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第62話 ギフト

 僕は、仲間たちとともにB区画へと足を踏み入れた。

 すでにA区画の合成獣たちは掃討済みだからか、そこは不気味なほどに静まり返っていた。


 元・技術主任の先導で、僕たちは施設の最深部――子供たちが囚われているという空間へとたどり着く。


 そこは、礼拝堂のようだった。

 どこから光を取り込んでいるのか、壁にはめ込まれた巨大なステンドグラスが、荘厳な七色の光を投げかけている。

 ステンドグラスは、生きているかのように明滅を繰り返していた。


「……どことなく、『残夢の洞窟』と似ています」とリネアが呟いた。


 たしかに、あの洞窟に群生していた『夢を咽む真綿』とよく似ている。


「おそらく、アスラグは『残夢の洞窟』のシステムを参考に、この地獄を作り上げたのでしょう」とシリヤが言った。


 壁から伸びる無数の管が、ガラスのように透き通った棺へと繋がっている。


 棺の中では、満たされた培養液の中で、子供たちが静かに眠っていた。

 その寝顔は、驚くほど穏やかで、安らかだ。

 まるで、温かい揺りかごの中で、幸せな夢でも見ているかのように。


「『常夢の揺りかご』と呼ばれております」


 元・技術主任が、悔しそうに唇を噛み締めながら説明してくれた。


「子供たちの絶望をエーテルに変えて、発電しているのです。子供たちは、それぞれ独立した悪夢を見せられているのではありません。アスラグが構築したのは、全員の魂が、見えない糸で繋がった『共有された悪夢のネットワーク』なのです」


 一人の絶望が他の子の絶望を増幅させ、全体の絶望がまた一人にフィードバックされる。

 そうやって「絶望」の感情だけが循環し、増幅し続ける、永久機関のような地獄。

 それが、この施設の本当の姿だった。


「物理的に接続を断てば、子供たちの魂は衝撃に耐えきれず砕け散ってしまうでしょう。長くこの施設にいる子ほど、魂の消耗が激しい。特に……」


 彼は、一番手前にあった棺を指さした。


「あの子は、最も長くここに……。もう、いつ魂の灯火が消えてもおかしくない」


 僕は近づいた。

 棺から見えるのは、聡明そうな少年の顔だ。

 その顔を見て、リネアが、はっと息を呑んだ。


「……知り合いかい?」


「ええ……」リネアは小さくうなずいた。「以前、手紙と一緒に、あの子の写真を送ってくれていたんです。『自慢の息子です』と……。先日、丘の上で会った、カァリの息子さんです」


 あの、幸せそうに赤ん坊を抱いていた母親の顔が、脳裏に浮かんだ。

 彼女は、息子が国の未来のために働いていると、誇らしげに語っていた。

 その裏側で、子供がこんな地獄に囚われていたとは。


 許せない。


 ――だが。


 僕は、怒りを鎮めるように、深く息を吸った。

 今は、目の前の子供たちを救うのが先決だ。


「子供たちは、絶望を共有するためにつながっていると言いましたね」と僕は尋ねた。


「はい。そのとおりです」と技術主任が答える。


「……繋がっているのなら」僕は言った。「絶望だけでなく、希望だって伝わるはずだ」


 うまくいくかどうかはわからないけれど……。


「カァリの息子さんの精神に干渉してみようと思う」


「危険です」とリネアが制止の声を上げる。


「危険は承知だよ。彼が、いったいどんな夢を見せられているのか……。もしかしたら、僕自身も、その悪夢に飲み込まれるかもしれない。でも、これしかないと思う。彼の夢に入って、彼のことを救う。そして、絶望ではなく希望を伝播させる。どうかな?」


「……理論的には、成功する可能性はあります」シリヤが答えた。「そして、他に策はないとも思いますが、しかし、リネアさんの言うとおり、危険です」


「大丈夫。僕を信じて」


 僕はカァリの息子の棺にそっと手を触れる。

 そして、彼の魂に意識を集中させた。


 僕の意識が、深く、深く、眠る子供の魂の奥底へと潜行していく。


 その、瞬間だった。


◇◇◇


 ―――ブツンッ。


 何かが、切れる音。


 僕の意識は、真っ白なノイズに包まれた。


 違う。

 これは、子供の夢じゃない。


「ぐっ……ぁあああああっ!」


 頭が、割れるように痛い。

 幻聴が、鼓膜を突き破らんばかりに鳴り響く。


(カウンター・トラップか……!? 僕の能力を逆用した、精神攻撃……!)


 仲間たちの悲痛な叫びが、遠くで聞こえる。

 だが、僕の意識は、もう現実世界に繋ぎとめておくことができなかった。


 足元が崩れる。

 僕は、糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。


 意識が、急速に過去へと沈んでいく。


◇◇◇


 目が覚めると、僕は懐かしい場所にいた。

 グレンフェル公爵家の、広大な庭園。

 陽光が降り注ぎ、色とりどりの花々が咲き乱れている。


 視界が低い。

 手を見れば、小さい。

 幼い頃の僕だ。


 目の前で、少女が、無邪気な笑顔で僕に手を振っている。


 リネアだ。

 まだ僕にとっては年上の優しい女性だった。


 幸せな、何でもない、穏やかな午後。

 父に買ってもらったばかりの、飛行船の模型を二人で飛ばしている。

 その記憶が、あまりにも鮮明に蘇る。


 だが、次の瞬間。


 突風が吹いた。

 僕の手から離れた飛行船の模型が、コントロールを失い、僕の顔めがけて飛んでくる。


 スローモーションのように、世界が動く。


 僕の右目に、ガラスが砕けるような、凄まじい衝撃と激痛。

 熱い液体が、視界を赤く染め上げた。


「―――アーリング坊ちゃま!」


 リネアの絶叫。

 彼女が僕に駆け寄ってくる。


 痛い。

 痛い。

 痛い。


 激痛と混乱で、僕の思考は麻痺していく。


 泣き叫ぶリネアが、僕の身体に覆いかぶさってきた。

 その温もりと、柔らかい感触。

 それが、僕が思い出す、最後の光景だった。


 僕の意識が、完全に闇に飲まれようとした、その瞬間。


「―――旦那様」


 声が、聞こえた。

 遠く、深く、魂の奥底に響く、静かな声。


 現実世界のリネアの声だ。


 僕は深く目をつむり、そして、目を開けた。


 ぼやけた視界に、リネアの顔が見える。


 ああ、いつもの、僕の愛する人の顔だ。


 だが、何かが違った。

 あの、完璧な無表情を保ち続けていたリネアが、静かに涙を流していた。

 その頬を伝う透明な雫が、僕の頬へ、ぽたりと落ちる。


 僕の霞む意識が、ゆっくりと、彼女の右目に焦点を結んだ。

 光のない、硝子玉のような瞳。


 そうだ、僕は知っていたはずなんだ。

 ずっと前から。


 全てのピースが、今、一つの形になった。


 ああ、そうか……。


 僕の魂に宿る、二つの【ギフト】。

 僕が失ったはずの、この右目。


 僕のスキルが二つある理由。


 それは……。


 リネアが、自分の瞳と一緒に、くれたんだ……。


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