第79話 私は、あなたの産んだ子と会ったことがありますね?
僕とリネアは王都の宿屋へと戻った。
現在、仮の拠点として借りているのは、この宿で一番大きな続き部屋だ。
中央にはソファとテーブルが置かれた広い居間があり、そこを中心に、僕や仲間たちの寝室へとそれぞれ扉が繋がっている。
いつでも顔を合わせやすく、作戦会議をするにも都合がいい。
僕たちが扉を開けると、先に帰っていたヴィルデたちが「おかえりなさい!」と笑顔で迎えてくれた。
僕が「ああ、ただいま」と返事をした、まさにその時だった。
コン、コン、と。
ノックの音が、部屋の扉を叩いた。
「あれ? 誰でしょう」
ヴィルデが不思議そうに首を傾げる。
「僕が出るよ」
用心しながら扉を開けると、そこに立っていたのは……。
「久しぶりだね。いや、そうでもないか?」
そう言って顔を見せたのは、気だるげな笑みを浮かべた賢女グローアだった。
「私はお久しぶりです」と顔を見せたのは、ヘルグァだった。
ヘルグァは、以前とは比べ物にならないほど晴れやかな表情をしている。
髪型も変わり、かなり、なんというのか、さっぱりとした印象を受けた。
その腕には、赤子を抱いていた。アスラグの転生体だろう。
「ヘルグァさん! それに、グローアさんまで!」とヴィルデ。
「ヘルグァさん、元気そうで良かった」と僕は声をかけた。
「アーリング様。その節は、本当にありがとうございました」
ヘルグァは、深々と頭を下げた。
彼女の魂は、もう迷いの闇に囚われてはいなかった。
「母の元を離れ、今は王都のパン屋さんで住み込みで働いているんです。ただそれだけのことが……自分で人生を決めて生きられることが、こんなに幸せだなんて、知りませんでした。本当に、ありがとうございます」
その穏やかな笑顔が、何よりも雄弁に彼女の変化を物語っていた。
◇◇◇
和やかな再会の雰囲気が一段落した頃、僕はグローアに聞きたいことがあったのを思い出した。
「グローアさん、実は、ある奇妙な力に遭遇したんです。人の魂に干渉する……なんといえばいいのか……イメージとしては、天秤です。魂のバランスを崩し、人を無意識のうちに操るものです。あれはおそらく、魔術というよりはギフトなのではないか、と思いますが。なにか心当たりはありませんか?」
僕の問いに、グローアは遠い目をしながら、深く息を吐いた。
「……ふむ。『天秤』か。答えはイエスだ。知っている」
その答えは予想外だった。
知らないだろう、と思って聞いていたからだ。
「誰のギフトなんですか?」
僕の質問に、グローアは微笑む。
「さて、それは教えられないな」
「どうしてですか?」
人の魂を操るような人間だ。
つまりは犯罪者である。
それを教えられない理由とは、一体なにか?
「私の愛する人のギフトだからだよ」とグローアは言った。「その人物には、できるだけ長生きしてほしいと考えている。だから、教えられない」
「人の魂を操り、傷つけるような人物ですよ?」
「ああ。わかっているよ。そういうやつだ。どうしようもない人間さ。でも、だから好きなんだ」
「僕は、その人物を特定しようと考えています」
「好きにしたらいいさ。アーリング。私は、きみのことを気に入っている。だから、きみがその人物を特定するのを邪魔したりはしない。ただ、その人物の特定については協力しない、というだけのことだ」
正直なところ、僕は混乱していた。
グローアは信頼できる人物だと勝手に思っていたからだ。
だが、愛?
愛しているから、教えられないというのは……。
「ひとつ質問してもよろしいですか」とリネアが言った。
「なんなりと」とグローア。
「その方とは子を為されましたか?」
「……《《半分イエス》》だな」
半分イエスってなんだ?
子供はできたが、流産したということか?
とはいえ、グローアが肉体関係を持つほど親密な関係にあった、ということだ。
そうなると、グローアの過去を追っていけば、自然とその人物にたどり着けるかもしれない。
「もうひとつだけ質問してもよろしいですか?」とリネアが言った。
「さっき、ひとつと言わなかったか?」
グローアの言葉を無視して、リネアはつづける。
「《《私は、あなたの産んだ子と会ったことがありますね?》》」
まるで確信があるかのような物言いだった。
リネアの質問に対し、グローアは苦笑し、深々と息を吐く。
「その答えは、イエスだ」グローアはリネアに強い視線を向けた。「お前は頭が良すぎる。《《真実を語りすぎるな》》」
「はい。この件については、何も言いません」
「そうしよう。お互いにな。言わないほうが良いことが、この世界にはたくさんある」
僕には、グローアとリネアが何について語っているのか、さっぱりわからなかった。
さっきの父との会話もそうだ。
どうも、僕は除け者にされているような気がしてならなかった。
「あの、恐縮なのですが……」とキルステーナが手をあげる。「王女様の件をご相談してもよろしいですか?」
そうだ、僕たちがここにいる理由は、それだ。
いま優先すべきは第二王女の救出だった。
グローアは「ああ、その件か」と言った。
表情が切り替わる。
「『忘れられた者の尖塔』にいるはずだ。だが、無駄だよ」
彼女は静かに首を横に振った。
「あそこはな、王家の光からこぼれ落ちた者たち……心を病んだり、不満足な肉体で生まれたりした王子や王女を、死ぬまで閉じ込めておくための場所さ。忘れられるために建てられた、生きた墓場だよ。そこに拘束されているはずだ。誰一人として、そこから生きて出た者はいない」
そのような施設があるとは知らなかった。
だが、長い王家の歴史には、そういう闇もあるということか……。
「歴代の王たちが、その時代の最高の魔術師に作らせた結界が幾重にも重なっている。物理的な侵入を阻む堀に、あらゆる攻撃を無効化する魔術防壁。今となっては、王家の人間ですら完全には把握しきれていない、呪いの迷宮さ」
そして、彼女は忌々しげに付け加えた。
「外見からすると、ただの塔なんだが……人間が、真正面から挑んでどうにかなる場所じゃない」
重い沈黙が、部屋を支配する。
人間では、無理。
その言葉が、僕の頭の中で何度も反響した。
人間……では。
ふと、僕の膝の上で、何かがもぞりと動いた。
見れば、シリヤが、僕の膝を特等席に、満足げに毛づくろいを始めている。
最近、やけにくっついてくるのだ。
その、あまりにも自由で、しなやかな姿。
―――その、瞬間だった。
「……そうか」
僕がぽつりと呟くと、全員の視線が一斉に集中する。
「――人間がダメなら、人間でなければいいんじゃないか?」




