第137話 処女受胎
「私を四人目の妻として迎え入れる、というのはどうでしょう」
「は?」
あまりにも想定外の言葉に、僕の思考は停止した。
僕とスィグネの間に沈黙が流れる。
そして、スィグネは微笑む。
「冗談です」
冗談。
その一言に、僕は全身から力が抜けていくのを感じた。
「たちの悪い冗談はやめてください……」
僕は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
よかった……。
本当によかった。
これ以上、僕の守備範囲と責任問題が広がったら、精神が崩壊するところだった。
「まあ、それは冗談として……」スィグネは言った。「ひとつ、あの子の母親として、アーリング様に伝えておかないといけないことがあります」
表情が変わった。
スィグネは真剣な瞳で僕を見ていた。
僕は彼女の言葉を待った。
だが、スィグネは何も言わない。
美しい顔を俯かせ、その指先が回廊の柱を無意味になぞっている。
唇を開きかけては、また閉じる。
その繰り返しだった。
僕の【神の瞳】が、彼女の魂の悲鳴を捉える。
『言わなければ』という強い思いと、同時に、『言ってしまったらどうなるのか』という強烈な恐怖。
二つの感情が彼女の中で激しくせめぎ合い、その魂に黒い澱を生み出している。
これは、ただの相談じゃない。
彼女の人生そのものを縛り付けてきた、あまりにも重い呪いの告白だ、と直感した。
「……スィグネさん」
僕は、できる限り穏やかな声で語りかけた。
「大丈夫ですよ。無理に話す必要はありません」
「……え……?」
彼女は、はっとしたように顔を上げた。
「話せるときがきたら、で良いと思います。話すことで、あなたの気が楽になるのであれば、その重荷を少しだけ分けてはもらえませんか?」
僕の言葉に、スィグネさんの瞳が激しく揺れた。
「ありがとうございます」そして、スィグネは深く息を吐いてから、言葉をつづけた。「私、恥ずかしながら、男性とお付き合いしたことも、その……キスをしたことさえも、一度も、ないのです」
僕は、その言葉の意味を考えていた。
先ほどの図書室での、あの「私だってキスしたことないのに!」という叫び。
あれは、冗談でも、比喩でもなく……。
真実だったというのか。
だとすると、シリヤは……。
「それなのに、私……シリヤを、産んだのです」
―――処女受胎。
まさか。
神の子じゃあるまいし。
「……旦那さんは、そのことを?」
「はい。彼は幼馴染で……。身に覚えがない状態でシリヤを身ごもった私に、それでも愛していると言ってくれました」
実に不思議な状況だと言えた。
「旦那さんとキスもしていないのですか?」
「ええ……。いつか、とは思っていましたが、残念ながら……」
僕は処女受胎という現象について考えていた。
いや、まさか、そんなことが本当にあり得るのか……。
一瞬、ヴィヒレァの関与について考えた。
しかし、時系列があわない。
ヴィヒレァが発明するよりも前に、記憶消去の魔術にたどり着いた人物がいたのかもしれないが……。
「僕は、どうすれば良いのでしょうか。その原因を突き止めてほしい、ということですか?」
「いえ、それが……原因については、おおよそわかっています」
「どういうことですか?」
さっぱりわけがわからない。
「私の認識としては、男性との性体験はありません。しかし、おそらく、あの夜が原因だということはわかっています」
そして、スィグネは言葉をつづけた。
「私には親友がおりました。その日、親友は私に言ったんです。『あなたの身体を、一晩だけ貸してほしい』と。『魂を入れ替える魔術』という、禁忌の魔術を試したい、と」
魂の、入れ替わり……。
たしかに、それならば話の説明はつく。
体を入れ替え、たまたま、その日にシリヤを身ごもった。
「魂の入れ替わりというのは、本当に可能なのですか?」と僕は尋ねた。
「はい。通常では不可能でしょうが、彼女は天才でしたから」
天才。
いま、その天才という称号はシリヤのものになっている。
「その人物とは、いまも親交があるのですか?」
「いえ、その日を境に、失踪してしまいました」
僕は、脳裏にある人物を思い浮かべていた。
魂の入れ替わりなどという魔術を実現可能な魔術師は……。
「その人物の名前をお聞きしてもよろしいですか?」
そして、スィグネはゆっくりと口を開いた。
「天才魔術師、グローアです」




