第24話 合成獣
交易町スキップダールを発つ日の朝。
町の人々への挨拶を終え、フィエルヘイム村への帰路につこうとした、その時だった。
「アーリング様。最後に、私から、一つだけお願いがございます」
意を決したように切り出してきたのは、聖女キルステーナだった。
その瞳には、昨日までの迷いはない。
「私は、聖女として、一人で旅を続けようと思います。この国には、まだ私の力を必要としてくれる人がいるはずですから」
僕に依存するのではなく、自分の足で立ち、自分の意志で人々を救う道を選ぶ、と。
その宣言が、僕は自分のことのように嬉しかった。
「うん、君なら、きっと大丈夫だ」
僕が笑顔で答えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
だが、その瞳が、ほんの少しだけ不安げに揺れる。
「……でも、もし。もしまた、自信をなくして、自分の力が信じられなくなってしまったら……その時、また、会っていただけますか……?」
か細い声で、彼女は尋ねる。
僕は、力強く頷いた。
「ああ、いつでもおいで。僕は、いつでも君を待っている。べつに、自信がなくなったときじゃなくてもいい。また会えるのを楽しみにしているよ」
「はいっ!」
キルステーナの顔がぱあっと輝く。
僕たちは固い握手を交わした。
「さあ、帰ろうか」
僕が仲間たちに声をかけ、馬車に乗り込もうとした、まさにその瞬間だった。
広場の向こう、町外れの方角から、甲高い悲鳴が響いた。
ざわめきが広がる中、一人の男が広場へと駆け込んでくる。
「大変だ! 町の外縁部に住んでる連中が、何人も突然倒れた! 症状は……またあの病気みてえに苦しんでるんだ!」
その凶報に、僕は一瞬、言葉を失った。
追い打ちをかけるように、今度は森の方から、猟師が転がるようにやってきた。
「化け物だ! 町のすぐそこの森に、とんでもねえ化け物がいやがる! そいつが歩くだけで、黒い煙みてえなもんが……!」
二つの絶望的な報告。
僕は、キルステーナの方を振り返った。
彼女もまた、僕のことを見ていた。
言葉は、いらなかった。
互いの決意を確かめ合う。
――この町を、見捨てるわけにはいかない。
僕と彼女は、力強く、同時に頷いた。
次の瞬間、僕たちは、森の方角へ向かって、同時に駆け出していた。
「お待ちください、旦那様!」
「アーリング様!」
背後から、皆が当然のように僕たちの後を追ってくる。
もはや、号令は必要ない。
僕たちの心は、完全に一つだった。
◇◇◇
森は、すでに死の匂いに満ちていた。
瘴気の渦の中心、そこに「それ」はいた。
猪のような屈強な体躯に、爬虫類を思わせる禍々しい鱗。
背中からは無数の骨の棘が突き出していた。
「なんだ……あれは……ただの魔物じゃない……」
見たこともない、異形の存在。
隣にいたシリヤが即座に水晶盤を構えた。
「過去のデータには存在しません。自然発生したものではない」とシリヤ。「あれは……合成獣かもしれません」
「合成獣?」
僕が問い返すのと、その合成獣が僕たちを認識し、おぞましい咆哮を上げるのは、ほぼ同時だった。
一瞬で思考を切り替える。
敵の分析はあとだ。
「ビルギット!」
「わかっている! 私の仕事は、あなた方を守ることだ!」
ビルギットが前に出て、その巨大な盾を構える。
彼女が合成獣の猛烈な突進を正面から受け止め、大地が揺れるほどの衝撃を殺した。
「リネア、ヴィルデ!」
「承知!」
「はいっ!」
その返事と同時に、リネアの姿が掻き消えたように消えた。
まるで影だ。
リネアは、合成獣の巨体の周囲を音もなく、目にも止まらぬ速さで駆ける。
獣は戸惑い、その動きを目で追おうとするが、翻弄されるばかりだ。
そして、獣の意識がリネアに集中した、まさにその瞬間――
隠し持っていた漆黒の短剣が、月の光を反射して一瞬だけ輝く。
リネアは、合成獣の巨大な脚首の腱を、深々と切り裂いた。
けたたましい悲鳴と共に、獣の動きが一瞬、決定的に鈍る。
「今です!」
リネアの叫びに応えるように。
ヴィルデが必殺の一矢を放つ。
その矢は、硬直した獣の、先ほど切り裂かれたばかりの箇所を寸分の狂いもなく射抜いた。
「グオオオオオッ!」
合成獣が、激痛に悶える咆哮を上げる。
体から黒い胞子が吹き出てきて、周囲一帯に撒き散らされた。
「――させません!」
キルステーナの凛とした声が響く。
彼女を中心に、『浄化の聖域』が展開され、僕たち全員を瘴気から守る無敵の砦と化す。
「シリヤ、分析は!?」
「弱点は心臓部! ですが、極めて硬い甲殻で覆われています! 並の物理攻撃は通用しません!」
「なら、内側から壊すまでだ!」
僕は叫んだ。
「キルステーナさん! 君の浄化の光を、奴の心臓部、ただ一点に収束できるか!?」
「はいっ! やってみます!」
キルステーナが、渾身の祈りを捧げる。
僕たちを包んでいた聖域の光が、彼女の掲げた両手の中へと、急速に収束していく。
やがて、それは一本の、眩いばかりの光の槍へと姿を変えた。
「――貫けっ!」
放たれた光の槍は、空気を切り裂き、寸分の狂いもなく合成獣の心臓部へと突き刺さった。
「グウオオオオオオオオオッ!」
獣が、今までにない苦悶の絶叫を上げる。
分厚かったはずの甲殻に、大きな亀裂が走るのが見えた。
◇◇◇
「――今だ! 全員、あの一点に総攻撃をかけろ!」
僕の最後の号令が、森に響き渡る。
ビルギットが雄叫びと共に盾を叩きつけ、巨体をぐらつかせる。
その隙を逃さず、リネアとヴィルデの、流れるような連携攻撃が、亀裂の入った心臓部へと殺到した。
僕もまた、有りっ丈の魔力を込めた剣を手に、最後の突撃を敢行する。
仲間たちの全ての力が、一つの目標へと集束する。
断末魔を最後に、合成獣の巨体は、その形を維持できなくなった。
黒い瘴気の粒子となって、風の中へと霧散していく。
後に残ったのは、激しい戦闘の痕跡と、僕たちの荒い息遣いだけだった。
僕たちは互いの顔を見合わせ、そして、完全な勝利を確信した。
「アーリング様……! 私たち……勝ったんですね……!」
キルステーナの瞳から、安堵の涙がこぼれ落ちる。
だが、その顔は、やり遂げたという達成感に満ちた、誇らしい笑みを浮かべていた。
僕たちが勝利の余韻に浸っていた、その時だった。
「アーリング氏、これを……」
獣が消え去った地面を調べていたシリヤが、何かを拾い上げた。
それは、微かに魔力の残滓を放つ、黒色の、鈍く輝く石。
「特殊な魔力が込められているようです。この石を使って、獣を遠隔操作し、意図的にこの町へと誘導していた……と考えるのが妥当です」
そして、シリヤは僕の目を真っ直ぐに見て言った。
「この合成獣の術式……以前、見たことがあります」
「見たことがある?」
僕が問い返すと、彼女は苦々しい表情で、しかしはっきりと頷いた。
「ええ。この悪趣味な術式……おそらく、王立アカデミーに在籍していた、天才魔術師、アスラグのものです」




