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第43話 息の根を止めてでも、止めます

 僕たちは王都を出発し、北の大地『リムグレーペ』を目指していた。

 王都での出来事が、まるで遠い昔のことのように感じられるほど、馬車の外に広がる景色は、どこまでも穏やかだった。


 まあ、馬車の中は、相変わらず賑やかというか、騒がしいというか……。


「アーリング様、長旅でお疲れでしょう! 私が先日、森で摘んだ木の実を蜂蜜漬けにしてまいりました! ささ、あーん、をどうぞ!」

「ヴィルデ殿。ここは私が毒味を……む、美味いな、これ」


 ヴィルデとビルギットがじゃれあっている。

 そしてシリヤは、すやすやと寝ていた。


 この光景も、すっかり日常になってしまった。


 やれやれ、と僕が肩をすくめていると、ふと、向かいの席に座るリネアと視線が合った。

 僕は、なんだか無性に照れくさくなって、慌てて窓の外へと視線を逃がした。


 そんな、穏やかで、幸せな時間が流れていた、まさにその時だった。


「……アーリング様、少しお待ちください」


 不意に、ヴィルデの声が、鋭い「狩人」のそれへと変わった。

 彼女の視線は、馬車の遥か先、街道の脇に立つ、ある一点へと注がれている。


「どうしたんだい、ヴィルデさん?」


「あれを。……あんな場所に、看板が」


 彼女が指さす先を、僕も目を凝らして見つめる。

 確かに、遠くの道の中央に、手作りの看板があった。

 さすがに僕の視力だと内容までは読めない。


 馬車を止め、近づいてみる。

 その看板には、必死さが伝わってくる文字が刻まれていた。


『――この先、危険。謎の魔物により渓谷封鎖さる。命惜しくば近づくな。 ミットダール村 自警団』


 その、あまりにも直接的な警告に、僕たちは顔を見合わせた。


「ふむ。この先の渓谷に、厄介な魔物がいる、ということか」ビルギットが腕を組み、険しい顔で呟く。「村人がわざわざ警告の看板を立てるほどだ。相当な脅威と見て間違いないだろう」


「力技で突破を試みるよりも、まずは情報収集が論理的帰結です」と、目を覚ましたシリヤも冷静に分析する。「この看板を立てた、ミットダール村とやらに立ち寄り、詳しい話を聞くべきかと」


 二人の意見はもっともだった。

 僕も、その提案に異論はない。


「よし、決まりだ」僕は仲間たちの顔を見渡し、宣言した。「ミットダール村に立ち寄って、まずは情報収集をしよう」


 僕たちは再び馬車に乗り込み、ミットダール村へと、その進路を変えたのだった。


◇◇◇


 ミットダール村は不穏な喧騒に包まれていた。

 北の地『リムグレーペ』との交易路が遮断された影響は、すぐに村の機能を麻痺させたらしい。

 通りには先へ進めなくなった商人たちの荷馬車が溢れていた。

 行き場を失った人々の怒声やため息が、活気の代わりとなって渦巻いていた。


「一体、何があったんだ?」


 僕が眉をひそめると、ビルギットも「単なる魔物の出現にしては、混乱が大きすぎるな」と周囲を警戒する。


 僕たちは、人でごった返す村で唯一の宿屋の扉を押した。


 中は商人や旅人たちでごった返し、誰もが苛立ちを隠せずに酒を煽っている。

 カウンターの奥から、疲れ切った顔の主人が僕たちに気づき、面倒そうに声をかけてきた。


「旅の方かい。見ての通り、この有様だ。部屋も、残ってるのは狭い部屋だけだが……それでもいいなら空いているよ」


「ええ、お願いします。それと、この村の状況を少し教えていただけませんか? ずいぶんと、荒れているようですが」


 僕が部屋代を払いながら尋ねると、主人は大きなため息をついた。


「あんたたちも北へ行くのかい? 諦めた方がいい。一週間前からだよ。渓谷に、とんでもねえ化け物が出て、道が完全に塞がっちまったんだ」


 隣のテーブルで飲んでいた商人も、吐き捨てるように会話に加わってくる。


「全くだ! リムグレーペに運ぶはずだった毛皮が、この村で足止め食らって、もう一週間だぜ! 損失は膨らむ一方だ! 王都の騎士団様は、一体いつになったら動いてくれるんだか!」


 別の席からは「村の連中も、北から来るはずの特別な薬草が届かねえって、困ってるみてえだしな」という嘆きも聞こえてくる。


 僕たちにできることはないだろうか。

 そう思った、まさにその時だった。


 バタン! と。


 宿屋の扉が、壊れんばかりの勢いで開かれた。


「誰か! お医者様はいらっしゃいませんか!? 弟の、ヨナスが……!」


 そこに立っていたのは、年の頃は十五、六歳だろうか、憔悴しきった顔の少女だった。


 僕とシリヤは、顔を見合わせた。


◇◇◇


 少女はエイラと名乗った。

 彼女に案内されるまま、僕たちは村の外れにある小さな家へと駆けつけた。


「ぐっ……ぅ……ぜぇ……っ、ひゅっ……」


 ベッドの上で、小さな身体をくの字に折り曲げ、苦しげに喘いでいる少年がいた。


 家へ向かう途中で聞いた話では、彼女の弟で、ヨナスという名前らしい。

 顔は青白く、その細い喉からは、空気を求める悲鳴のような呼吸音が漏れている。

 周期的に身体が激しく痙攣する、重い発作だった。


「まず、診断の前に詳しい状況を教えてください」とシリヤが言った。


「ヨナスは、物心ついた頃からずっと、この発作に苦しめられてきました。以前、なけなしのお金をはたいて王都のお医者様に診ていただいたこともあるんです。でも、その方にも『原因不明の魂の病。治療法はない』と……」


「いままで発作が起きていたときは、どうしていたのですか?」


「北の地から、発作を抑える薬を購入していたんです。でも……」


 そうか。

 渓谷が封鎖されてしまい、物資が届かなくなった……ということか。


 シリヤが魔術的な診断を試みたが、数分後には悔しげに首を横に振った。


「ダメです……生命力が内側から削られていることしかわからない。王都の医師が匙を投げるのも無理はない……」


 シリヤの言葉に、エイラの瞳から光が消えかける。


 僕は、静かに前に出た。


「僕も視てみるよ」


 僕はヨナス君のベッドのそばに膝をつくと、その冷たい手をそっと握った。


 そして、僕の持つ二つの力――【神の瞳】と【賢者の知識】を、同時に、そして最大まで開く。


 ―――次の瞬間。

 膨大な情報が、僕の脳内へと雪崩れ込んでくる。


(……間違いない。この症状、この魂の反応は、僕が知る異世界の医学における、極めて稀な症例に酷似している。特定の物質を代謝する酵素が生まれつき欠損している、先天性代謝異常……!)


 原因はわかった。

 だが、僕の専門外だ。

 どう治せば良いのかはわからない。

 発作を抑える薬もない。


 このままでは、この子の命が……。


 どうすればいい?

 僕は必死に思考を巡らせる。

 なにか方法はないか……。


 渓谷に現れた魔物を倒す?

 いや、そんな時間はない。


 その瞬間だった。


 僕は、閃いてしまった。

 【神の瞳】の力には、べつの使い方があることを。


 僕は覚悟を決めた。


 僕はヨナス君の手を強く握りしめ、僕の魂に語りかけるように、強く念じた。


(――僕に、君の痛みを少しだけ分けてくれ)


 【神の瞳】の力を使い、相手に『共感』する。

 これにより、相手の受けている負荷を一部肩代わりすることができる。

 ビルギットの心の痛みを自分で体験した能力の発展版だ。


 次の瞬間、まるで自分の身を焼かれるような、凄まじい苦痛の奔流が、僕の魂へと流れ込んできた。


「ぐっ……!」


 思わず、歯を食いしばる。全身から冷や汗が噴き出し、視界が白く霞んだ。

 だが、その代償は、確かに奇跡を起こしていた。


「あ……」エイラが、信じられないといった声を上げる。


 あれほど苦しげだったヨナス君の呼吸が、すう、すう、という穏やかな寝息へと変わっていったのだ。

 痙攣は収まり、その顔には安らかな血の気が戻っている。


「すごい……発作が、治まった……?」


 シリヤも驚愕の表情で僕を見つめている。


「……少し、時間を稼いだだけだから」


 僕は平静を装って立ち上がったが、実際は、足が震えていた。


「さて、僕らで謎の魔物を倒そうじゃないか」


 そうは言ったが、立っているのも精一杯だ。

 ふらり、と一瞬、力が抜ける。


「旦那様」とリネアが支えてくれる。「外でお話があります」


◇◇◇


 僕たちは、家の外の、冷たい風が吹く木陰に来ていた。

 体調は最悪だ。


「旦那様。なぜ、そのようなことをされるのですか?」


「眼の前で苦しんでいる人がいるんだ。そして、僕は彼の苦しみを、少しだけど取り除いてあげられる。当然のことじゃないか」


「当然ではありません」リネアは強い口調で言った。「もう、旦那様の体は、あなただけのものではない。私のものでもあります。無茶はやめてください。せめて、無茶をする前に、一言相談してください」


「……でも、相談したら、止めるだろう?」


「息の根を止めてでも、止めます」


 いや殺すな。

 さすがに止め過ぎだ。


 そして、リネアはふぅ、と小さく息を吐いた。

 真剣な表情に戻る。


「さきほどは言えませんでしたが……実は、私はあの病気の治療法を知っています」


「……でも、言えない理由があったんだね?」


 僕の言葉に、リネアは小さくうなずいた。


「その治療は、禁術の領域です。治療には、彼女……エイラさんの、大きな犠牲を必要とします」

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