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第140話 尻尾をつかむ

 グローアとの対面を終え、僕は離宮の図書室へと戻った。


 扉を開けると、静寂の中に紙をめくる音だけが響いている。

 部屋の中央、大きな作業机を挟んで、シリヤとスィグネが向かい合っていた。

 山積みの資料を前に、二人は時折言葉を交わしながら、黙々と手を動かしている。


「……戻りました」


 僕が声をかけると、スィグネが顔を上げ、少しだけ緊張した面持ちでこちらを見た。


「お帰りなさい、アーリング様。……それでグローアとは会えた?」


 僕は少し迷ったが、ありのままを伝えることにした。


「会ってきました。ただ……ここへ来る気はないそうです」


 僕はグローアの言葉を思い出す。


「スィグネさんとは、会わないと」


 僕の言葉に、スィグネは一瞬だけ目を伏せ、それから――ふっ、と力なく、けれどどこか懐かしむように笑った。


「そう。……やっぱりね」


 そこには、拒絶された悲しみよりも、納得の色が濃く浮かんでいた。


「あの子は昔からそうなの。一度決めたら梃子でも動かない。変なところで意地っ張りで……。きっと、『今更会って何を話すんだ』とか、そんなことを言ったんじゃない?」


「……まあ、だいたい合っています」


 実際にはもっと深刻な事情があるようだったが、グローアの態度自体は、スィグネの想像通りだったと言えるだろう。


「仕方ない。生きていれば、またどこかで会うこともあるでしょう。それに……私は、幸せだから」


 彼女は、向かいで計算に没頭している娘、シリヤへと優しい視線を向けた。


「グローアのおかげで、この子がいるんだからね」


 その言葉を受け、シリヤは顔をあげ、首をかしげていた。


 シリヤは知らなくても良いことなのだ、と僕は思った。


 そうか。

 リネアが、僕に出生の秘密を語りたくなかったのも、こういう気持ちだったんだろうな、といまになってわかる。


 その後、二人は再び資料の調査に没頭しはじめた。

 僕は、隣でそれを見ていることしかできない。


「……この第7魔力炉の出力係数、季節変動にしては誤差が大きすぎます。理論値と0.004%のズレが」


「貸してごらん、シリヤ。……ああ、これは古い『二重帳簿』の術式ね。表向きの数字の下に、別の魔力パスが隠されている。ここの術式を逆算して……」


「なるほど……! 位相をずらして隠蔽していたのですね。さすがはお母様です、解法が美しい……!」


 シリヤとスィグネが熱っぽい議論を交わしている。

 天才魔術師シリヤと、母スィグネ。

 二人の間には、かつてのような冷たい断絶も、ヒステリックな感情の衝突もない。


 あるのは、難解なパズルに挑む同士としての敬意と、そして――親子としての、温かい信頼関係だけだった。


「シリヤ、あなた、計算が速くなった。私が現役の頃より優秀」


「えへへ……。お母様に褒められると、その、照れます」


 はにかむシリヤと、それを慈しむように見つめるスィグネ。


 僕はその光景を、少し離れた場所からコーヒーを片手に眺めていた。


(……平和だなぁ)


 だが、その穏やかな時間は、シリヤの一言によって唐突に終わりを告げた。


◇◇◇


「おかしいです」


 シリヤの手が止まった。

 彼女の紫色の瞳に、冷徹な『観測者』の光が宿る。


「どうしたんだい、シリヤ?」


 僕が尋ねると、彼女は顔を上げず、震える声で答えた。


「……計算が合いません」


 シリヤは、一枚の巨大な王国の地図の上に無数の計算式を書き込んでいた。

 その筆致は荒々しく、彼女の焦りを物語っている。


「見てください、アーリングさん。ここです」


 彼女が指し示したのは、王国全土の魔力供給網を示すラインだった。


「母の助言のおかげで、隠蔽されていた『裏の魔力パス』を全て洗い出すことができました。そして、過去の魔力の生産量と消費量を、完全に照らし合わせた結果……」シリヤは言った。「消えています。国家レベル……いいえ、それ以上の、天文学的な量の魔力が、どこかへ『横流し』されています」


「……なんだって?」


 横領というレベルではない。

 都市一つを何年も維持できるほどのエネルギーが、神隠しにあっているというのか。

 実におかしな話だった。


「送り先は、特定できたの?」


 スィグネが鋭い視線で地図を睨む。


 シリヤは頷いた。


 しかし……言い淀む。


「どうしたの?」と僕は尋ねた。


「はい。それが……」


 シリヤの目が泳いでいた。

 彼女は僕の顔をちらりと見ては、すぐに地図へと視線を落とし、また僕を見る。


 その瞳には、明らかな動揺と、僕を気遣うような躊躇いの色が浮かんでいた。


 彼女が何を言い淀んでいるのか、僕にはすぐにわかった。


 この国の魔力を横領できる立場にある人間。


 答えは、最初から一つしかないのだ。


「大丈夫だよ、シリヤ。言ってごらん」


 僕の声に、シリヤははっと顔を上げた。


「しかし、アーリングさん……」


「ありがとう。僕のことを思ってくれて。でも、僕は真実が知りたいんだ」


 僕の言葉に、シリヤは意を決したように唇を結んだ。

 そして、震える指先で、地図上の一点を指し示した。


「……ここです」


 彼女の指が止まった場所。

 それは王都からもそう遠くない、グレンフェル公爵家の直轄領内だった。


「送り先は、公爵領内にある『クラール湖』のほとりです。そこに、膨大な魔力が送られています」


「クラール湖か……」


 その地名には聞き覚えがあった。


 穏やかな湖面。

 風に揺れる白い花々。

 そして、そこで微笑む母の姿。


「そこは……僕の母さんの故郷だ」


「えっ……?」とシリヤが驚きの声を上げる。


「亡くなられた奥様の?」スィグネは眉をひそめる。「……公爵は、そこに別邸を持っていたはずだけど」


「はい。母さんが亡くなってからは、誰も近づけないように封鎖されていたはずです」


 僕は地図上のその一点を見つめたまま、呆然と呟いた。


 父は、母の故郷に、都市一つを賄えるほどの魔力を送り続けている。

 何年も。

 誰にも知られることなく。


 一体、なんのために?


「それは、いつからはじまったのか、わかるかい?」


「えっと……十二年前の春のようです」とシリヤは答えた。


「なるほどね」


「何が、なるほどね、なんですか?」


「僕の母さんが亡くなったのが、ちょうど十二年前の春なんだよ」

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