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第84話 国家反逆罪

『――お楽しみ中でございますか?』と天井の梁の上から白猫のリネアが言っているようだった。


 ――良いから、さっさと助けてくれ!


 第一王女フィヨーラが、その陶器のように白い身体を、ゆっくりと僕に重ねてくる。


 僕は必死に抵抗をしようとする。

 しかし、彼女のギフト『人形師の指先』によって自由を奪われた身体は、ぴくりとも動かない。

 手錠でベッドに繋がれた手首が、無力に軋むだけだ。


「ふふっ……。私の、運命の王子様……」


 フィヨーラの吐息が、僕の耳を熱く濡らす。

 彼女の唇が、僕の唇へと、ゆっくりと近づいてくる。


 ―――その、瞬間だった。


 音はなかった。

 天井から、白猫が、ふわりと舞い降りた。

 そして、ベッドのすぐ脇に音もなく着地した瞬間、その変身が解ける。


 リネアだった。


 リネアの動きは、どこまでも滑らかだった。

 彼女の白い手が、しなやかに伸びる。

 そして、完璧な角度で振り下ろされた手刀が、フィヨーラの白い首筋に吸い込まれた。


「……ぇ……?」


 フィヨーラの瞳が、驚きに見開かれる。

 だが、その声が音になる前に、彼女の意識は完全に断ち切られていた。

 王女の身体から力が抜ける。

 僕の上に、ぐったりと倒れ込んできた王女の身体を、リネアはまるで汚れたものでも払いのけるかのようにベッドの脇へと転がした。


「旦那様を害する者は、たとえ王族であろうと排除いたします」


「ありがとう」しかし……。「普通に国家反逆罪だな」


 第一王女を気絶させたのだ。

 発覚すれば死刑だろう。


「旦那様を守るためであれば、この国、いえ、世界を敵に回しても構いません」


「大げさだなぁ……」


「いいえ、本当です」リネアは言い切った。「愛しています」


 その、あまりにもストレートな言葉に、僕は照れてしまった。


「……ありがとう」


 リネアは満足そうにうなずき、スカートのポケットから、細い金属の針金を取り出した。

 彼女得意のピッキングに使うツールだろう。


 そして鍵を……解いてくれない。


「……このまま手錠をかけておくのも、ありですね」


 そう言って、リネアは僕の下腹部に触れる。


「ありなわけあるか!」


「冗談です」真顔で言って、彼女は手際よく僕の手錠を外してくれた。


 カシャン、と。

 僕の自由を縛っていた鎖が、呆気なく解き放たれる。


◇◇◇


「リネア、ありがとう。……本当に、助かった」


 手首をさすりながら礼を言う僕に、彼女は「当然のことでございます」と、完璧な無表情で一礼した。


 ―――コン、コン。


 その時だった。

 控えめなノックの音が、静まり返った寝室に響いた。


「フィヨーラ様、お休みでしょうか。お夜食をお持ちいたしましたが」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、侍従の男の声だった。


(まずい……!)


 どうする。

 今、この扉を開けられたら、全てが終わる。


 僕の思考が焦りで空転した、まさにその瞬間。

 天井の通気口の格子が、音もなく外された。

 そこから、白い影が、するりと床に舞い降りる。


 僕たちと同じ、美しい白猫。

 光の中にその姿が溶け、現れたのは、息を切らせたシリヤだった。


「アーリング様、リネアさん! ご無事でしたか!」


 彼女は僕たちの姿と、ベッドの上に横たえられている王女を見て、一瞬で状況を理解したらしい。

 その顔がさっと青ざめる。


 ―――コン、コン。


 再び、扉がノックされた。

 先ほどよりも、少しだけ強い。


「フィヨーラ様? 何かございましたか?」


 僕の脳が、この絶望的な状況下で最適解を弾き出した。


「シリヤ、えっと、魔法でフィヨーラ様の声を出したりって、できるかな?」


「……はいっ! お任せください!」


 ―――コン、コン、コン!


 三度目のノック。

 今度は、明らかに苛立ちと焦りが混じっている。


「フィヨーラ様! ご返事がなければ、やむを得ず、合鍵で……!」


 侍従がそう言いかけた、まさにその時だった。


「……うるさいわね」


 それは、フィヨーラ王女の、気だるげだが、威厳に満ちた声そのものだった。

 あまりの完璧な模倣に、僕ですら一瞬、本人が起きたのか、と背筋が凍りついた。


「……も、申し訳ございません! フィヨーラ様!」


 扉の向こうで、侍従が慌てて平伏する気配がする。


「……もう少し、一人にしておいてちょうだい。夜食は結構よ。……下がって」


「は、はいっ! 承知いたしました! 夜分に、大変失礼を……!」


 侍従の足音が慌ただしく遠ざかっていく。

 扉の下から見えていた光と影が、完全に消え失せた。


 ……行ったか。


「……ふぅ。なんとかなりました」とフィヨーラの声のまま、シリヤが言った。


「声がフィヨーラ様のままだよ。いや、しかし、すごいね、その魔法。完璧な模倣じゃないか」


「あ、あーあー」と自分の声に調節するシリヤ。「いえ、実はこれ、声を真似しているわけじゃないんですよ。簡単に説明すると、声帯の一時的な取り換えっこです。以前、グローアさんの研究していた論文を読んだことがありまして。彼女の研究によれば、声帯に限らず、肉体のいろいろな部位を取り替えることも可能なんだとか。……まあ、禁術に指定されてしまったらしいんですが」


 肉体を取り替えるだなんて、想像を絶する魔法だ。

 グローアって本当に天才なんだな……。

 そして、その魔法を論文を読んだだけで再現するシリヤの才能もすごい。


「こんなこともできるんです」そう言って、シリヤはにっこり笑った。


 いったい、なにを見せてくれるのだろう、と思っていると……。


「シリヤ、きみは可愛いね、愛しているよ。結婚してくれ」と僕の声でシリヤが言った。「これでアーリング様の声素材を作成し放題です」


「……いや、恥ずかしいんだけど」という僕の声がシリヤになっていた。


 うーん、実にややこしい魔法だな。


「なるほど」リネアが謎の納得をしていた。「その魔法は、子宮も交換できるのでしょうか?」


 何恐ろしい発想してんだ。お前。

 どう使うのかわからんが怖すぎる発想だ。


 いや、そんな話をしている場合ではない。


「探すぞ。――テレヴォ王女の牢獄の鍵を」


◇◇◇


 フィヨーラ王女の私室は塔のなかにある簡易のものなのだろう。

 そこまで広いというわけではない。


 僕とリネアは、手分けして鍵を探し始めた。

 シリヤはフィヨーラ王女が起きないか、隣で様子を見てくれている。


(どこだ……どこに隠した……!)


 僕の焦りが募る。

 この広大な部屋から、たった一つの鍵を見つけ出すなど、正攻法では不可能に近い。


 僕は、一度動きを止めた。

 そして、ゆっくりと目を閉じる。

 意識を、この部屋全体へと広げていく。


「―――『神のディアグノーゼ』!」


 僕の視界から、物理的な情報が消え失せた。

 代わりに、この部屋に染み付いた、持ち主の『感情』の残滓が、色とりどりのオーラとなって浮かび上がる。

 この部屋の全てが、フィヨーラの歪んだ魂の色に染まっていた。

 だが、その中でも、ひときわ禍々しく、どす黒い感情が渦を巻いている場所があった。


(あれは……妹への、純粋な憎悪と、独占欲……!)


 僕の視線が、部屋の隅にある、豪奢な装飾が施された宝石箱ジュエリーボックスへと注がれる。

 あの箱だけが、他のどの家具よりも深く、濃い絶望の色を放っていた。


「リネア、そこだ!」


 僕の指示に、彼女は音もなく宝石箱へと歩いていく。

 蓋を開けると、中には眩いばかりの宝石が眠っていた。

 だが、僕たちの目当ては、そんなものではない。


 リネアが、箱の底板にそっと指をかける。

 僅かな引っ掛かりがあったようだ。

 二重底だ。

 彼女が慎重に底板を外すと、その下から、古びた鉄の鍵が現れた。

 禍々しいほどの負のオーラを放つ、呪われた鍵。

 これだ。間違いない。


 僕が鍵を手に取った、まさにその時だった。


「ひゃっ!?」


 シリヤの、悲鳴にも似た短い声。

 僕たちがはっとして振り返ると。


 ベッドにぐったりと横たわっていたはずのフィヨーラ。

 その白い腕が、ベッドの脇に立つシリヤの手首を、がしりと掴んでいた。


「なっ……!?」


 いつから意識が……?


 僕の思考が追いつくよりも早く、フィヨーラのギフト『人形師の指先』が発動したのだろう。

 シリヤの身体から、完全に力が抜けていた。

 抵抗しようにも、声を出そうにも、身体が言うことをきかないようだ。


 フィヨーラは、ゆっくりと、実に優雅な所作でベッドから身を起こした。

 そのもう片方の手には、いつの間にか、月光を浴びて妖しく輝く、一振りの銀のナイフが握られていた。

 どこかに隠していたというわけか。


 ナイフの冷たい切っ先が、囚われたシリヤの、白い喉元にそっと当てられる。


 僕もリネアも動けなかった。

 人質。

 これ以上ないほど、最悪の形だった。


 フィヨーラは、僕たちの表情を満足げに見渡すと、その美しい顔に穏やかな笑みを浮かべた。


「うふふ……」


 楽しげな笑い声が寝室に響き渡る。


「さあ、アーリング様。治療の時間ですよ」

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