第60話 舞い降りる影
第二工廠の奥深く、鉄と油の匂いが満ちる巨大な空間に、僕たちは待機していた。
張り詰めた空気の中、決戦前の僅かな静寂が流れる。
まだ時間は少しだけあるか……。
「シリヤ、ひとつ頼んでもいいかな?」
「はい、なんなりと」
「……あそこの天井にある空気孔。あそこを抜けるように、君の魔力で、照明弾を真上に打ち上げられるかい?」
僕が指差す先を見上げ、彼女は怪訝そうに眉をひそめた。
「はい? 照明弾、ですか。可能ではありますが……一体、何のために?」
「まあね」僕は苦笑し、彼女の疑問をはぐらかした。「いざという時のための、ほんの小さなおまじないさ。気にしないでくれ」
理屈になっていない説明に、シリヤは納得いかないという顔をしていたが……。
「……あなたがそうおっしゃるのなら」と小さく頷いた。
彼女は短く詠唱すると、その杖先から放たれた一筋の光の矢が、音もなく空気孔を抜けていく。
遥か上方の闇へと消えていった。
周囲の職員たちは、目の前の戦いに集中しており、その小さな光に気づいた者はいなかった。
そのやり取りが終わった、まさにその時だった。
「――来るぞ!」
元・警備主任の鋭い声が響く。
僕の指示通り、B区画へ向かった「スパイ」役の職員が、見事にその役目を果たしたらしい。
遠く、施設のメイン通路の向こうから、無数の硬質な足音が押し寄せてくるのがわかった。
来た。
「第一班、高圧蒸気、準備!」
「第二班、プレス機の最終チェックを急げ!」
元・技術主任の檄が飛ぶ。
「いいか、野郎ども! あいつらに、地獄を見せてやれ! いままで殺されてきた仲間たちのぶんまでな!」
誰かの雄叫びが、反撃の狼煙となった。
「「「うおおおおおおおっ!」」」
通路の奥から雪崩れ込んできた合成獣の群れが、工廠の中央まで到達した、まさにその瞬間。
「――今だッ!」
僕の号令に、職員たちが一斉に動いた。
まず、高圧蒸気だ。
天井に張り巡らされたパイプラインから、灼熱の蒸気が、凄まじい勢いで噴出される。
「ギシャアアアアアッ!?」
視界を奪われ、熱に焼かれた合成獣たちが、苦悶の叫びを上げて混乱に陥る。
「次、プレス機、起動!」
―――ガシャンッ!!!
地を揺るがす轟音。
鉄の塊を裁断するための巨大なプレス機が、熱で混乱する合成獣の群れを、上から容赦なく圧し潰していく。
硬いはずの装甲が弾け、おぞましい体液を撒き散らした。
「ははは! 見たか、化け物ども!」
「俺たちをなめるな!」
作戦は完璧だった。
地の利と、彼らが長年培ってきた知識と技術が、圧倒的な戦力差を覆していく。
◇◇◇
だが、その高揚感は、突如として現れた一体の『絶望』によって、粉々に打ち砕かれた。
蒸気と煙の向こうから、ぬっ、と現れた巨大な影。
他の合成獣とは、明らかに次元が違う。
鋼のように黒光りする、流線型の装甲。
『隊長機』か。
「全トラップ、あの一点に集中させろ!」
元・警備主任が叫ぶ。
だが、遅かった。
隊長機は、僕たちの罠を嘲笑うかのように、その全てを突破した。
高圧蒸気は、その特殊な装甲に弾かれ、全く効果がない。
巨大なプレス機の一撃さえも、最小限の動きで回避し、逆にそのアームを巨大な爪で引きちぎってしまった。
「ば、馬鹿な……!?」
「俺たちの罠が、全く通用しないだと……!」
職員たちの間に、動揺が走る。
その一瞬の隙を、隊長機は見逃さなかった。
その姿が、掻き消えた。
次の瞬間、僕たちの前衛にいた職員数名が、血飛沫を上げて宙を舞っていた。
「ぐあああああっ!」
一瞬の虐殺。
高揚感から一転、工廠は絶望的なパニックに支配された。
「―――下がれ! 隊列を組み直せ!」
僕が叫んだ瞬間、銀色の影が躍り出た。
リネアだ。
「旦那様、ここは私が!」
彼女は漆黒の短剣を構え、隊長機へと真っ向から斬りかかる。
だが。
―――ガキンッ!
甲高い金属音。
リネアの渾身の一撃は、隊長機の装甲に、僅かな傷一つ付けることすらできなかった。
「くっ……!」
逆に、隊長機の振るった爪が、リネアの身体を容赦なく弾き飛ばす。
彼女の華奢な身体がコンクリートの壁へと叩きつけられようとしていた。
「リネア!」
僕は、思考より先に駆け出していた。
だが、間に合わない。
――まさに、その瞬間。
「――間に合えッ!」
シリヤの悲鳴にも似た詠唱が響いた。
リネアが壁に激突する寸前、その背後で淡い光の膜――衝撃を吸収する防御結界が展開される。
僕は崩れ落ちたリネアの元へ駆け寄り、その華奢な身体を抱きしめた。
「リネア、大丈夫か!?」
「……旦那様……。問題、ありません」
彼女は気丈にそう答えるが、その口の端からは血が滲んでいる。
絶望的な戦力差。
なすすべもなく、仲間たちが次々と倒れていく。
このままでは、全滅する。
……だが、まだ手はある。
事前に準備はしておいたのだ。
さて、うまくいくかどうか……。
◇◇◇
僕はリネアからそっと身体を離した。
「リネア、きみは下がっていて」
「いいえ、旦那様を守るのが、私の使命ですから」
「……いざというときに頼む。それまでは待機していて。これは命令だ」
「……ですが!」
「命令だ!」
僕の気迫に、リネアは一瞬だけ唇を噛んだが、「……御意」と短く応え、後方へと下がった。
「シリヤ!」
僕の声を受け、シリヤがこちらを向く。
「天井だ! ありったけの魔力で、あそこを撃ち抜け!」
僕が指差したのは、この工廠のコンクリートの天井。
その一点。
資材搬入口の、真下。
この構造物で、最も強度が低い場所。
「……っ! 承知しました!」
シリヤは一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐに行動をはじめた。
彼女の杖先に、今まで見たこともないほどの、膨大な魔力が収束していく。
「―――お前の相手は、僕だ!」
僕は隊長機の前に立ちはだかった。
シリヤが詠唱を終えるまでの、数十秒。
その時間を、僕が稼ぐ。
隊長機が僕を明確な獲物と定め、一直線に突進してくる。
僕は回避に専念しながら、冷静に【神の瞳】で敵の動きを分析し続ける。
爪撃、尾の一撃、その全てを紙一重で見切り、かわし続ける。
リネアのような神業じみた体捌きはできない。
だが、僕には未来予測にも等しい『眼』がある。
やがて、シリヤの詠唱が完了した。
「いきます! 皆さん、気をつけて!」
彼女の杖先から放たれたのは、純粋な破壊力を持った魔法だった。
―――ゴオオオオオオッ!!!
凄まじい轟音と共に、工廠の天井が砕け散る。
鉄骨が軋み、巨大なコンクリートの塊が僕たちのすぐそばに降り注いだ。
舞い上がった分厚い粉塵が視界を奪う。
誰もが咳き込み、身を伏せる。
その空いた天井から、一筋の光が差し込んだ。
夜明けの光。
その光を背に、二つの影が舞い降りてきた。
逆光だが、僕には、その影の正体がわかっていた。
粉塵がきらきらと光の粒子のように舞う中、その影の一つが動いた。
騎士のシルエット。
彼女は砕けた天井の縁に仁王立ちになる。
そして、残った鉄骨にワイヤーアンカーを腕力だけで叩き込んだ。
打ち込まれたアンカーを起点に、もう一つの影が降下を開始する。
影――ヴィルデだ。
彼女はワイヤーを命綱に、工廠の壁面に張り巡らされたパイプや足場を次々と蹴りった。
重力を感じさせない身軽さで僕たちの元へと舞い降りてくる。
その降下の途中、彼女は一瞬だけ空中で体勢を止めると、すでに弓を引き絞っていた。
「―――援護します!」
放たれた一矢が、隊長機の複眼の一つを正確に射抜く。
彼女に続き、ビルギットもまたワイヤーを掴み、一気に降下してくる。
「―――アーリング殿! あとはお任せください!」
さて……形成逆転だ。




