表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/157

第45話 世界で一番、幸せな手紙

 容態を確認しに行くと、ヨナスは静かに眠っていた。

 エイラは疲れたようすだったが、ぺこりと僕に頭を下げた。


「アーリング様。こちらへ」


 そう言って、エイラは隣の部屋へと僕を誘った。

 弟の眠りを妨げないための、彼女なりの配慮なのだろう。


 二人きりになった部屋で、エイラは、改めて深々と頭を下げた。


「あの……本当に、ありがとうございました。なんとお礼を言ったらいいか……」


 彼女は懐から、古びた布に包まれた小さな何かを取り出す。

 そして、それを僕の前に、震える手でそっと差し出した。


「すみません、こんなものしかなくて……。でも、今、私がお礼にできる、たった一つの……母の、形見なんです」


 広げられた布の上には、小さな、しかし美しい輝きを放つ青い宝石が一つ。

 古い指輪だった。


 僕は、その手をそっと、押し返した。


「エイラさん、気持ちは、本当に嬉しいよ。でも、これは君のお母さんの大切な思い出だろう? それを僕が受け取るわけにはいかない」


「ですが、これくらいしか……!」


「代わりと言ってはなんだけれどね」僕は言葉をつづけた。「たまにでいい。君たちが元気にやっていると、そう知らせる手紙を、フィエルヘイムの僕の診療所に送ってほしいんだ。君たちの幸せな日常。僕にとっては、どんな高価な宝石よりも、それが最高の報酬だ」


 それは、僕の偽らざる本心だった。

 救えなかった命への、癒えることのない後悔。

 僕が心の診療所を続ける理由は、いつだってそこに行き着く。


 だから、僕が救った命が、その先で幸せに生きてくれていることを知れるならば、それで良いのだ。


「そんな……そんなことで、いいのですか……?」


「それがいいんだ。君からの便りを、楽しみに待っているよ」


 僕の言葉に、エイラの瞳から、ぽろ、ぽろ、と大粒の涙がこぼれ落ちた。


「アーリング様。お約束します。世界で一番、幸せな手紙を、必ず、あなたにお届けします」


 その言葉だけで、十分だった。


◇◇◇


 さて。

 僕達は渓谷を抜ける作戦を練るため、ミットダール村の詰め所へと訪れていた。

 詰所は、燻った薪の匂いと、男たちの疲労が染みついた、重い空気に満ちていた。


 僕たちを出迎えてくれたリーダーの男は若かった。

 だが、その顔には年齢不相応の深い皺が刻まれている。


「……旅の方々か。悪いことは言わねえ。今すぐ、この村から引き返しな」


 彼は、僕たちの顔を見るなり、か細く、掠れた声でそう言った。


「渓谷の魔物について、詳しくお話を伺いに来ました。僕たちは、ただの旅人ではありません。訳あって、あの渓谷を越えなければならないんです」


 僕がそう切り出すと、リーダーは自嘲するように、ふっと力なく笑った。


「……魔物、ね。ああ、そうさ。あれは、確かに魔物だ。だが、俺たちが知るどんな魔物とも違う」


 彼は、ゆっくりと語り始めた。


「最初に気づいたのは、見張り台の若い奴だった。『見たこともねえ化け物が、森をこっちに向かってくる』ってな。俺たちも、最初はただの大型の魔物だと思ってた。自慢じゃねえが、この辺りの魔物退治なら、俺たちだって手慣れたもんだったからな」


 だが――。


「……違ったんだ。様子を見に行った仲間の一人が、魔力を込めた矢を放った。確かに、奴の身体に当たったはずだった。だが、矢は……カキン、て、妙な音を立てて、弾かれた。まるで、鏡にでも当たったみたいにな」


 リーダーは、虚ろな目で虚空を見つめながら、続ける。


「一番、腕の立つ魔法使いのじいさんが、火の玉をぶち込んだんだ。そしたら……信じられるかい? 奴の身体に当たった瞬間、その火の玉が、寸分違わず、そのまま……」


 彼は、そこで一度、言葉を切った。

 ごくり、と喉が鳴る。


「――そのまま、跳ね返ってきたんだ。じいさんは、自分の魔法で、黒焦げになっちまった」


 その一言が、この場の空気を完全に凍りつかせた。


「魔法反射……!?」


 シリヤが呟く。


「王国の魔術体系において、魔法そのものを完全に反射する能力など、理論上ありえません!」


「だが、事実だ」と男は言った。


 魔法が反射されてしまう……。


 それは、あらゆる魔術師にとっての天敵だ。

 僕たちの最強の切り札であるはずのシリヤが、この敵の前では、完全に無力化されてしまう。


「……それからが、地獄だった。どんな攻撃も、魔法も、奴には通じねえ。俺たちは、ただ、仲間が一人、また一人とやられていくのを、見ていることしかできなかった。……命からがら、ここに逃げ帰ってきたのは、ほんの数人だけだ」


 リーダーは震える手で顔を覆った。

 魂が壊れてしまっている。

 彼の心は、完全に折れていた。


◇◇◇


 宿屋に戻った僕たちの間には、重苦しい沈黙が流れていた。


「旦那様」


 沈黙を破ったのは、リネアだった。

 彼女はテーブルに広げた地図の一点を、その白い指先でなぞる。


「この渓谷を完全に迂回するルートも、存在はします。北の大山脈を大きく回り込む、古の交易路です。ですが……」


 彼女は、淡々と、しかし絶望的な事実を告げた。


「その道を踏破するには、最低でも三ヶ月は要します」


 三ヶ月。

 アスラグの件を考えると、僕たちにそれほど悠長な時間は残されていない。


「迂回路は最終手段だな……」僕は言った。「まだ、打つ手がないと決まったわけじゃない。情報は、聞くだけじゃ不十分だ。僕自身の目で、確かめてみたい」


 僕は立ち上がった。


「ヴィルデさん、君の力を貸してほしい。二人で、あの合成獣の正体を暴きに行く」


 僕の言葉に、ヴィルデの瞳が、強い光を宿して輝いた。


「はいっ! お任せください、アーリング様!」


◇◇◇


 僕とヴィルデは、夕闇に紛れて問題の渓谷へと潜入した。

 時折聞こえる獣の遠吠えが、否応なく緊張感を高める。


「アーリング様、あちらです」


 ヴィルデが、身を屈めて囁いた。

 彼女が指さす先、月明かりに照らされた開けた場所に、「それ」はいた。


 自警団リーダーの話通りの、猪の屈強な体躯と爬虫類の鱗を併せ持つ異形の合成獣。

 その巨体は、ただそこにいるだけで、圧倒的な威圧感を放っている。

 全身を覆う鱗が、月光を鈍く反射し、不気味にきらめいていた。


 僕は岩陰から、そっと【神の瞳】を発動させる。


 対象の魂と魔力の構造を視るこの能力は、厳密には『ギフト』だ。

 訓練で習得する『魔法』とは根本的に異なる力。

 果たして、奴の魔法反射を貫通できるか……。


 僕の意識が、合成獣へと深く潜行していく。

 行ける……!


 やはり強力な魔法反射の能力が表層を覆ってはいるが、そのさらに奥、魂に紐づいた魔力の本質的な流れまでは、弾き返せていない。


(……なるほど。これは、とんでもない構造だ)


 僕の脳裏に、合成獣の魔力循環システムが、青白い光の回路となって映し出される。

 全身を覆う鱗の一枚一枚が、外部からの魔力マナを完璧に弾き返す、独立した反射板として機能している。

 まさに鉄壁の魔術的装甲だ。


 だが、その完璧なはずの回路網の中に、僕は致命的な『矛盾』を見出した。


(これほどの巨体と魔力反射能力を常時維持するには、それだけではエネルギーが足りるはずがない。全身が完璧な『反射』、つまりエネルギーの『出力』だけなら、どうやって活動エネルギーを補っているんだ?)


 その瞬間、僕の脳裏で【賢者の知識】が閃光のように起動した。

 僕の知らない異世界の生物学の知識が、イメージとなって流れ込んでくる。

 大気中のマナを直接エネルギーに変換する、魔力的な呼吸器官の存在。


 そうだ、完璧な閉鎖系など、生命体としてはありえない。

 必ず、どこかにエネルギーの『出入り口』があるはずだ。


 僕はもう一度、意識を集中させる。

 魔力の流れを、もっと仔細に観察する。


 すると、見えた。


 首の付け根、そして脇腹の数カ所。

 他の鱗とは明らかに逆の流れ……外部から大気中のマナを直接吸収している『魔力吸気口』とも言うべき器官が、確かに存在する。

 そこは「反射」ではなく「吸収」を目的としているため、当然、魔法反射の機能を持っていない。


 わかった。

 わかってしまえば、なんて簡単なことだったんだ。


「ヴィルデさん。一旦戻ろう。わかってしまえば、なんてことはない。僕達なら、あいつを倒すことができる」


 ヴィルデは一瞬、呆気に取られたように僕の顔を見つめていた。

 そして、その瞳をきらきらと輝かせた。


「はいっ……!」


 彼女は、満面の笑顔で力強く頷く。


「どんな絶望的な状況でも、アーリング様は、必ず光を見つけ出してくださりますね。私、信じていました! さすがです、アーリング様! 愛してます!」


 ……ドサクサに紛れて愛の告白をされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ