第16話 交易町スキップダール
「あれ? なんだか、皆さん、元気そうです」とヴィルデが言った。
交易町スキップダールは、僕たちの想像とはまったく異なっていた。
ビルギットが聞いていた「原因不明の病」が蔓延しているという話。
それは、一体どこへ消えてしまったのだろうか。
町は活気に満ちていた。
道行く人々の顔には不安の色など微塵もなく、むしろ祭りの前のような高揚感に包まれていた。
「これは……どういうことだ?」
僕が馬車を降りて呆然と呟くと、出迎えてくれた町の代表者が、その理由を語ってくれた。
「おお、あなた様方が、フィエルヘイムからの調査団の方々ですな! ご足労いただいたのに、まことに申し訳ない! 実は、我々の町は、もう救われたのです!」
「救われた……?」
「はい! 三日前に、奇跡の聖女、キルステーナ様がお立ち寄りくださりました。彼女の聖なる癒やしの力で、瞬く間に病を浄化してくださったのです! ああ、なんというご慈悲! 我が町は、聖女様への感謝を込めて、三日三晩、祝祭を続けることにしたのです!」
聖女キルステーナ。
その名は僕も聞いたことがあった。
近年、各地で癒やしの奇跡を起こしていると噂の人物だ。
「そうですか……。それは、良かった」
ひとまず、病に苦しむ人々がいなくなったことに安堵する。
だが、僕たちの調査は完全に空振りに終わってしまった。
◇◇◇
「さて、どうする? 『聖女様』が奇跡を起こしたんじゃあ、シリヤの仮説も検証のしようがないな」
僕は隣に立つシリヤに言った。
「……結果として民が救われたのなら、それはそれで結構なことです」と、少しつまらなそうに肩をすくめた。
目的を失い、拍子抜けした空気が僕たちの間に流れる。
そんな中、ヴィルデが町の賑わいに目を輝かせながら言った。
「アーリング様! せっかくですから、今日はこの町で一泊していきませんか? お祭り、楽しそうです!」
「……賛成だ」と、ビルギットも静かに頷く。「長旅の疲れを癒すのも、次の任務への備えとなる」
僕は仲間たちの顔を見渡す。
思わず笑顔になった。
まあ、皆が幸せなら、それでいいか。
「よし、決まりだ。今日は調査任務のことは忘れて、みんなで休日を楽しもうじゃないか!」
僕の言葉に、ヴィルデとビルギットの顔がぱっと輝く。
こうして僕たちは、図らずも、束の間の平和な休日を手にすることになった。
◇◇◇
スキップダールの市場は、祝祭の熱気でごった返していた。
香辛料の食欲をそそる香り。
吟遊詩人が奏でる陽気な音楽。
そして人々の楽しげな笑い声。
そのすべてが混ざり合い、喜びに満ち溢れている。
「わあ、見てくださいアーリング様! 綺麗なガラス細工です!」
「ふむ。この干し肉はなかなか上質だな。保存食として買い付けておくか」
ヴィルデとビルギットは、すっかり祭りの雰囲気を楽しんでいるようだ。
シリヤも、最初は「非合理的なエネルギーの浪費です」なんてぶつぶつ言っていたが、珍しい魔術触媒の露店を見つけてからは、熱心に品定めを始めている。
リネアは……うん、僕の半歩後ろで、スリやひったくりが僕に近づかないよう、絶対的な防衛線を張ってくれている。
平常運転だ。
そんな穏やかな喧騒の中、僕の目は、ふと、ある一点に釘付けになった。
人混みから少し離れた場所で、アクセサリーを売る小さな露店を、じっと見つめているビルギットの姿。
普段の彼女からは想像もつかない、真剣で、どこか切なげな横顔。
僕が【神の瞳】をそっと向けると、彼女の心の動きが僕の脳裏に流れ込んできた。
(……これは)
彼女の視線の先にあるのは、一つの髪飾りだった。
銀細工の土台に、小さな白い花を模した、繊細な意匠の髪飾り。
それは、屈強な女騎士である彼女のイメージとは、あまりにもかけ離れた、可憐で、儚げな一品だった。
彼女の心には、その髪飾りに対する、透き通るような【純粋な憧憬】の光が灯っていた。
きれい。
ほしい。
つけてみたい。
そんな、少女のような、あまりにもストレートな感情。
だが、その光のすぐ隣で、黒く、硬い【騎士としての矜持】が葛藤を生んでいた。
『こんな可愛らしいものは、私には似合わない』
『仲間たちに、軟弱だと思われてしまうかもしれない』
ああ、なるほどな。
不器用な彼女は、自分の欲しいものを素直に欲しいと、言えないでいるんだ。
そのいじらしさが、可愛いと思った。
「……む。アーリング殿、どうした」
僕の視線に気づいたビルギットが、はっと我に返り、慌てて露店から顔をそむけた。
僕は、彼女の小さな願いを、叶えてやりたくなった。
◇◇◇
他の三人が、それぞれの買い物に夢中になっている隙を見計らい、僕はビルギットの腕をそっと引いた。
「ビルギットさん、少しだけ、いいかな」
「どうしたというのだ、アーリング殿」
僕は彼女を連れ、人混みから少し離れた、噴水のそばの静かな場所へと導く。
そして、さっきの露店で密かに買い求めておいた小さな包みを彼女に差し出した。
「いつも、僕たちを守ってくれてありがとう。これは、僕個人からの、ささやかなお礼だ」
「……これは」
ビルギットは、驚きに目を見開いたまま固まっている。
僕の手にあるものが何かを悟り、その頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
「い、いや、しかし……! 私は、騎士として当然の責務を果たしているに過ぎん! このようなものを、あなた様から個人的にいただくわけには……!」
僕は、そんな彼女の真面目さが好きだった。
「君は、僕にとってただの騎士じゃない。かけがえのない、大切な仲間だ。仲間が喜んでくれる顔を見るのが、僕の喜びでもあるんだ。だから……受け取ってほしい」
僕の真っ直ぐな言葉に、ビルギットの抵抗が揺らぐのがわかった。
彼女は、僕の手の中の包みと僕の顔を、何度も交互に見つめる。
やがて、観念したように、小さく、深いため息をついた。
そして、まるで宝物に触れるかのように、おずおずとそれを受け取った。
「……かたじけない。主君からの、賜り物……生涯、大切にしよう」
照れているのだろう、小さな笑顔だった。
その笑顔が見れただけで、僕の心は温かく満たされた。
これは、僕と彼女だけの、小さな秘密だ。
◇◇◇
日が落ち、祝祭の熱気が最高潮に達した夜。
僕たちは、広場を埋め尽くす群衆の中にいた。
これから、町を去る聖女キルステーナが、最後の挨拶をするのだという。
「あ、ビルギットさん、その髪飾り素敵ですね! いつの間に買われたんですか?」
ヴィルデが無邪気に尋ねると、ビルギットはびくりと肩を震わせた。
彼女の髪には、昼間プレゼントした花の髪飾りが、月明かりを浴びてささやかに輝いている。
「む……! こ、これは、その……道端で拾ったものを、私が修理しただけだ!」
「ええー! すごい! ビルギットさん、そんなこともできるんですね!」
しどろもどろな嘘を信じ込むヴィルデと、顔を真っ赤にしてそっぽを向くビルギット。
そのやり取りを、僕は微笑ましく見守っていた。
「旦那様」とリネア。「どうせ、私はお礼をされるほどのことは何もしていません」
「……わかったから」
うーん、勘が鋭いなぁ……。
またあとで、なにかプレゼントを考えないと。
◇◇◇
やがて、広場に設けられた壇上に、聖女キルステーナが姿を現した。
純白のローブに身を包み、慈愛に満ちた笑みを浮かべる彼女に、民衆から熱狂的な歓声が上がる。
「聖女様ー!」
「我らを救ってくださり、ありがとうございます!」
彼女は、その歓声に、穏やかな微笑みで応えている。
その姿は、まさしく聖なる乙女そのものだった。
僕は、ふと、純粋な好奇心から、この「奇跡」の正体を見てみたくなった。
聖女キルステーナと、彼女によって「癒やされた」という人々に、【神の瞳】を向けた。
――次の瞬間。
悪寒が、背筋を駆け上がった。
「……え……?」
何かがおかしい。
視えている光景が、信じられない。
歓声を上げる人々。
その魂は、一見、健康そのものだ。
病の影も、苦痛の染みもない。
だが。
違う。
輝く魂の中心。
その核というべき場所に。
小さな、黒い点……。
それは、禍々しいとしか言いようのない、深く根を張った【黒い種】だった。




