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第87話 次は、私が助ける番だ!

 螺旋階段は、どこまでも続いているように思えた。


 猫の姿で駆け上がった時には気にも留めなかったが……。

 人間として、しかも衰弱した人間を一人支えながら階段を降りるのは、想像以上に大変だった。


 僕の肩に寄りかかるテレヴォ王女の呼吸は浅く、その身体は熱を失ったように冷たい。


「……アーリングくん、無理はしないで。私を置いて逃げたほうがいいと思う」


「大丈夫です。今は、少しでも体力を温存してください」


 彼女の気丈な言葉に、僕は笑って見せる。


 だが、僕自身の額にも、じっとりと汗が滲んでいた。

 背後からは、複数の騎士たちが鎧を鳴らす音が追いかけてくる。


「旦那様、まもなく追いつかれます」と殿しんがりを務めるリネアが言った。


 まずい。

 このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。


 たしか、次の階は……。


 その時、螺旋階段の壁がふと途切れ、僕たちの視界が大きく開けた。

 そこは二階層分をぶち抜いた巨大な吹き抜け空間、『大書庫』だった。

 天井まで届く本棚が迷路のように立ち並び、眼下には散乱した書物の海が広がっている。


 追いつかれるか、このまま下まで降り切るか。

 僕の脳が、コンマ数秒で最適解を弾き出す。


「――賭けに出るぞ!」


 僕はテレヴォ王女の身体を、ぐいと――いわゆるお姫様抱っこで抱え直した。


「えっ、アーリング様!?」とシリヤ。


 僕は螺旋階段の手すりを乗り越える。


「猫ほど身軽じゃないけどね! 近道させてもらう!」


 僕は眼下に広がる書物の海へと、躊躇なく身を躍らせた。

 重力に従い、僕たちの身体が落下していく。

 風が、僕の髪を激しく掻き乱した。


「旦那様の、お心のままに」

「……論理が破綻しています!」


 リネアとシリヤもまた、僕の後を追って飛び降りる。


 落下する数秒の間、僕の視界の端で、シリヤが冷静に杖を構えるのが見えた。


「―――『【風のシルフィード】』!」


 短い詠唱と共に、僕たちの身体が見えない風のクッションにふわりと包まれた。

 凄まじい落下速度が嘘のように緩やかになる。

 僕たちは書物の山の上へと着地した。


 二階層分の階段を一気にショートカットし、時間を稼いだ……はずだった。


 だが、僕の考えが甘かった。


 僕たちが着地した階層の、さらに下。

 そこから、複数の騎士たちが駆け上がってくる気配があった。


 見上げれば、僕たちが飛び降りた場所から、フィヨーラと騎士たちがこちらを見下ろしている。


「挟み撃ちです!とシリヤが叫ぶ。


 上からも下からも追手が迫る。

 逃げ場は、ない。


 だが、僕の頭は不思議なほど冷静だった。

 この、迷路のように入り組んだ書庫をうまく利用するしかない。


「―――ここで迎え撃つ!」


◇◇◇


 僕は抱えていたテレヴォ王女を、本棚の影にそっと降ろした。


「リネア、シリヤ! 左右と背後の本棚を倒せ! 敵の攻撃ルートを正面だけに絞るんだ!」


 僕の号令に、二人が即座に反応する。


 ゴゴゴゴゴッ、と地を揺るがす轟音。


 リネアが物理で、シリヤは魔法で……。

 書物を内包した本棚を倒し、僕たちの背後と左右を塞ぐ巨大な壁と化した。


 これで、敵は正面からしか来られない。

 逆に言えば、僕達にも、もう逃げ場はないということだ。


 多勢を相手にするのであれば、この作戦を取るしかない。

 あとは、ひたすらに前方から来る敵を倒し続けるしかない。


 騎士たちが雄叫びを上げて突進してくる。


 リネアが前衛に立ち、シリヤが後方から魔法で援護する。

 僕はテレヴォ王女を守りながら、全体の指揮を執る。


 僕自身も剣を持っていた。


 だが……僕は、正直なことを言えば緊張していた。


 これは魔物との戦いではない。


 人を相手に本気で真剣を振るうのは、僕にとって初めての経験だった。


(傷つけたくない……!)


 襲いかかってくる騎士の攻撃を避け、その隙を狙う。


 だが。

 僕の剣は、どうしても敵の鎧を弾き、峰打ちで気絶させるに留まってしまう。

 その甘さが、徐々に僕たちを追い詰めていった。


「くっ……魔力が、もう……!」


 シリヤの放つ魔法の威力が目に見えて落ちていく。


 リネアは懸命に戦っているが、無数の敵を相手に、その白い肌にはいくつもの切り傷が増えていた。


 そして、ついにフィヨーラが前線に姿を現した。


「まだ抵抗するのですか」


 彼女の冷たい視線は、僕ではなく、僕が庇うテレヴォ王女へと注がれていた。


「ああ、そう。元凶はあなたでしたね、テレヴォ。あなたのその汚れた魂が、アーリング様を惑わせている。……ええ、ならば、その心臓を抉り出してしまえば、きっと彼も正気に戻られるはず」


 狂気の言葉。

 彼女は、隣に立つ騎士に命じた。


「あの女を殺しなさい。生け捕りにする必要もない。ここで処刑しましょう」


 その非情な命令に、騎士の動きが一瞬だけためらう。


 だが、王女の命令は絶対だ。


 騎士は覚悟を決め、剣を抜き放つと、一直線にテレヴォ王女へと斬りかかってきた。


 僕の身体は、思考より先に動いていた。

 テレヴォの前に割り込み、その刃を身を挺して受け止める。


 ―――ザシュッ!


 肉を断つ、生々しい音。


 僕の右肩に、凄まじい衝撃と、焼けるような激痛が走った。


「ぐっ……ぁ……!」


 立っていられなかった。

 傷口から、どくどくと血が溢れ出すのがわかる。


「アーリングさん!?」

「旦那様!」


 仲間たちの悲痛な叫びが響く。


 僕が斬られたのを見た瞬間、リネアの纏う空気が一変した。


 彼女の瞳から、全ての感情が消え失せる。

 それは、絶対零度の静かな怒りだった。


「……お前たち」


 普段の彼女からは想像もつかない、地を這うような低い声。


「天国へ行けると思うな」


 彼女は懐から、一つの黒い球体を取り出した。

 異世界の爆弾――手榴弾だ。


「―――やめて」


 テレヴォの声が戦場に響いた。

 彼女は、その冷たい両手で、血に濡れた僕の傷口を包み込んだ。


「ごめんね、アーリングくん。ずっと守られてばかりで」


 リネアが手榴弾のピンを抜こうとした、その瞬間だった。


「いま言っておくね。助けに来てくれてありがとう。次は、私が助ける番だ!」


 その宣言と共に、世界が黄金色の光に満たされた。


 彼女の身体から、純金の奔流のような、温かく、力強い光が溢れ出す。

 それは、僕の身体を、魂ごと、優しく包み込んでいく。


 傷が癒える。

 疲労が消える。


 そして、僕の魂そのものが、限界を超えて、溢れ出さんばかりに漲っていく。


「なっ……!? その力は……!」


 フィヨーラが驚愕に目を見開く。


 だが、もう遅い。


 身体の奥底から、今までに感じたことのないほどの力が湧き上がってくる。


 すべてが止まって見えた。


 僕は剣を持ったまま駆け出す。


 騎士たちが振り上げる剣の軌道が、まるで水の中を動くかのように、緩慢に見える。


 迷いは消えた。


 僕は、人を――斬る。


 最初に僕の前に立ちはだかった騎士の鎧ごと、その胴を真一文字に薙ぎ払う。

 凄まじい衝撃音と、甲高い金属の音。

 騎士の身体が吹き飛んだ。


 二人目、三人目。


 僕はもう、峰打ちなどという手加減はしない。

 迫りくる刃を最小限の動きでいなし、すれ違いざまに、急所である鎧の隙間を正確に貫く。

 倒れる騎士たちを振り返ることなく、僕はただ前へ、前へと進む。

 それはもはや戦闘ではなく、蹂躙だった。


「ひっ……! な、なんだこいつは……!」


 親衛隊の騎士たちに初めて恐怖の色が浮かんだ。

 敵の戦列が明らかに後退する。


 今しかない。


「―――シリヤ!」


 僕の叫びに、シリヤが応える。


「ええ! ―――『【飛翔リープ】』!」


 僕たちの足元に、小さな風の渦が生まれる。

 それは攻撃魔法ではない。

 ただ一瞬だけ、僕たちの身体を宙へと跳ね上げるだけの魔法だった。


 僕たちは怯んだ騎士たちの頭上を飛び越え、再び螺旋階段へと舞い降りる。


 だが、その瞬間だった。


「くっ……魔力が、完全に……!」


 シリヤがその場に崩れ落ちた。

 魔力の枯渇だ。


 テレヴォは残された最後の力を振り絞り、今度はリネアへとその手を伸ばす。


「お願い……!」


 再び、黄金の光が迸った。


 ギフトの三度目の使用。


 テレヴォもまた、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。

 だが、彼女の力は、消耗していたリネアの身体を完全に回復させていた。


「――御意」


 リネアは短く応えると、意識を失ったシリヤとテレヴォを、その華奢な身体で同時に軽々と抱え上げた。


「行くぞ!」


 僕たちは、再び螺旋階段を駆け下り始めた。

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