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第10話 ビルギットの新しい生きる意味

 翌日。

 僕はビルギットを連れて、スコグヘイム村の外れにある小高い丘を目指していた。

 ファフナー渓谷を遠くに望む、見晴らしの良い場所だ。


「アーリング殿……。私たちは、どこへ……?」


 僕の少し後ろを歩くビルギットが、不安げに尋ねる。

 アイデンティティを失った彼女は、まるで生まれたての雛鳥のように、僕の一挙手一投足に答えを求めているようだった。


「最後の儀式をしに行くんだ」


「儀式……?」


「ああ。君がこれから何者になるのか、その答えを見つけるためのね。それは『贖罪』の儀式じゃない。亡くなった君の仲間たちへの、『感謝と誓い』の儀式だよ」


 僕の治療方針の根幹は、ポジティブな意味付けへの転換だ。

 罪を背負って生きるのではなく、感謝を力に変えて生きていく。

 その方が、ずっと建設的だろう。


 丘を登り切り、墓標が並ぶ開けた場所が見えてきた、その時だった。

 僕たちは、信じがたい光景を目の当たりにする。


「ギギッ、グギャ!」

「ギャハハ!」


 下卑た笑い声。

 そこにいたのは、三体のゴブリンだった。

 あろうことか奴らは、僕たちが目的地としていた墓標を蹴り倒し、さらに他の墓を掘り返そうとしていたのだ。


 仲間たちの眠りを汚す、許されざる冒涜行為。


「――っ!」


 僕が動くよりも、リネアが動くよりも、ヴィルデが弓を構えるよりも、早く。


 僕の隣を歩いていたビルギットの身体から、凄まじい闘気が迸った。


 それは、怒り。

 悲しみでも、絶望でもない。

 自らが守るべき神聖なものを汚されたことに対する、純粋で、苛烈な、聖なる怒りだった。


「――よくも、私の仲間の眠りを」


 呟きは、氷のように冷たく、そして鋼のように硬い。

 彼女はゆっくりと歩み出ると、腰の鞘から、躊躇なく長剣を引き抜いた。

 かつて彼女を苛んだ『罪悪感の剣』ではない。

 仲間たちの誇りを、その尊厳を守るための、『聖なる騎士の剣』が、今、その手に握られていた。


 墓荒らしに夢中だったゴブリンたちが、ようやく凄まじい殺気を放つ脅威に気づき、威嚇の声を上げる。

 だが、遅い。


 ビルギットの姿が、ふっと掻き消えた。

 僕の目にも、残像しか捉えられないほどの神速。


 ――ヒュッ、と空気を切り裂く音。


 次の瞬間、墓標を蹴り倒したゴブリンの首が、胴体から綺麗に滑り落ちていた。

 返す刃で、残りの二体も一刀両断される。

 それは、もはや戦闘ではなかった。

 怒りを宿しながらも、どこか舞うように美しい、神罰の執行だった。


 血飛沫を浴びた剣を、ビルギットは静かに一振りして血糊を払う。

 そして、倒された墓標をそっと元の場所に戻し、その土を優しく手でならした。


 僕も、リネアも、ヴィルデも、声も出せずにその光景を見つめていた。


◇◇◇


 汚れてしまった墓標をきれいにし、僕達は整列していた。

 さて、これがビルギットの最後の治療だ。


「さあ、祈りを捧げよう。君の言葉で、彼らに感謝を伝えてあげてほしい。そして、君がこれからどう生きていきたいのか、彼らに誓うんだ」


 僕に促され、ビルギットはおずおずと膝をついた。

 ぎゅっと目を閉じ、震える声で祈りの言葉を紡ぎ始める。

 その姿は、神聖で、誰にも邪魔させてはならない、と思わせる空気をまとっていた。


 僕と、少し離れた場所で護衛についているリネアとヴィルデは、静かにその様子を見守る。


 ビルギットの祈りが、静かな丘に響く。


 幾ばくかの時間が過ぎ……。


 彼女は僕の前に進み出ると、その場で静かに膝をつき、騎士の礼を取った。


「アーリング殿。私は、見つけたんだ。新しい生きる意味を」


 その声は、凛として、どこまでも澄み渡っていた。


「私は、亡き仲間の誇りを継ぐことにする。彼らが命を懸けて守ろうとしたこの平和と、そして、絶望の淵にいた私を救い出し、新しい道を指し示してくれたあなたを、この生涯をかけて守り抜く」


 彼女は顔を上げ、僕の瞳をまっすぐに見つめる。


「――それが、私の新しい『誇り』だ。この剣は、その誓いのためにある。どうか、このビルギット・ソルヘイムの剣を、あなたの騎士として受け入れていただきたい」


 僕の『神の瞳』には、彼女の魂が、一点の曇りもない、気高い光を放っているのが視えた。

 罪悪感の鎧は完全に消え去り、そこには『誇りを継ぐ守護の鎧』が、新たに生まれていた。


 まあ、治療は無事に完了した


 それは良いとして……。

 うーん、僕の騎士か……。

 これ以上、周囲に僕への依存者を増やすわけには……。


 僕は、彼女の前にしゃがみこむと、その手を取った。

 そして、できる限り穏便に、しかし断固として、この申し出を辞退すべく言葉を絞り出した。


「ああ、君の誓い、確かに受け取った。本当に、ありがとう。……その上でなんだが」


 僕は意識して微笑をつくる。


「えっと、僕のことは大丈夫だから、王国の騎士団に戻ってはどうかな?」


 僕の言葉に、ビルギットは一瞬、きょとんと目を丸くした。

 しかし、すぐに状況を理解したのだろう。

 彼女はふっと苦笑を浮かべた。


「……アーリング殿。私の誇りは、もうあなたに捧げたもの。それを違えることは、騎士の誓いに反する」


「いや、でも、君ほどの騎士がこんな辺境で僕の護衛なんて、宝の持ち腐れというか……」


「いいえ。あなた様をお守りすることこそ、今の私にとって、何よりの名誉だ」


 ダメだ、通じない。

 彼女の中では、僕の護衛が王国への奉仕を上回る最優先事項として設定されてしまっている。


 僕がなおも説得を試みようと口を開きかけた、その時だった。


「――わかった」


 ビルギットは、意外なほどあっさりと、そう言って微笑んだのだ。


「え?」


「アーリング殿が、私の身を案じてくださるお気持ち、よくわかった。騎士は、主君に不要な心配をかけるべきではない。……この誓いは、一旦、私の胸の内に秘めておくことにする」


 そう言って、彼女はすっと立ち上がり、僕に深々と一礼すると、驚くほど物分かり良く踵を返した。

 その背中には、もう迷いの色はない。


(あれ……? 助かった……のか?)


 あまりの引き際の良さに、僕は呆気に取られてしまった。

 隣に立つリネアとヴィルデも、意外そうな顔をしている。


 ともあれ、これで一件落着だ。


◇◇◇


 一週間後。

 ビルギットの一件も落ち着き、僕の診療所は、異常な日常を取り戻していた。


 異常というのは、つまり以下のような事象である。


「アーリング様」とヴィルデ。「本日の紅茶は昨日より蒸らし時間を3秒長くしてみました。お口に合いますでしょうか」

「旦那様」とリネア。「そろそろお昼寝の時間です。私が膝枕で寝かしつけて差し上げます」


「……うん、まあ、これはこれで……」


 左右をヤンデレに固められながら、僕は遠い目をしていた。


 ビルギットが僕の護衛にならなかっただけでも、良しとしなければ。


 そんなことを考えていると、診療所のドアがコンコン、とノックされた。


「どうぞ」


 そこには、真新しい王国騎士団の制服に身を包んだ、ビルギットが立っていた。

 その姿は、以前の陰鬱な雰囲気など微塵も感じさせない、自信と誇りに満ち溢れた、まさに英雄のそれだった。


「やあ、ビルギットさん。その制服……」


 僕が声をかけると、彼女は完璧な笑みを浮かべて、敬礼してみせた。


「アーリング殿。本日付で、正式に王国騎士団に復帰したことの報告に来たんだ」


「そうか! 良かったじゃないか!」


 僕は心から祝福した。

 彼女が、あるべき場所に戻れたのだ。これ以上の喜びはない。


 だが、ビルギットは、僕の祝福に悪戯っぽく微笑むと、とんでもない爆弾を投下した。


「ついては、復帰後の初任務として、このフィエルヘイム村を含む一帯の、常駐警備責任者を拝命したんだ。任期は……そうだな、私がこの任を解かれるまで、だな」


 彼女は、僕の診療所のすぐ隣、窓から見える距離の空き家を指差しながら、にこやかに続ける。


「新しい住まいも決めたんだ。そこの空き家にな。これで、公私共に、四六時中アーリング殿をお守りできるぞ。――私の、大切な主君」


 ……は?


 僕は、笑顔のまま固まった。


 ビルギットは、僕の返事も待たずに、満足げに頷く。


「それでは、早速警備の任に就くのでな。何かあれば、いつでも呼んでくれ。一秒で駆けつける」


 そう言って、彼女は颯爽と診療所を後にしていく。


 ……ちくしょうめ。

 どうしてこうなった。

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