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第2話 診療開始

「ええ、喜んで。――ようこそ、僕の【心の診療所】へ」


 僕がそう言って微笑むと、村長さんは堰を切ったようにぽつり、ぽつりと語り始めた。


 娘さんの名前はヴィルデ。

 歳は十六。


 数年前、村がゴブリンの群れに襲われた日を境に、部屋に引きこもるようになってしまったらしい。


「あの子は……私のせいで……」


しわがれた声で、村長さんは自分の膝を強く握りしめる。


僕の『神の(ディアグノーゼ)』には、彼の心にべったりと張り付いた、黒く重たい『後悔と無力感の染み』が視えていた。


「わしが昔、腕利きの狩人でしてな。この子もわしに憧れて、昔から森が好きで、よく狩りについてきておったんです。あのゴブリンに襲われた日も、実は罠の仕掛け方を教えている最中でして……わしが、あの子を危険な目に遭わせてしまったんです……!」


 村長さんは、ヴィルデさんを守ろうとして深手を負った。

 彼女は、眼の前で襲われる父親を見ていることしかできなかったのだという。


「私が……もっと強ければ……あの子の、あの輝くような才能を、摘み取らずに済んだんだ……!」


 ああ、なるほどな。


 父親が抱える、強すぎる自責の念。

 自分が至らなかったせいで、娘の未来を奪ってしまった、という後悔。


 そして、その重く、黒い感情は、巡り巡って娘自身の心を縛る呪いになるんだ。


 きっとヴィルデさんは、「お父さんが私のせいで怪我をした」「私が狩人見習いなんて言わなければ…」って、自分を責め続けているんだろう。

 父親は「自分のせいだ」と悔やみ、娘は「自分のせいだ」と心を病む。


 見事なまでに、罪悪感の押し付け合い……いや、負のループだ.


 これは、親子揃って治療が必要な案件かもしれない。


「村長さん、まずは娘さんの部屋まで案内していただけますか? 僕のやり方で、少し彼女の心の状態を診てみたいんです」


「おお……! わかってくださるか!」


 僕の言葉に、村長さんは涙ぐみながら何度も頷いた。


◇◇◇


 案内されたのは、村長の家の二階にある、固く閉ざされた木のドアの前だった。

 ここだけ、時間が止まっているかのような、息の詰まる静寂が漂っている。


 リネアが心配そうに僕の顔を覗き込むが、僕は静かに首を振ってそれを制した。

 そして、ゆっくりと目を閉じ、意識を集中させる。


 ――発動、『神の(ディアグノーゼ)』。


 次の瞬間、僕の脳裏に、ドアの向こう側の光景が鮮明に映し出された。

 それは、凄惨としか言いようのない光景だった。


 部屋の隅で膝を抱える、可憐な少女。

 おそらく彼女がヴィルデさんだろう。


 そして、その彼女の細い身体に、部屋の隅々から伸びた無数の『黒い茨』が、雁字搦めに巻き付いていたのだ。


 茨はまるで生き物のように脈打ち、その一本一本の先端が、邪悪なゴブリンの顔を形作っている。

 『恐怖の茨』が彼女を締め上げるたびに、ヴィルデさんの肩が小さく震えるのが視えた。


 (……酷いな。これは典型的なPTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。ゴブリンへの恐怖が、彼女の世界そのものを縛り付ける呪いになっている)


 だが、視えたのなら、道はある。


 とはいえ、彼女の心の傷は、僕が想像していた以上に根深い。

 下手に動けば、さらに固く閉ざされてしまうだろう。


 僕は静かに振り返り、心配そうにこちらを見守る村長さんに声をかけた。


「村長さん。今すぐに治療を始めるのは難しい。ですが、方針は視えました」


「ほ、本当か!」


「ええ。ただ、そのためには少し、作戦を練る時間が欲しいんです。どこか……静かに考えをまとめられる場所をお借りできませんか? 書斎のような場所があれば、非常に助かるのですが」


「おお、もちろんじゃ! わしの書斎でよければ、いくらでも使ってくれ!」


 村長さんは、僕の提案に力強く頷くと、急いで階段を降りて一階の部屋へと案内してくれた。


◇◇◇


 通されたのは、使い込まれた木の机と、壁一面の本棚が印象的な、こぢんまりとしつつも落ち着いた書斎だった。


 村長がお茶の用意を、と部屋を出ていく。


 リネアは僕の背後に控えたままだ。

 完璧なメイドは、主人が求めるまで口を開かない。


「リネア、少しの間、誰もこの部屋に入れないでくれるか」


「承知いたしました」


 彼女に護衛を頼み、僕は書斎の椅子に深く腰掛けた。


 そして、目を閉じて、あの能力を発動させる。


「来たれ、異世界の叡智よ。僕に道を示せ。――『賢者の知識(グノーシス)』!」


 僕の呼びかけに応え、目の前の空間が眩い光と共に歪む。

 やがて光が収まると、そこには分厚く、荘厳な装丁の書物が一冊、静かに浮かんでいた。

 表紙には、僕の知らない古代文字で何かが記されている。


 ページをめくると、びっしりと書き込まれた異世界の言語が、僕の頭の中に直接、意味を持って流れ込んできた。

 まさにチート能力だ。


 僕は目的のページを探す。

 あった。

 『第7章:心的外傷(トラウマ)への介入技法』。


「ふむふむ……『段階的暴露療法』……『リフレーミング』……『アンカリング』……そして、何よりもまず優先すべきは、対象との『ラポール形成』……」


 ラポール。

 つまり、信頼関係だ。


 当たり前だよな。

 心を預けてもらうには、まず相手に安心してもらわないと始まらない。

 決して無理強いはせず、相手のペースに合わせ、安全な場所から少しずつ世界を広げていく手助けをする。


 よし、治療方針は決まった。

 まずはドア越しの対話からだ。


 僕が彼女にとって『安全な存在』だと認識してもらうことから始めよう。


 僕が治療計画の骨子を固めていると、リネアが静かに口を開いた。


「旦那様、作戦会議ですね。お任せください」


「何かいい案はあるか?」


「はい。信頼とは、つまり未来永劫の安全を保障することに他なりません。手始めに、このフィエルヘイム周辺のゴブリンを全て根絶やしにして、その頭蓋骨でヴィルデ様のお部屋をデコレーションするのはいかがでしょう。『もう安心ですよ』という、何より雄弁なメッセージになるかと」


「なるわけねーだろ!」


 思わず最大音量でツッコんでしまった。


 なんだその発想は!

 余計にトラウマを悪化させるだけだろうが!


「違う、そうじゃない! 信頼ってのはもっとデリケートなんだ! 物理で殴って解決する問題じゃないんだよ!」


「物理で殴るのが一番早く解決するのですが」


「しない! いいか、リネア。僕の仕事は、彼女が『彼女自身の力で』茨を断ち切る手助けをすることなんだ。僕がゴブリンを全滅させたところで、彼女の心の中のゴブリンは消えない。わかるかい?」


「……なるほど。では、旦那様がゴブリンの着ぐるみを着て、ヴィルデ様に一方的に殴られてあげる、というのはいかがでしょう。ストレス発散に繋がるかと」


「僕が死ぬわ! なんでそんなに物理介入したがるんだよ!」


 はあ、はあ……。

 こいつと話していると、治療の前に僕のSAN値が削られていく。


 だが、このズレたやり取りのおかげで、少しだけ肩の力が抜けたのも事実だった。


「……とにかく、僕の方針でいく。リネアは僕のサポートに徹してくれ。いいね?」


「承知いたしました。旦那様のお心のままに」


 完璧な無表情で頷くリネア。

 本当にわかってるんだろうな、こいつ……。


 その時、ガチャリ、とドアノブが回る音がした。


「あ、あの、アーリング様……。お茶の用意が……」


 お盆を持った村長さんが、若干引き気味の顔で僕たちのシュールな議論を眺めている。

 やべえ、聞かれた。


「あー……その、これはですね、治療法の可能性について、あらゆる角度から検討を……」


 僕がしどろもどろに言い訳をすると、なぜか村長さんは「おお……!」と感動したように目を輝かせた。


「なんと……! ゴブリンに扮してまで治療を……! そこまで真剣に娘のことを考えてくださるとは……! どうか、お続けください!」


 そう言って、お茶を置くとそそくさと部屋から出て行ってしまった。

 ……なんか、ものすごい勘違いをされた気がする。


 僕は大きくため息をつくと、リネアに向き直った。


「いいか、リネア。僕の方針はこうだ。――『何もしない』」


「……はあ」


「正確には、『彼女に何も求めない』だ。毎日、決まった時間にドアの前へ行き、ただ穏やかな日常の話をする。僕という存在に慣れてもらう。返事も求めない。ドアを開けることも強要しない。ただ、僕が『安全』だと理解してもらうんだ」


 それが、異世界の叡智が示した、最善の第一歩。


 僕の言葉に、リネアは初めて、こくりと深く頷いた。


「……承知いたしました。旦那様のお心のままに。それが、最も確実な道でしょう」


 ようやく僕の意図が伝わったらしい。

 僕は「よし」と呟いて立ち上がると、お礼にお茶を一口だけいただき、再び二階の、あの固く閉ざされたドアへと向かった。

 ここからが、本当の始まりだ。


◇◇◇


 治療の第一歩は、驚くほど地味なものだった。


 僕は村長さんに断って、ヴィルデさんの部屋の前に小さな椅子を一つ置かせてもらった。


 そして毎日、決まった時間にそこに座り、ただ静かに語りかけるのだ。


「やあ、ヴィルデさん。アーリングです。今日もいい天気だよ。空が真っ青で、鳥の声がよく聞こえる」


 返事は、ない。

 ドアの向こうからは、物音ひとつ聞こえてこない。

 まるで、そこに誰もいないかのように静まり返っている。


「今日はリネアが、珍しいハーブティーを淹れてくれてね。すごくいい香りなんだ。今度、君にもご馳走したいな」


 それでも、僕は語り続ける。

 決してドアを開けるよう促したり、彼女を責めたりはしない。

 ただ、僕が体験した穏やかな日常の風景を、ありのままに伝えるだけだ。


「僕は君の敵じゃない。君を縛り付けているその『茨』は、すごく痛むだろう。……僕が、それを一緒に取り除く手伝いをしたいんだ。だから、焦らなくていい。君のペースでいいんだよ」


 そんな毎日を、五日ほど続けた頃だった。


 その日も、僕はいつものように椅子に座り、村の子供たちが元気に遊んでいる様子を話していた。

 すると。


 ――キィ……。


 か細い、本当に小さな音がして、固く閉ざされていたドアが、ほんの数センチだけ、開いた。


 僕は息を呑む。

 心臓がドクン、と大きく跳ねるのを感じた。

 隙間の向こうから、怯えに揺れる翠色の瞳が、こちらを覗いていた。


 ヴィルデさんだ。


 僕は込み上げてくる興奮を必死に抑え、できる限り、今までで一番優しい声を作って言った。


「……こんにちは、ヴィルデさん。会えて嬉しいよ」


 彼女は何も言わない。

 ただ、じっと僕の顔を見つめている。

 だが、その瞳には、昨日までとは違う、ほんのわずかな光が宿っているように見えた。

 長い間、閉ざされていた世界が、ほんの少しだけ、外に向かって開いた瞬間だった。


◇◇◇


【ヴィルデ視点】


 ドアの向こうから、またあの人の声が聞こえる。

 アーリング、さん。


 毎日、毎日、同じ時間に来て、優しい声で話しかけてくる人。

 お父さんや村の人のように、私を無理やり外に出そうとしたり、「元気を出せ」なんて言ったりしない。


 ただ、そこにいて、穏やかな世界のことを教えてくれる。


 (この人の声……優しい……)


 彼の声を聞いていると、不思議と、私をずっと縛り付けていた『恐怖の茨』の棘が、少しだけ痛くなくなる気がする。

 ぎゅうっと締め付けられる痛みが、ほんの少しだけ、緩む気がする。


 気づいたら、私はドアノブに手をかけていた。

 ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけ、この人の顔を見てみたい。


 ――キィ……。


 隙間から見えたその人は、私の想像していた通りの、とても優しい瞳をしていた。


「……こんにちは、ヴィルデさん。会えて嬉しいよ」


 その声を聞いた瞬間、きゅう、と胸の奥が温かくなった。

 真っ暗で、寒くて、痛いだけだった私の世界に、一筋の光が差し込んだような。


 (……この人、は……)


 茨はまだ、怖い。

 大好きだった森も、お父さんに教わった弓も、もう、触るのも怖い。

 外に出るのも、怖い。


 でも。


 (この人なら、もしかしたら……)


 閉ざされた心の扉の隙間から、小さな、淡い恋心が芽生えたのを、まだ私自身は気づいていなかった。

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