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第80話 旦那様はベッドの上では獰猛な獣に変身されますけどね

「――人間がダメなら、人間でなければいいんじゃないか?」


 全員の視線が、僕の膝の上で呑気に毛づくろいをする、猫の姿のシリヤへと注がれる。


「……なるほど!」


 最初に反応したのはキルステーナさんだった。


「シリヤさんのように、猫の姿となり、塔に潜入する……! なるほど!」


「ああ」僕は頷いた。「猫なら、うまいこと外壁から、姫の幽閉されている牢獄へ潜入できるかもしれない」


 ポンッ、と。

 僕の膝の上で、軽い音と共に小さな光が弾けた。

 次の瞬間、そこにいたのは猫ではなく、いつもの理知的な表情に戻ったシリヤだった。


「その作戦には、二つ、致命的な論理的欠陥があります」シリヤが言った。「この変身魔法は、あくまで自分自身にかけるためのもの。他者を猫に変えることなどできません。それに、王女様の『診断』のためには、あなたの【神の瞳】が不可欠です。私が行っても、おそらくは……」


 そう言って、シリヤは振り返って僕を見た。


 ……僕の膝の上から。


「……あれ」とシリヤは自分が人間に戻っていることに気づいたようだ。


「退いてくれるかな?」


「早く退かないと妊娠しますよ」とリネアが言った。


「するわけないだろ!」


 僕の膝に乗ったくらいで妊娠するか!


 シリヤは少し顔を赤くして、そっと僕の膝から立ち上がり、部屋の隅にあった椅子へと移動した。


 その直後だった。


「あら、私、妊娠したいです〜」と言って、キルステーナが僕に体を寄せてくる。


 この聖女、侯爵家で捕まって以来、どうも頭のネジが数本外れているようだな……。


 僕がキルステーナの暴走をどう諌めようかと思案した、まさにその時だった。


「色恋沙汰は結構だが、話が全く進んでおらんぞ」とグローアが言葉を挟む。「シリヤ嬢ちゃんの言う通り、変身魔法の理論では、術者自身にしか効果は及ばない。それは正しい。だがね」


 彼女は、にやり、と悪戯っぽく微笑んだ。


「その『不可能』は、あくまで凡人の結論だ。魔術とは、術者の知識と応用力次第で、いくらでもその形を変えるものだよ」


 その言葉は、天才を自負するシリヤのプライドを、的確に刺激したようだ。


「……と、おっしゃいますと?」


「簡単なことさ」グローアはこともなげに言う。「術式を外部から強制的に接続し、対象の魔力回路を乗っ取ってしまえばいい。言ってみれば、魔術のハッキングだね。まあ、少々高度な技術と、膨大な魔力が必要になるが……あたしやあんたくらいのレベルになれば、造作もないことさ」


 そのあまりにも自信に満ちた物言いに、シリヤは悔しそうに唇を噛みしめる。


「なるほど……。たしかに、試してみたことはありませんでしたが、言われてみればできそうな気がしてきました」


 そんな簡単な話か?

 いや、まあ、シリヤって天才だからな……。


「ほう、さすがに話が早い」グローアは満足げに頷いた。「では、早速やってみるかい? 誰か、このお嬢ちゃんの実験台になりたいっていう、殊勝な志を持つ者は、いるかい?」


 その問いに、真っ先に、そして誰よりも元気よく手を挙げた人物がいた。


「はいっ! 私にやらせてほしい!」


 ビルギットだった。

 彼女は目をきらきらと輝かせ、興奮を隠しきれない様子で立ち上がる。


「猫に一度なってみたかったのだ!」


「……わかりました。では、ビルギットさん、中央へ」


 ビルギットが意気揚々と部屋の中央に立つ。


 シリヤは一度だけ深く息を吸い込むと、その紫色の瞳に、見たこともないほどの強い集中の光を宿した。


「――対象の魂魄構造データをスキャン。魔力回路の主系統を特定……接続シークエンスを開始します!」


 彼女の脳内では、僕などには到底理解できない、膨大な量の計算が高速で行われているのだろう。

 杖を構える彼女の周囲に、無数の光の数式が浮かび上がり、目まぐるしく回転を始めた。


「術式オーバーライド! 対象の身体構造を、動物のテンプレートに強制変換……っ、なんて魔力負荷……!」


 シリヤの額に汗が浮かぶ。

 彼女の指先から放たれた光の帯が、ビルギットの身体に複雑に絡みつき、その輪郭が眩い光の中に溶けていった。


◇◇◇


「うわっ……!」


 目も開けていられないほどの、眩い閃光。

 僕は思わず腕で顔を覆った。

 光の奔流が部屋中を駆け巡り、数秒後、まるで何事もなかったかのように、すうっと消えていく。


 僕たちは恐る恐る、光が収まった部屋の中央へと視線を向けた。


「……成功、か?」


 そこにいたのは、猫……ではなかった。


 いや、確かに猫科の動物ではある。

 だが、僕たちが想像していたような、愛らしい猫などではない。


 しなやかで、力強い四肢。

 美しい黄金のたてがみ。

 そして、その気高い瞳は、森羅万象の全てを統べる王者の風格を宿していた。


 そこにいたのは、一頭の、あまりにも雄々しく、そして美しい―――『ライオン』だった。


「……は?」僕は間抜けな声を出しているな、と自覚した。


 当の本人――ライオンになったビルギットは、自分の前足を不思議そうに眺めたり、ふさふさの尻尾をぱたぱたと揺らしたりしている。

 その仕草は、百獣の王の威厳とはかけ離れた、どこか間の抜けた可愛らしさに満ちていた。


 やがて、彼女は自分の置かれた状況を理解したのだろう。

 僕たちの方をゆっくりと振り返ると、その口を大きく開け、一声、鳴いた。


「―――ガオッ!」


 ……可愛い。

 威嚇しているつもりのようだが、まったく怖くない。


 その、あまりのシュールな光景に、僕たちの間に、くすくすと笑いが漏れ始めた。

 やがて、それはこらえきれない大爆笑へと変わっていく。


「ぶっ……! はははは! 猫じゃ、ないじゃないか!」グローアが笑う。


「で、ですが、これはこれで、大変勇ましくて……! ふふっ!」とヴィルデも笑っていた。


 そんな爆笑の中、一人だけ、キルステーナさんが真顔でライオンの姿のビルギットをまじまじと見つめていた。


「と、言いますか……」キルステーナが、どこか戸惑ったような表情で口を開いた。「ビルギットさんは、殿方だったのですか? たてがみのあるライオンは、オスですよね?」


 その、あまりにも的確なツッコミに、僕たちの笑いがぴたりと止まる。

 言われてみれば、その通りだ。


 ライオンになったビルギット本人も「ガオッ!?」と、困惑したような声を上げている。


 その静寂を破ったのは、グローアだった。


「ほう、聖女様は目の付けどころがいいじゃないか」


 彼女は面白そうににやりと笑うと、その謎を解き明かすように言葉を続けた。


「この術は、ただ生物学的な性を写し取るほど単純じゃない。魂の『在り方』そのものを形にするのさ。この騎士様の魂は、『全てを守る百獣の王』だ。ならば、その最も象徴的な姿……威厳あるたてがみを持つ『雄』として現れるのは、至極当然の理屈だね」


 なるほどなぁ……。


「……ライオンでは、潜入捜査には向いていませんね」とリネアは正論を言った。


 術者であるシリヤが、ぜぇぜぇと肩で息をしながら、真剣な顔で訴えてきた。


「そ、それ以前に、これ、維持するの大変なんですけど……!」


「まあ、あたしでも三十分が限界だね」


 グローアが言った。


 その言葉に、シリヤがカチンときたようだった。


「そうですか。それなら私だったら、三十五分はいけます!」


 ……なぜ張り合うんだ。

 この二人、なんというか、似たもの同士というか……。

 天才魔術師だからだろうか。


「……とりあえず、今日はこれくらいにしておいてやります」


 さすがにはじめての魔法だけあって、負荷は相当なものらしい。

 そんな負け惜しみを言って、シリヤは魔法を解除した。


 ―――ぷすん。


 ライオンの姿を包んでいた光が霧散し、そこには元の、屈強な女騎士の姿に戻ったビルギットが立っていた。


 次の瞬間だった。


「う……うわあああああん!」


 ビルギットは、その場にへなへなと座り込むと、子供のように声を上げて泣き出してしまった。


「ごめんごめん」僕は慌てて謝った。「みんなで笑ったりしてごめん。ほら、あの、猫になると思ってたけど、ライオンになったから、驚いちゃってさ……」


 大人が泣くか? という言葉を飲み込みまくった。


「違う……!」


 ビルギットは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて叫んだ。


「笑われたことなど、どうでもいい! そうではなく……! 私は……私は、可愛い『にゃんこ』になって、アーリング殿の膝の上で喉を鳴らしてみたかったのだ……っ! それなのに……ガオッ、では……ガオッ、ではダメだ……っ!」


 嗚咽混じりに語られる、あまりにも乙女チックな願望。


 その、普段の姿とのあまりのギャップに、僕たちはどう反応していいか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「私には……可愛い猫になる資格すらないというのか……! ううっ……ひっく……!」


「い、いや、そんなことないよ!」僕は慌てて彼女のそばに駆け寄った。「すごく……その、可愛かったよ、ライオン!」


 僕の必死の慰めに、ビルギットはしゃくりあげながら、涙に濡れた瞳で僕を見上げた。


「……本当か?」


「ああ、もちろんだとも。百獣の王の威厳と、子猫のような可愛らしさが同居した、最高のライオンだった」


 僕が力強く頷くと、ビルギットの表情が、ぱあっと輝いた。


「えへへ……」


 彼女は照れたように笑うと、袖でごしごしと涙を拭う。


 単純な女で助かった……。


「ビルギットさんはライオンになったんですよね」とヴィルデが言った。「アーリング様が変身したら、どうなるんでしょう?」


 その、あまりにも無邪気な問いに、場の空気が一変した。

 今まで泣いていたビルギットさえも「む!」と興味深そうに身を乗り出してくる。


 その問いに、最初に答えたのはキルステーナさんだった。


「まあ! アーリング様が変身なさったら……それはもう、きっと、天界から舞い降りた『聖獣』に違いありませんわ! 純白の翼を持つグリフィンですとか、額に七色の宝石を宿した神馬ですとか……! ああ、想像しただけで気絶してしまいそうです!」


 聖女様の想像力は、今日も絶好調のようだ。


 僕がどう返事をしようか困っていると、今度はシリヤが腕を組んで、真剣な顔つきで考察を始めた。


「……いいえ、論理的に考えれば、もっと概念的な存在になるはずです」


「概念的?」と僕は言った。


「変身魔法が魂の根源情報を物理法則にマッピングする術式であると仮定した場合、アーリングさんの持つ二つの特異なギフト……すなわち『観測』と『叡智』の概念が色濃く反映されるでしょう。結論として、特定の動物というよりは……そうですね……世界の全てを見通す『竜』のような神話的存在に分類される可能性が極めて高いと推察されます」


 プレッシャーだなぁ!

 ネズミとかだったらどうする!

 いや、ネズミなら潜入捜査には便利そうだけどな!


 それまで黙っていたリネアが、完璧な無表情のまま、静かに口を開いた。


「旦那様はベッドの上では獰猛な獣に変身されますけどね」


 お前は何を言っているんだ。


ビルギットさんが女性なのにたてがみがあるのはおかしい、とツッコミがあったので修正しました!

指摘をいただきありがとうございます!

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鬣があるのはオスライオンだけだから、鬣はないほうがよいかと…
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