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第98話 セックスをしないと出られない部屋

 気がつくと、僕は白い世界に立っていた。

 上下左右、どこを見ても白い。

 その白い世界に継ぎ目はなく、どこまでもつづいているように思えた。


 ただ、僕と隣に立つキルステーナだけが、この白い世界から浮いていた。


 その白い世界には、僕たち以外にひとつの家具だけがあった。


「ベッド……ですね」とキルステーナが言った。


 白いキングサイズのベッドが置かれていた。


「ここはどこなんだろうか」と僕はわかるはずのない疑問を口にした。


「絵のなか、なんですかねぇ?」


「そんなことってあり得るのかな」


「なんらかの魔術的な仕掛けがしてあった、ということでしょうか」


 その可能性は高いだろう。

 それが、なぜこのような集落の礼拝堂にあったのか、という謎は残るが……。


「とりあえず、脱出方法を探さないとね」


「と言いましても」キルステーナはくるりと周囲を見ながら一回転した。「なにもありませんよ、ここ」


 本当に何もない空間だ。


「もし、あの絵画がなんらかの罠であれば……。その罠を解くための鍵があるはずなんだ。そういうギミックがあって、はじめて魔術は成立する。でも、ここは、そんな感じがしないね」


「作者の意図を読み解けということですね」


 キルステーナはベッドに近づいていき、じっと観察していた。


「アーリング様は、ベッドから何を連想しますか?」


「睡眠」連想というか、そのまんまだ。「あとは……。死?」


 不意に、母親の姿を思い出したのである。

 血の気がなく白い肌。

 彼女はベッドの上で、美しい姿で眠っていた。


「死なんて演技の悪いことを言わないでくださいよぉ」とキルステーナ。「もしかして、ここから死んだら出られるとかですか?」


「まあ、可能性はなくはないけれど……。最後の手段にしたいところだね」


 死というのは一方通行で、元に戻ることはできない。

 失敗だったときに取り返しがつかない。


「とりあえず、座りません?」


 キルステーナはベッドへ歩いていって、そのままダイブした。


 とても大きなベッドである。

 寝ているキルステーナを避けて座っても十分な広さがあった。


 僕は白い空間を見ながら、ぼんやりと考えていた。


 起き上がったキルステーナが、僕の横顔をじっと見ている。


「かわいい顔してます」とキルステーナ。


「それは良いから、一緒に出る方法を考えよう」


「出る方法と言われましても」キルステーナは困った顔をする。「何を考えたら良いのかわかりませんよぅ」


 なるほど。

 それもそうだ。


「アーリング様は、なにを考えていらっしゃるのですか?」


「そうだね。まだ、何もわからないけれど……。僕達が吸い込まれた絵に描かれていたのは、聖女アルマの絵だったね」


「はい。美しい絵でしたよね。私みたいに美人でしたし」


 自己評価の高い女だなぁ……。

 いや、事実ではあるけれども。


「普通、こういう絵に引きずり込まれる場合、その絵のモチーフとなった場所に閉じ込められると思うんだよね」


「なるほど」キルステーナは言った。「それなら、晩餐の絵にしたら良かったですね。ご飯を食べられますし」


 一瞬、何のんきなことを言ってるんだ、と思ったが、彼女の意見は正しかった。


「ここ、ご飯ってどうするんだろう?」と僕は言った。


「あら。あ……お手洗いは?」


 それも問題だ。


 まあ、無限に等しい空間だとは思われるので、最悪、かなり遠くまで走っていけばなんとかなるだろうけれど……。


 その後、キルステーナは何かを思いついたようで、ベッドをじっと見ていた。


「アーリング様。私、わかっちゃいました」


「ほう」まったく期待はしていなかったが、一応聞いておくことにした。「何がわかったの?」


「昔、教会で禁書に指定された書物を読むのにハマっていた時期があるんですけれども」


 聖女がそれで良いのか。


「あのですね、このベッドが謎を解く鍵だったんです」


「うん、それで?」と先を促す。


「わかりませんか? アーリング様、かまととぶってますか?」


「かまととぶる?」よくわからない単語だった。「えっと、それは、どういう意味?」


「聖書に書かれているくらい古い言葉です」とキルステーナは言った。


 うーん、話が進まんな。


「えっと、このベッドがどうしたの?」


「つまりですね、この部屋は……」キルステーナは、たっぷり溜めてから言った。「セックスをしないと出られない部屋なんですよ!」


「はぁ?」


 何を言ってるんだ、この脳内ピンク聖女は……。


「間違いありません。大昔に人気となったシチュエーションなんです。性行為をしなければ出られない。そこで、好きでもない人間としなければならない。そういうのが最高なんですよ!」


「……さて、アルマ様の絵について、もっと考えないとね」


「なんで私の完璧な推理を無視するんですか!」


「手が出てないだけありがたいと思え!」


「きゃっ。怖いアーリング様も素敵……」


 もうなんでもいいんかい。


 それから僕達はしばらく考えていたが、結局は何も思いつかなかった。

 この無限の白をひたすら進んでみたが、何も起こらない。


 どうも無限ではなく、世界はループしているようだった。

 白い部屋を真っ直ぐに進んでいくと、またさきほどのベッドがあった。


 同じベッドだとわかるのは、僕達がベッドに寝転んだときの皺が残ったままだったからだ。


「ほらぁ」とキルステーナは言った。「このベッドが、何よりの証拠です。私達がしないと永遠にここに閉じ込められたままなんですよ!」


「うーん」


「何をそんなに嫌がってるんですか。私としたくないんですか? 魅力がありませんか?」


「そういうわけじゃなくてね……」


「早く! 抱いてください!」


 キルステーナは服を脱ぎ始めた。


「待て待て待て」と慌てて止めるが、もう遅い。


 白い世界に、キルステーナの白い肌が映える。


 いや、映えてどうする。


 ふぅー、と深く息を吐いた。


 いつもいつもキルステーナにはペースを崩されっぱなしだ。


 いい加減に主導権を握ってやろうか。


 キルステーナの推理が正しいのかもしれない。

 いや、むしろ正しいような気がしてきた。


 この悪趣味な世界から脱出するためなのだ。

 仕方がない。


 これは脱出のための仕方ない実験だ。

 決して僕の欲望などではない。

 断じて。


 リネア……。

 すまん……。



 僕は覚悟を決め、ゆっくりと立ち上がった。


 キルステーナの青い瞳が、期待に潤んでキラリと輝く。


「さあ、私は少し抵抗しますが、そこを無理やり襲ってください!」


 彼女は禁書で得た知識を忠実に再現しようとしているのか、ベッドの上でわざとらしく怯えるようなポーズを取った。

 その完璧な白い裸体を惜しげもなく晒しながら。


 ……どこまで本気なんだ、この人は。


 僕はもう何も考えないことにした。

 思考を放棄し、本能に身を任せる。

 その方が、きっと楽だ。


 僕は一歩、また一歩とベッドに近づく。

 そして、逃げ場を失った彼女の白い手首を、ためらうことなく掴み取った。


「きゃっ……!」


 キルステーナが、お手本のような可愛らしい悲鳴を上げる。


 僕はそのまま彼女の身体をベッドへと押し倒した。

 ふわり、とシーツが沈み、彼女の金色の髪が枕の上に散らばる。

 見下ろす形になった僕の目に、恥じらいと期待が入り混じった、潤んだ瞳が映った。


「や、やめてください……! わたくしは、か弱い聖女なのですから……!」


 棒読みだった。

 あまりにも、棒読みすぎた。

 だが、もう止まれない。


 僕は彼女の言葉を無視し、その華奢な身体の上に、ゆっくりと自分の身体を重ねていく。

 白い肌の熱が、服越しにじわりと伝わってきた。


 僕の心臓が……そしてキルステーナの心臓も、同じくらい速く鼓動しているのがわかる。


「きみは、黙っていたら魅力的なんだからな」


 思わず本音がこぼれた。


 僕のその言葉に、キルステーナの演技がかった表情が、はっとしたように固まった。

 これまでの悪戯っぽい光は消え、その瞳は真剣なものになっていた。


 僕は彼女の抵抗する(ふりをしていた)両腕を、片手でまとめて頭上に押さえつけた。

 もう片方の手で、彼女の潤んだ頬にそっと触れる。


 僕の指が触れた瞬間、彼女の身体がびくりと愛らしく震えた。


「本当に、あのスキップダールで私は救われました。生まれ変わったんです」


 キルステーナの瞳が潤む。


「自分に正直に生きようって……。アーリング様のこと、本当に愛しています……」


 その、あまりにも真っ直ぐな告白に、今度は僕の動きが止まる番だった。

 これまでのキルステーナの突飛な言動は、全てがこの本心を隠すための、不器用な照れ隠しだったというのか。


 僕は彼女の想いの全てを受け止めるように、ゆっくりと顔を近づけていく。

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