり。
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