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第128話 それってあなたの『感想』ですよね?

 僕はひとりで離宮の庭を歩いていた。

 当て所なく……。


 思考がまとまらない。

 何を考えれば良いのかもわからない。


 いろいろと考えなければならないことはわかっていた。

 ハーラルの死、フィヨーラとリネアの記憶喪失……。


 しかし、考えようとすればリネアの表情が思い出された。

 僕の好意を受け入れられず、困ったような表情。

 僕は、あんなリネアの表情を見たことがなかった……。

 僕たちの間にあったはずの愛が、彼女の中から綺麗に消え去ってしまったのだと、あの表情が雄弁に物語っていた。


 ―――ザアア……。


 庭園の中央に設えられた噴水の前に僕は立っていた。

 絶え間なく流れ落ちる水音が、やけに大きく耳に響く。


 僕は、これからどうすればいいのだろうか。


 ぼんやりと噴水を眺めていると、ふと、背後に人の気配がした。

 振り返ると、そこに立っていたのはシリヤだった。


「アーリングさん、大丈夫ですか?」


「大丈夫……じゃないみたいだ」と僕は答えた。


「リネアさんから聞きましたよ。記憶を失っているそうですね」


「ああ……。でも、全部っていうわけじゃない。リネアはリネアだ。でも、僕との大切な思い出を忘れている」


「どうしてほしいですか?」


「どうしてほしいって、何が?」


「慰めてほしいですか? それとも、激励してほしいですか?」


「……わからないよ。放っておいてほしいかな」


 僕はそう言って、シリヤから視線を外した。

 再度、ぼんやりと噴水を眺める。


「記憶が失われたからといって、諦めるんですか?」


 僕はシリヤの問いに答えられなかった。


「なぜ、記憶を取り戻そうと努力をしないのです?」


「……怖いんだ」僕は言った。「リネアは、僕との関係を思い悩んでいるようだった。だから……本当は、記憶を取り戻したくないのかもしれない。取り戻すと辛いのかもしれない」


 そうだ。

 治療師として、患者の意志を尊重したい。


 僕のその弱々しい自己弁護を、シリヤは、完璧な論理で粉砕した。


「――それってあなたの『感想』ですよね?」


「え……?」


「『リネアさんが記憶を取り戻したくないのかもしれない』。それは、あなたの観測に基づく、単なる主観的な『仮説』に過ぎません。何の論理的根拠もない。違いますか?」


 彼女の言葉は、僕の曖昧な感傷を切り裂いていく。


「彼女が自ら望んで忘れたという証拠は? ありません。彼女が記憶を取り戻すことを拒絶したという事実は? それも、ない。あるのはただ、あなたが『怖いから』という感情論で、行動を停止しているという、極めて非合理的な現状だけです」


「……っ!」


 僕は何も言い返せなかった。


「あなたは治療師でしょう」


 シリヤの声は厳しさを増す。


「患者が自らの状態を正しく認識できない以上、治療師が取りうる選択肢はただ一つ。あらゆる可能性を考慮し、原因を特定し、最善の治療法を模索すること。それこそが、あなたの『責務』のはずです」


 彼女は僕の瞳をまっすぐに見据えた。


「アーリングさん」


 シリヤの声が、わずかに熱を帯びたのがわかった。


「あなたが今恐れているのは、リネアさんの心を再び傷つけることではありません。あなたが恐れているのは、万が一、記憶を取り戻した彼女に、もう一度『拒絶』されること……。あなた自身が、傷つくことでしょう」


 図星だった。


「……ああ。そう、かもしれないな」


 僕は、ようやく自分の弱さを認めた。

 噴水の水面に映る、情けない自分の顔を睨み据える。


 そうだ。

 怖い。

 リネアに拒絶されるのが、何よりも怖い。


「聞かせてください。アーリングさんは、リネアさんのことを愛していますね? 取り戻したいですよね?」


「……ああ」僕は言った。「ありがとう、シリヤ。君の言う通りだ。僕はリネアを愛している。愛を取り戻したい」


 シリヤは優しく微笑んだ。


「はい。それこそ、私の好きなアーリングさんです。いい顔になりましたね」


「ありがとう」


 僕の言葉に、シリヤは頷いた。


(……そうだ。僕は、泣いている場合じゃない)


「さあ、アーリングさん。記憶を消す魔術師を捕まえましょう。記憶が完全に失われたものなのか、一時的に奪われているだけなのか……。それを突き止めるためにも、犯人を逮捕しなければなりません」


「そうだね。そうしよう」


◇◇◇


 僕とシリヤは、ハーラルが崩御された寝室へと向かった。

 扉の前には護衛の騎士が立っていたが、僕の顔を見ると何も言わずに通してくれた。


 部屋の中は、時間が止まったかのように静まり返っていた。


「さて……」僕は部屋を見回して言った。「現場についておさらいしようか。まず、この離宮をリネアが守っていた。犯人は、なんらかの方法でリネアに魔術をかけ、記憶を失わせた」


「相当な手練ですね……。あのリネアさんが倒されるだなんて。肉体的に負けたあと、強制的に精神を操られでもしない限り……。遠距離の魔術でリネアさんを倒せるとは思えません」


「そうだね。通常のリネアであれば、精神に作用するような魔術は無効化できるはずだ」


 そのような強力な魔術師が存在するのか……。


「もし、シリヤが犯人だったらどうする?」


「そうですねぇ……。不意をついてアーリングさんを捕まえて、それを人質にリネアさんに魔術をかけます」


「悪くないアイディアだ。悪い人の才能があるね」


「嫌な才能ですねぇ……」


 シリヤは善悪を考えず、目標を達成する最善を打てる人間だ。

 それだけ純粋ということでもある。


「次に、犯人は寝室へ訪れて、ハーラル様を殺害し、フィヨーラ様の記憶を奪った。これは、入ってしまえば簡単だろうね」


「はい。まあ、記憶を奪う魔術がどれくらい大変なのかわかりませんが、簡単だと思います」


 つまり、この寝室へ入る経路が問題なのだ。


「あの日、この寝室へ入れたのは……。護衛の騎士たち、侍女たち、僕ら、そしてヴィヒレァだね」


「ヴィヒレァさんが一番怪しいですよね。魔術師ですから……」


「ああ。たぶん、彼女が犯人だよ」と僕は言った。


「え? もう犯人がわかっているんですか?」


「そうだね……。でも、そうなると幾つか謎が残るんだ」


 シリヤも同じ考えが頭にあったのだろう。


「……あの車椅子ですね?」と即答した。


「そう。あの車椅子で寝室に入るには、幾つかの階段を登る必要がある。普段、彼女は魔術で車椅子を浮かせていた。だが、あそこで魔術を使用した場合は痕跡が残る。シリヤの張ってくれていた魔力検知システムが作動するはずだ」


「ええ、そうですね。だから、私は考慮から外していたのですが……」


「どうにかして、魔術を使わずに寝室へ入る方法はないだろうか?」


 僕の問いに、シリヤは黙り、じっと考えていた。


「うーん」シリヤは言った。「めちゃくちゃ腕の筋肉が発達していて、それで地面を進むというのはどうですか?」


「……オランウータンみたいにね」


「そう。オランウータンみたいに」


 それだとモルグ街の殺人だな、と思ったが……。


「足を一時的に治す魔術とかあるんですかね。いや、それでも魔術の痕跡が残りそうですが……」


「あ、そうか。わかった」


 僕はシリヤの言葉をきいて、ようやく理解していた。


「え? 何がわかったんですか?」


「どうやってヴィヒレァが寝室へ入ったか、わかった」

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