表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/157

第77話 二人の王女

 昨夜の、あのリネアの気まずい問いかけ。

 その答えが出ないまま夜は明け、僕たちは早々に宿を出発しようとしていた。


 リネアは、昨夜の出来事などまるで存在しなかったかのように、いつも通りの完璧な無表情で、淡々と出発の準備を整えている。

 ヴィルデとビルギットは、そんな僕たちの微妙な空気を察してか、少し離れた場所で馬の様子を見ていた。


 問題はシリヤだ。

 彼女は馬車のそばで落ち着きなくうろうろと歩き回り、何か言いたげに僕の方をちらちらと見ている。

 天才魔術師の面影はなく、完全に挙動不審だった。


(……まあ、そうなるよな)


 僕が苦笑しながら馬車に乗り込もうとした、まさにその時だった。


「あ、アーリングさん! その……出発前に、ほんの少しだけ、よろしいでしょうか!」


 意を決したように、シリヤが僕の腕を掴んだ。


 そして、皆から少しだけ死角になる、建物の裏へと僕をぐいぐいと引っ張っていく。


「どうしたんだい、シリヤ?」


「昨夜の、リネアさんの問いに対する、私の論理的帰結を、ご報告いたします」


 やっぱりそれか!


 シリヤは顔を真っ赤にしながらも、早口でまくし立てた。


「……あなたの半径一メートル以内に接近した際の、私の心拍数の上昇率。あなたの声を聞いた際の、脳内におけるドーパミン及びセロトニンの分泌量の異常値。そして、昨夜の入浴時……あなたの裸体を視認した際の、私の魔力回路の暴走レベル。それら全てのデータを統合し、論理的に解析した結果……」


 彼女は一旦言葉を止めて、僕の目をじっと見た。


「リネアさんの問いに対する私の答えは……イエス、です! 論理的にも、感情的にも! 私は、あなたに……その『抱かれたい』と! そう、結論付けられました! 以上、報告終わりです!」


 敬礼でもしそうな勢いで言い切ると、シリヤは「では!」と踵を返そうとする。


「いや、ちょっと待て!」


 僕がその腕を掴んで引き留めた、まさにその瞬間だった。


「――アーリング様。今のお話、私の耳にも、はっきりと届いておりました」


 ひょこり、と。

 曲がり角から、聖女キルステーナが姿を現した。


(盗み聞きされてたのか!?)


 僕とシリヤが固まっていると、キルステーナは僕の前に進み出て、恭しく両手を胸の前で組んだ。


「私もです」


「……へ?」


「私も、アーリング様に抱かれたいです! ええ、聖女としてではなく、一人の女として、切に! 少し乱暴にされるのを希望します!」


 きっぱりと、一点の曇りもない笑顔で、彼女はとんでもないことを言い放った。


 僕の思考は完全にショートし、隣ではシリヤが「なっ……! 想定外のパラメータが介入……! 計算が、計算が乱れます……!」と小声でパニックに陥っている。


 遠くでリネアが、完璧な無表情のまま、こちらを見て小さく頷いたのが見えた。


 もうどうにでもな〜れ。


◇◇◇


 僕は諦めの境地で馬車に乗り込んだ。

 それは新たな地獄の始まりだった。

 僕の右隣はリネアが当然のように確保している。

 問題は左隣だ。


「アーリング様、長旅でお疲れでしょう。どうぞ、私の膝を枕に。いいえ、むしろ私を椅子代わりにしていただければ幸いです」

「いえ、キルステーナさん。ここは私が左に座り、アーリングさんの精神的負荷を最小限に抑えるべきかと」


 シリヤとキルステーナさんが、僕の左隣の席を巡って、熾烈な火花を散らしている。

 向かいの席ではヴィルデが「わ、私もアーリング様のお隣が……!」ともじもじしていた。

 ビルギットは「主君の隣席を巡る争い……。騎士として、ここは実力で勝ち取るべきか……」などと物騒なことを呟いていた。


 僕の平穏は、どうやら王都に着くまでお預けらしい。


 結局、キルステーナが僕の左、そしてシリヤが猫の姿で僕の膝に乗るという結論になった。

 猫の姿でいるのは、実は人間の状態よりも魔力を消費しないで楽らしい。

 迷い猫の店主、グローアが猫の姿でいたのも、同じ理由だろうか……。


◇◇◇


 賑やかすぎる道中を経て、僕たちは街道沿いの大きな宿屋に立ち寄った。

 ここが王都へ向かう最後の宿泊所だ。

 昼食のあとにそのまま王都へ向かうか、あるいは一泊していくかは時間的にも微妙なところだった。


 食堂は、王都へ向かう旅人や商人たちでごった返している。

 様々な情報と噂話が飛び交っている。


「それにしても、最近、王都は物騒な噂が多いらしいな」

「ああ、聞いたぜ。なんでも、第二王女テレヴォ様が、姉君である第一王女フィヨーラ様の暗殺を企てたとかで、逮捕されたらしいじゃないか」


 隣のテーブルに座っていた商人たちの、そんな何気ない会話が、僕の耳に飛び込んできた。


 第二王女テレヴォ様が、逮捕?

 姉君、フィヨーラ様の暗殺容疑?


(……なんだ、その話は)


 僕が眉をひそめた、まさにその瞬間だった。


 隣の席で、キルステーナが紅茶に角砂糖を入れようと、小さなトングに手を伸ばしていた。

 その指先が、ふと、空中で凍りついた。


 カタン、と。

 彼女の肘が、すぐそばにあったミルクピッチャーに、ことりと触れる。

 ピッチャーが傾ぎ、中のミルクが、あっという間にテーブルの木目へと広がっていく。


 だが、彼女は自分の服が汚れるのも、テーブルが染みになっていくのも、まるで気づいていないようだった。

 顔からは血の気が引いている。

 その青い瞳は、ただ一点、虚空を見つめたまま大きく見開かれていた。


「キルステーナさん!?」


 ヴィルデが心配そうに駆け寄るが、彼女の耳には届いていないようだった。


 さっきまでの和やかな食堂の空気が、一瞬にして凍りついた。


 僕はキルステーナの腕をつかみ、皆に告げた。


「少し、二人で話してくる。皆はここで待っていてくれ」


◇◇◇


 僕はキルステーナを連れて食堂を抜け出した。

 宿屋の裏手にある、静かな木陰。


 キルステーナはまだ震えていたが、少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。

 彼女は意を決したように、僕に向き直った。


「……アーリング様は、二人の王女様について、どの程度ご存知ですか?」


 その問いに、僕は記憶を手繰り寄せた。


 王都にいた頃、僕も二人の王女とは何度か顔を合わせたことがある。

 姉の第一王女フィヨーラ様、そして妹の第二王女テレヴォ様。

 二人とも、控えめだが芯の通った、上品で穏やかな女性、という印象だった。


「第一王女のフィヨーラ様については……」僕は考えながら言った。「最近ご病気で心を乱され、些細なことで家臣を何名か追放なさった、という悪い噂を耳にした程度かな。妹君のテレヴォ様については……正直、ほとんど何も。ただ、姉君を誰よりも案じておられる、心優しい方だと」


 僕の答えに、キルステーナは「ええ、その通りです」と力なく頷いた。


「スティッレハウンのミズール家に私がいた理由にもつながるのですが、私も、呪具を追ってあそこにたどり着きました」


 そうだった。

 そのときは、まだクライアントについては話せない、ということだったが……。


「実は、フィヨーラ様の心を蝕んでいるのも、おそらくは同種の呪いだと思われます。そして、その調査を私に依頼したのが、妹君のテレヴォ様でした」


 なるほど。

 僕は黙ってキルステーナの言葉を待った。


「テレヴォ様は、姉君の変貌がただの病ではないと気づいておられた。そして、呪いを解くことができるかもしれない、とのことで私に接触されたのです」


 順当に考えれば、テレヴォの動きに気づいたフィヨーラが、暗殺を企てているという嫌疑をでっち上げ、逮捕させるに至ったのだろう。


 しかし、王女を逮捕するだなんて前代未聞だ。

 国が揺らぎかねない。


 国王は、自分の娘の逮捕許可を出したということだ。

 もし、本当に暗殺を企てていたとしても、なかなか逮捕までは至らないはずだ。

 なにか理由をつけて国外へ追放したりするのが普通だろう。


「……アーリング様。王女様をお救いいただくことは、できますか?」


 僕はキルステーナの瞳をまっすぐに見て答えた。


「正直なところ、僕ひとりの力でどうにかできることではないと思う。でも、きっと、僕達が力を合わせれば、なんとかなるよ。キルステーナさん。きみも、力を貸してくれる?」


「はい! もちろんです! アーリング様……私、ますますあなたのことを、好きになってしまいそうです」


「……ありがとう」


「私達、両思いですね」


 そんなことを言って、キルステーナは僕の手をぎゅっと握ってきた。


 うーん、めちゃくちゃポジティブな女だなぁ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ