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第18話 魔術真菌

 昨夜の祝祭と、その後の地獄のような混乱。

 その全てを飲み込んで、夜が明けた。


 僕たちは、町で一番大きな宿屋の一室を借り、今後の対策を練っていた。


 リネアの応急処置で一命を取り留めた老人をはじめ、魂の輝きを失い虚脱状態に陥った人々は、町の集会所で安静にしている。

 幸い、死者は出ていない。

 だが、彼らがいつ目を覚ますのか、後遺症は残らないのか、誰にもわからなかった。


 コンコン、と控えめなノックの音がした。

 入ってきたのは、憔悴しきった顔の、この町の町長だった。


「アーリング殿……」


 彼は僕の前に進み出ると、深々と、本当に深く頭を下げた。


「この度は、本当に……なんとお礼を申し上げたら良いか……。あなた様がいらっしゃらなければ、この町は、昨夜の混乱で完全に崩壊しておりました。民をまとめ、的確な指示で被害を最小限に食い止めてくださったその手腕……。あなた様こそ、この町を救った、真の英雄です」


「顔を上げてください、町長。僕は、僕にできることをしただけです」


 英雄、か。

 柄にもない称号に、僕は内心で苦笑する。

 称賛の言葉も、今の僕にはどこか虚しく響いた。


 なぜなら、僕の頭の中は、今も意識を取り戻さない、一人の少女のことでいっぱいだったからだ。


「それよりも、キルステーナさんの容態を……」


 僕が言いかけた、その時だった。


 部屋のドアが静かに開き、ヴィルデが心配そうな顔でこちらを覗かせた。


「アーリング様……。キルステーナ様が、目を覚まされました」


 僕は町長に一礼すると、すぐさま彼女の元へと向かった。


 彼女が保護されている部屋の扉を開ける。


 ベッドの上で、一人の少女が、ただ虚空を見つめていた。

 聖女キルステーナ。

 だが、その姿に、昨夜までの輝きはどこにもない。


 僕の『神の瞳』が、彼女の心を覆う、どす黒い【自己嫌悪と罪悪感の嵐】を視ていた。


「……私を」


 か細い声が、静寂を破った。


「……私を、殺してください……」


 彼女は、僕に視線を合わせることもなく、ただ壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す。

 それが、絶望の淵から彼女が絞り出した、唯一の願いだった。


◇◇◇


「殺すことなんてできない。僕の仕事は、君を救うことだからだ」


 僕は彼女のベッドのそばに椅子を運び、静かに腰を下ろした。


「……君を苦しめているものの正体について、少し話をしたい」


 僕の言葉に、キルステーナの虚ろだった瞳が、ほんのわずかに動く。


 僕は、まずビルギットに視線を向けた。


「ビルギット。君が以前、行商人から聞いたという、この町で流行っていた奇妙な病の話を、もう一度、彼女に聞かせてあげてくれるかい?」


 僕に促され、ビルギットが静かに一歩前に出た。


「ああ。聖女様。この町では、あなた様が来られる前、高熱にうなされ、悪夢に苛まれる者が続出していたと聞いています」


 ビルギットの言葉に、キルステーナ自身が頷いた。


「はい……私が最初にこの町に来た時、皆さんは確かにその病に苦しんでいました。だから、私は、私の力で皆さんを癒やしたはず……でした」


 僕は、隣に立つ天才魔術師に視線を送った。


「シリヤ。君の分析結果を」


「ええ」シリアはうなずいた。「その病の正体は、私が昨夜採取した町の水や土壌のサンプルを解析した結果、『魔術真菌』の一種だと判明しました」


「まじゅつ……しんきん……?」


 キルステーナが、か細い声で問い返す。

 話を聞いていたヴィルデも、よくわからなかったようで「真菌って、きのこ……の仲間ですか?」と尋ねた。


「認識としてはそれで結構です」とシリヤ。「人の魂に寄生する微細な菌類ですが、通常は休眠状態で、発熱や悪夢を見せるというような害を及ぼします。――そう、単体では、ね」


 シリヤはそこで一度言葉を切り、僕に視線で続きを促した。


 僕は、シリヤの話を引き継ぎ、仮説の核心を告げる。


「キルステーナさん。君が最初に行った癒やしは、その真菌の活動を一時的に弱め、魂の奥深くに『潜伏』させたんだ。だから町の人々は一見、回復したように見えた。しかし、菌は消えていなかった」


「菌を……潜伏……?」


「ああ。そして、問題は昨夜の祝祭だ。君が感謝を込めて放った、さらに強力な聖なる力が、潜伏していた真菌を……魂の中で、一斉に、大量に破壊してしまったんだ」


 僕の言葉に、キルステーナは混乱したように眉をひそめた。


「菌を…破壊したのでしたら、なぜ、皆さんはあんな事に……?」


 当然の疑問だ。


 免疫機能が引き起こす破滅的な嵐――異世界の知識が告げる『サイトカインストーム』というものが原因だ。

 だが、それを詳しく説明するのは難しい。

 簡単な例え話をすることにした。


「菌だって必死に生きている。だから、一斉に殺されそうになると、最後の抵抗に、もっとも悪質な『呪いの胞子』をばらまくんだ。魂を内側から腐らせる、最後の置き土産をね」


「呪いの……胞子……」


「君が最初に行った癒やしで、カビはおとなしくなった。だから、みんな治ったように見えた。でも、昨夜の君の力は、おとなしくなったカビを一斉に刺激して、その『呪いの胞子』を、魂の中で大爆発させてしまったんだ」


「あ……ああ……」


 キルステーナの白い頬を、大粒の涙が次から次へと伝い落ちる。


「私が……私が、癒やそうとしなければ……皆さんは、ただの病で済んだかもしれないのに…。私が、この手で……もっと最悪の呪いを、皆さんの魂に……っ」


「……辛いよね、キルステーナ」


 泣きじゃくる彼女に、僕はまず、その痛みに寄り添う。


「自分の信じていた力が、善意が、全部裏切られたように感じて…。世界中の誰からも、責められているような気持ちなんだろう…」


 僕の言葉に、彼女の嗚咽が、ほんの少しだけ和らぐ。

 僕は、ゆっくりと続けた。


「でも、少しだけ考えてみてほしいんだ」


「……」


「君が、病に苦しむ人のために、一生懸命に薬を作ったとする。でも、その薬で、その人はもっと苦しんでしまった。……だけど、もし。君に薬の材料を渡した商人が、君に内緒で、こっそり毒を混ぜていたとしたら」


 僕は、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。


「本当に罪を償うべきなのは、薬を作った君なのかな? それとも、君の善意を利用して毒を混ぜた、その卑劣な商人なのかな?」


 キルステーナは、童女のように僕を見上げる。


「そして、この真菌には、明らかに人為的な手が加えられている」とシリヤが告げた。


「え……?」


 キルステーナの視線が、僕からシリヤへと移る。


「私が解析した『魔術真菌』。その魔術的な構造には、明らかに、人の手が加えられた痕跡がありました」



「どういう……ことですか……?」


「自然界の菌が持つ自己増殖の術式に、無理やり『特定の聖属性魔力にのみ反応し、致死性の呪いを拡散する』という、極めて悪意に満ちた術式が組み込まれていたのです」


 シリヤは一度言葉を切ると、静かな怒りを滲ませて続けた。


「こんな芸当ができるのは、生命そのものを弄ぶ、禁忌の魔術に深く通じた、ごく一部の異常者だけです。つまり、この町の悲劇の始まりである病そのものが、初めから、あなたという聖女を陥れるためだけに作られた、悪趣味な『兵器』だったということです」


 敵がいるかもしれない、という推測ではない。

 敵は、いた。


 動かぬ証拠が、それを突きつけている。


「キルステーナ。君は、卑劣な罠にハマっただけなんだ。君が背負うべき罪など、どこにもない」


 僕は、そっと彼女の手に自分の手を重ねた。


「きみが、また人々を救えるようになるまで、僕が支える。だから、大丈夫だよ」

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