表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/157

第47話 猫吸いと、人吸い

 僕たちの活躍によって、渓谷の魔物『ミラージュ・キメラ』が討伐された。

 その報せは瞬く間に村中を駆け巡った。

 住民たちは、僕達を村を挙げての祝宴で迎えてくれた。


「おお、英雄様たち! さあ、こっちで一番いい酒を飲んでくれ!」

「ヴィルデ様、ビルギット様! あなた方の武勇伝、もっと聞かせてくださいまし!」


 広場の中央に設けられた焚き火を囲み、村人たちは陽気に歌い、踊り、そして僕たちを称賛の言葉で迎えてくれる。

 特に、大活躍したヴィルデとビルギットの周りには、ひときわ大きな人だかりができていた。


「えへへ、そんなに褒められると、照れちゃいますね」

「うむ。だが、これも主君であるアーリング殿の完璧な指揮があってこそだ」


 はにかみながらも誇らしげなヴィルデと、冷静に、しかしその瞳の奥に確かな喜びを宿すビルギット。

 そんな二人を、僕は少し離れた場所から、温かい気持ちで見守っていた。

 本当に、良い仲間たちに恵まれたものだと思う。


 だが、その輪の中に、一人だけいない人物がいた。


(……シリヤの奴、どこに行ったんだ?)


 僕たちの頭脳であり、魔法戦のエキスパートであるはずの彼女。

 今回の戦いでは、敵の特性が『魔法反射』だったがために、彼女はその天才的な能力を発揮する機会がほとんどなかった。

 それが、彼女の繊細なプライドを傷つけてしまったのだろうか。


 僕は喧騒を離れ、僕たちが宿を取っている部屋へと向かった。


 案の定、シリヤはそこにいた。

 一人、窓辺の椅子に腰掛け、膝を抱えながら、外の賑わいをどこか寂しげな瞳で見つめている。


「シリヤ。どうしたんだい、こんなところで。みんな、君のことを探していたよ」


 僕が優しく声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返った。


「……アーリングさん」シリヤはつぶやいた。「私は、無力でした」


 そして、ゆっくりと言葉をつづける。


「私の専門である魔法は、あのキメラの前では何の意味もなさなかった。皆さんが命懸けで戦っている間、私はただ、足手まといになるのを恐れて、後方で見ていることしかできなかったのです。……結論として、今回の戦闘における私の存在価値は、限りなくゼロでした。いいえ、論理的に言えば、マイナスです。役立たずの魔術師一人分の食い扶持を、無駄に消費しただけですから」


 理屈っぽく、早口で、しかし、その声は悲しく震えている。

 天才であるがゆえの、高すぎるプライド。


 拗ねている。

 最高に、面倒くさく。

 そして、最高に可愛らしく。


「そんなことはないさ」僕は言った。「きみがいてくれたから、僕は安心して指揮ができたんだ。きみは、僕たちの大切な仲間だよ」


「……気休めは、結構です」


 ぷい、とそっぽを向いてしまう。


 ああ、もう。

 本当に、この天才は不器用だ。


◇◇◇


「シリヤ、君は一つ、大きな勘違いをしている」


 僕は、彼女の前にしゃがみこみ、その瞳をまっすぐに覗き込んだ。


「君の価値は、戦闘能力だけで決まるものじゃない。君のその知識と分析能力が、僕たちをどれだけ助けてくれたか、君自身が一番よくわかっているはずだ」


「ですが、現に、今回の戦闘で私は……!」


「じゃあ、僕が訊こう。君は、自分の力が通用しない敵を前にして、どうすればよかったと思うんだい? 何か、僕が思いつきもしなかったような、完璧な打開策があったとでも?」


「それは……」


 シリヤの言葉が詰まる。

 論理で武装した彼女は、論理的な問いには、決して嘘をつけない。

 魔法を反射する敵の前では、魔術師にできることなど、ほとんどないのだから。


「そうだろう? 君は、君にできる最善を尽くした。ただ、それだけのことだ。誰も、君を責めたりはしないさ」


 僕がそう言って、彼女の頭を優しく撫でようとした、まさにその瞬間だった。


「――馴れ馴れしく、触らないでください!」


 シリヤは、僕の手をぱしり、と払い除けると、勢いよく椅子から立ち上がった。

 そして、信じられないほどの速さで部屋を飛び出し、廊下の奥へと駆け去っていく。


「あ、おい、シリヤ!」


 僕が後を追おうとした時には、すでに彼女の姿はなかった。


(……やれやれ。拗ねた天才は、手がつけられないな)


 僕はシリヤが逃げていった廊下を追いかけ始めた。

 彼女がどこに行ったのか、見当もつかない。


 だが、僕には確信があった。

 きっと、彼女は僕が見つけ出してくれるのを、心のどこかで待っているはずだと。


 宿屋中を探し回り、僕は裏庭へと出た。

 月明かりが、静かな庭をぼんやりと照らしている。

 その片隅で、数匹の野良猫たちが、のんびりと集会を開いていた。


(こんなところに、いるはずは……)


 諦めて踵を返そうとした、その時。


 僕の目は、猫の群れの中にいる、一匹の、ひときわ異彩を放つ存在に釘付けになった。


 それは、月光を吸い込んだかのように輝く、真っ白な毛並みを持つ一匹の猫だった。


 他の猫たちが、だらしなく地面に寝そべっているのに対し、その猫だけは、まるで女王のように、背筋をぴんと伸ばして座っている。

 毛づくろいをする仕草一つとっても、どこか理知的で、気品に満ち溢れていた。

 他の猫たちと、明らかに馴染めていない。

 その、孤高のオーラ。


(……間違いない。あいつだ)


 おそらく、ビルギットからグローアが猫に変身していた、という話を聞いていたのだろう。

 まさか、それだけで変化の魔法をマスターしていたとは。

 さすが天才だ。


◇◇◇


 僕がゆっくりと近づくと、他の野良猫たちは警戒してさっと散っていった。

 だが、その白猫――シリヤだけは、逃げようとしない。

 ただ、ぷい、とそっぽを向いて、僕の存在を完全に無視している。

 そのツンとした態度が、いかにも彼女らしかった。


「……見つかっちゃったな、シリヤ」


 僕が話しかけると、白猫の耳が、ぴくりと動いた。

 だが、それでも彼女は断固としてこちらを見ようとしない。


「すごいじゃないか、その魔法。完璧な猫だ。僕には、君が猫にしか見えないよ」


 にゃあ、と。

 まるで「当たり前です」とでも言うかのように、彼女は短く鳴いた。

 その鳴き声すら、どこか理知的で、高飛車に聞こえるから不思議だ。


「でも、どうしてわかったか、知りたいかい?」


 僕がそう尋ねると、白猫はちらり、とこちらに視線を向けた。

 その瞳に「まあ、聞いてあげなくもありませんが?」という、ありありとした好奇心が浮かんでいる。


「君だけだよ。こんなに、気品があって、賢そうな猫は。他の猫とは、放つオーラがまるで違う。まるで、王立アカデミーの主席研究員が猫の皮を被っているみたいだ」


 僕の言葉に、白猫は「フン」とでも言うように、満足げに鼻を鳴らした。


 僕は、そんな彼女の前にしゃがみこみ、悪戯っぽく微笑んでみせた。


「それにしても、綺麗な毛並みだな。触ってみてもいいかい?」


 白猫は、一瞬だけ、びくりと身体をこわばらせた。

 だが、すぐに「好きになさい」とでもいうように、再びそっぽを向いてしまう。

 その、無言の許可。


 僕は、そっとその背中に手を伸ばし、柔らかな毛並みを優しく撫でた。

 ゴロゴロ、と。

 彼女の喉から、心地よさそうな音が漏れる。

 その、あまりにも無防備な反応に、僕の心臓が、きゅん、と小さく音を立てた。


(……やばい、可愛い)


 普段の彼女とのギャップが、僕の理性を容赦なく破壊しにくる。

 そして、僕の脳裏に、一つの、抗いがたい欲望が芽生えてしまった。


(そういえば、ビルギットが、グローア相手にやっていたな……。猫吸い、とか言ったか)


 一度芽生えた好奇心は、もう止められない。


 僕も、やってみたい。

 この、世界で一番気高くて可愛い猫の香りを、存分に堪能してみたい。


「シリヤ。一つ、試してみたいことがあるんだ」


 僕は、有無を言わさず、その小さな身体をひょいと抱き上げた。


「にゃっ!?」


 突然の浮遊感に、シリヤが驚きの声を上げる。

 僕は、そんな彼女の抵抗をものともせず、そのふわふわのお腹に、顔をうずめた。


「失礼……!」


 スウウウウーーーーッ、ハアアアアァーーーーッ……!


 ああ、なんて、温かくて、太陽のような、甘い香りなんだ……。

 僕の理性が、幸福感で溶けていく……。


 その、まさに、瞬間だった。


 僕の腕の中で、白猫の身体が、再び淡い光に包まれた。

 そして、ふわり、と。

 猫の柔らかな感触が、人間の、もっと柔らかくて、滑らかな肌の感触へと、変化した。


「……え?」


 僕が顔を上げた時、そこにいたのは、白猫ではない。

 顔を真っ赤にして、涙目で僕を睨みつける、人間のシリヤだった。

 僕の顔は、彼女の、その、豊かな胸の谷間に、完璧に埋まっていた。


 しん、と。

 時が、止まる。


 数秒の沈黙の後。


「ななな、何をなさるのですか、この変態ーーーっ!」


 シリヤの絶叫が、夜の静寂を切り裂いた。

 同時に、僕の頬に、彼女の渾身の平手打ちが、クリーンヒットした。


 パァン! と、乾いた音が響き渡る。


「ぐえっ!?」


 じんじんと痺れる頬を押さえながら、僕は必死に言い訳をする。


「い、いや、違うんだ、シリヤ! これは、その、不可抗力で……!」


「どこが不可抗力なのですか! この、変態! ド変態!」


 彼女は、わなわなと震えながら、僕を指差す。

 その瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出していた。


「う……うわああああん! 私だって……! 私だって、アーリングさんの、お役に、立ちたかったんです……! ヴィルデさんや、ビルギットさんのように、あなたの隣で、戦いたかった……! それなのに、私だけ、何もできなくて……! 悔しくて、情けなくて……っ!」


 ついに、心の壁が、完全に崩壊した。

 彼女は、その場にへなへなと座り込み、子供のように声を上げて泣きじゃくった。

 天才の仮面の下に隠されていた、年頃の少女の、あまりにも不器用で、健気な本音。


 僕は、ひりひりする頬の痛みも忘れ、そんな彼女の隣に、そっと寄り添った。


「……ごめんな、シリヤ。気づいてやれなくて」


 僕は、その震える小さな肩を、優しく、しかし力強く、抱きしめた。


「君は、無力なんかじゃない。君のその頭脳がなければ、僕たちはとっくの昔に全滅していた。君は、僕たちの、誰にも代えがたい『切り札』であり、最高の『相棒』だ。僕は、君を誰よりも信頼している」


 僕の言葉に、シリヤはしゃくりあげながら、僕の胸に顔をうずめてきた。


「……ほん、とう、ですか……?」


「ああ、本当だとも」


 僕は、泣きじゃくる彼女の頭を、優しく撫でてやる。


「だから、もう泣くなよ。君が笑ってくれていないと、僕も、悲しいから」


 その言葉に、シリヤは、涙で濡れた顔を上げて、ほんの少しだけ、はにかむように微笑んだ。


 しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したシリヤが、もじもじと僕の服の裾を掴んだ。

 そして、意を決したように、僕の瞳をまっすぐに見つめてくる。


「……アーリングさん」


「ん?」


「その……先ほどの、あなたの行為ですが」


「あ、ああ……本当に、すまなかった」


「いえ、謝罪は結構です。ですが、論理的に考えて、一方的に『吸われる』だけというのは、著しく公平性を欠くかと」


「……は?」


 彼女が何を言っているのか、理解が追いつかない。

 そんな僕を尻目に、シリヤはすっと立ち上がると、僕の前に仁王立ちした。

 そして、顔を真っ赤にしながらも、はっきりと宣言したのだ。


「ですから、その……今度は、私が、あなたを『吸わせて』いただきます。……それで、おあいこ、です」


 そう言うと、彼女は僕の返事を待たずに、勢いよく僕の胸へと飛び込んできた。

 そして、僕の服に顔をうずめると、僕がさっきやったのと同じように、深く、深く、息を吸い込み始めた。


 スウウウウーーーーッ、ハアアアアァーーーーッ……!


「……っ!」


 僕の胸に感じる、彼女の柔らかな感触と、吐息の熱。

 その大胆な行動に、今度は僕の理性が吹き飛びそうになる。


 やがて、満足したのか、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「……これで、貸し借りなし、です」


 そう言って、ぷい、とそっぽを向いてしまう彼女の姿は、あまりにも愛おしくて。

 僕は、じんじんと痛む頬のことなどすっかり忘れ、ただ、夜空の下で、声を上げて笑うしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ