第1章:運命の出会い
新田悠真は、東京の朝の空気を吸い込んだ。23歳、普通の会社員。毎日同じ電車に乗り、同じビルの同じ階にあるデスクに向かう日々。その単調さに、どこか倦怠感があった。
だが、悠真の心の中にはいつも、ひとりの女性がいた。白石美羽。国民的アイドルグループ「Sirius」のセンター。彼女の輝く笑顔と、どんなときもファンを大切にする姿勢は、悠真の人生に彩りを与えていた。
美羽を好きになったのは大学の頃。テレビで彼女を見た瞬間、何かが胸の奥で弾けた。それからずっと、ライブには欠かさず参加し、CDも買い揃え、公式イベントにも顔を出してきた。
今日も、年に一度の小規模ファンイベントの日。悠真は緊張しながら、列に並んでいた。
イベント会場は、狭いホールだ。ファンの熱気でむせかえるようだった。美羽は笑顔で一人ひとりに目を合わせながら、サインや写真撮影に応じている。
その時だった。突然、背後から押し寄せる人波に押され、スタッフの一人が倒れそうになった。美羽も不意にバランスを崩し、後ろに倒れかけた。
悠真は咄嗟に腕を伸ばし、彼女を支えた。
「大丈夫ですか?」
美羽は驚いた表情で彼を見つめ、そして静かに微笑んだ。
「ありがとう……助かったわ」
その一言が、悠真の胸に温かい火を灯した。
美羽の手は思いのほか柔らかく、でもしっかりと悠真の腕を掴んでいた。周囲のざわめきの中で、二人だけが静かな時間に包まれたようだった。
「本当に、ありがとう」
美羽は少し頬を赤らめて言った。
「いいえ、こちらこそ……ずっと応援してます」
悠真の声は少し震えていた。長年の想いをやっと目の前で伝えられた瞬間だった。
「そう言ってもらえると、救われるよ。アイドルってね、みんなが笑顔でいてくれるからこそ、私も頑張れるの」
その言葉には、強さと儚さが混じっていた。悠真はその表情を胸に刻んだ。
イベントが終わりに近づくと、美羽はスタッフに促されてステージを去ろうとした。悠真は何か言いたくて、一歩踏み出した。
「もしよかったら……」
彼は小さな封筒を差し出した。中には、手書きのメッセージカードと連絡先が書かれていた。
美羽は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しく微笑んで受け取った。
「ありがとう。大事に読むね」
その瞬間、悠真の心は震えた。これが、単なるファンとアイドルの関係を越える第一歩だと感じたのだった。
イベントが終わって、会場の外に出ると、夕暮れの風が肌に心地よかった。悠真は手に握った封筒を何度も見返しては、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
「美羽が……俺に連絡くれるかもしれない」
そんな期待に心が満たされていた。
数日後、スマホの通知音が鳴った。見れば、知らない番号からのメッセージだった。
――「悠真くん? 美羽です。あの日はありがとう。話したいことがあるの。時間ある?」
悠真は震える指で返信した。
「はい!いつでも大丈夫です!」
それから数日、二人はメールやLINEで連絡を取り合った。美羽は誰にも見せない本音や、アイドルとしての苦労を少しずつ語り始めた。
「ファンの前では明るく元気なフリをしてるけど、時々すごく孤独なの」
「正直、恋愛もできないし、いつかこのまま終わるのかと思うと怖い」
悠真はそんな彼女の言葉に胸が締めつけられ、何とか支えになりたいと強く思った。
ある日、美羽から「今度会える?」と誘われ、二人は人目を避けて小さなカフェで会う約束をした。
約束の日、悠真は緊張しながらもカフェの扉を開けた。そこには、控えめな笑顔を浮かべた美羽が座っていた。
「来てくれてありがとう」
美羽の声はいつものステージの煌めきとは違い、柔らかく温かかった。
二人はカフェの隅で静かに話し始めた。美羽はアイドルとしての葛藤、プレッシャー、孤独を吐露した。悠真はそれをただ黙って聞き、時折優しくうなずいた。
「こんなに素直に話せるのは初めてかもしれない」
美羽がぽつりと言った。
悠真はそっと手を差し出した。美羽は迷いながらも、その手を取った。
「君のこと、もっと知りたい」
悠真の言葉に、美羽の目に涙が光った。
その日から、二人の距離はゆっくりと縮まっていった。悠真は「推し」から「特別な存在」へと変わり、美羽もまた悠真に心を開いていった。
しかし、その関係は決して順風満帆ではなかった。美羽の芸能活動、ファンの視線、事務所の規則。二人には越えなければならない壁が待ち受けていた。