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なにか。

ルージュの伝言

作者: ゆり

荒井由実の代表作『ルージュの伝言』についての、深読み考察です。

・・・ホントは歌詞の記載は著作権法違反なので、みんな内緒にしてね(苦笑)

『ルージュの伝言』という楽曲が有ります。

荒井由実の5枚目のシングルです。1975年2月20日に発売されました。


・・・なぁんて知ったかぶりを書くまでもないですね。

ジブリ映画『魔女の宅急便』のオープニングテーマソングに起用されてリバイバルヒットまでした、有名な曲ですから。

そして、その内容の意味深さから、様々な歌詞解釈がネットで繰り広げられている事でも著名です。



・・・著名なんですけどね・・・

大半の歌詞解釈が、どうにもヨミが浅いんですよね。

『深読み解釈』とか言いながら、歌詞の表面しか見えてない。

なので、「深読みってぇのは、こうやるのよ!」って見本を公開してみますね。

深読みってか、解析ですけど。


さて。

分析の最初に行うことは、情報収集です。

あにさ?『情報なら歌詞があるだろ?』ですって?

んなもん、当たり前でしょ?ソレを解析するんだから。

その「解析」に必要な情報を、まずは収集するのよ。


・・・さて。

この曲の作詞者は、誰でしょう?

「ユーミンに決まってるでしょ?」です?

うん、それは正しい。けど、そこで思考停止しちゃダメなのよ。

この曲の作詞者は「荒井由実」。「松任谷由実」ではなく「荒井由実」。

「同一人物じゃん…」ですって?それが思考停止なのよ。

「松任谷由実ではなく荒井由実」ってことは、作詞者がまだ未婚だったってこと。ここ重要。

つまり、この歌詞を作ったとき、まだ未婚だったユーミンは、何歳だったのか?


シングルのリリースは前述のとおり、1975年。ユーミン21歳でした。

でもおそらく、歌詞を作ったのはその更に前でしょう。当たり前ですけど。

この『大人の世界』な歌詞を、ユーミンは二十歳前後の頃に書いているのですよ。

では、まだ二十歳前後だった彼女は「何を見て」この歌詞を起想したのでしょう?


さてこの曲は、比較的表面的な部分としては、この歌詞は「日本人の想像」への痛烈なカウンターパンチとなっています。

・・・「あのひとの ママに会うために」そして「明日の朝 ママから電話でしかってもらうわ My Darling!」ですよ?判りますか?


1970年代中盤。

TVでは「昼ドラ」の全盛期でした。

そして、そこで扱われる大きなテーマの一つが「嫁姑」問題でした。

まぁ、現代でも「嫁姑戦争」ドラマの主題の一つですよね。


・・・ところが。

ユーミンはよりよって、その「姑(若しくは将来の姑)」を「あのひとのママ」と呼んだ上で、告げ口に行くと言っているのです。

つまり・・・この歌詞の主人公は、「あのひとのママ」と面識があり、そして比較的親しく「本当に困ったら相談にゆく」ほどの関係にある事が伺えます。


たぶん、過去に彼と共に実家へ挨拶に行った事があるのでしょうね。

そうしたときに「あのひとのママ」は、若い彼女へ「なにか困ったら相談してね」と語ったのではないでしょうか?(普通によくある事です。)


この辺りを「勘違いした歌詞解釈」では、もうひとつ「大きな勘違い」を起こしている場合が多いです。

それは「不安な気持ちを残したまま」、ここです。

「勘違いした歌詞解釈」では「不安な気持ちで電車に乗った」などと見当違いな解説を書きます。

しかし・・・歌詞は「残したまま」なのでしす。

つまり、「不安な気持ち」とは主人公の彼女の気持ちではなく、「ルージュの伝言」を残された側の気持ちなのです(故に、二番では「手当たり次第・・・」という「残された側」の行動を憶測する歌詞へと続いています)。



・・・ちなみに・・・

リリースの翌年、ユーミンは「松任谷由実」になります。

(既に十分なネームバリューのあった「荒井由実」の名を捨ててまで「松任谷」を名乗ったのですよ?)


つまり、「嫁姑」の関係は日本人の想像する「嫁姑戦争」は既に過去のもの。

結婚すればあのひとのママ」は「自分のママ」になるのが(1970年代の)現代だと、この歌詞で暗に語っているのです。

そして(2020年代の)現代、世間は半世紀前に荒井由実が書いた歌詞に、まだ追いついていません・・・。



さて。

多くの歌詞解釈では、「当時は電車を列車と呼んでいた」とか、下手するとそれすら触れずに最初から「電車に乗った」と記載するなど、歌詞で「列車」と読んでいる理由をほとんど無視しています。

しかし、実はここが一番深読み出来る部分なのです。

モーラ数(音数)は「列車」でも「電車」で同じです。歌詞中に垢ぬけた用語が多い中、ここだけ古臭い「列車」という言葉をわざわざ選んでいるのです。

なにか「意味」があると思えませんか?


実は、「正解」へのヒントは『卒業写真』の「柳」にありました。

その「柳」のモデルは「田町からアルファスタジオへ向かう道の海側歩道沿いの柳並木」とされています。


・・・ではユーミンは「どこから」田町駅へ向かったのか?

荒井由実が「アルファスタジオへ向かう」ようになるのは1972年頃。19歳頃です。

「多摩美大」の学生だった頃です。「八王子キャンパス」か「上野毛キャンパス」かは、判りませんが。

ユーミンの実家は八王子なので、「使い慣れた」中央線で東京まで出て、山手線もしくは京浜東北線へ乗り換えて、田町駅まで通ったのだと思われます。

(田町駅からは、いまは無きその柳並木がよく見えたのですよ、当時は)


さて。

おそらくは「ルージュの伝言」の時間帯。

その時代には、田町駅の電車ホームと、見下ろす柳並木の間を遮るように、「青い列車」達が颯爽と駆け抜けていたのです。

・・・当時は寝台特急『ブルートレイン」の全盛期でもあったのです。



「電車」とは、各車両に電動機があり、自走する列車を呼びます。

対して単に「列車」と呼ぶ場合には、機関車が引く客車編成を指すことが、比較的一般的です。


おそらく、鉄道には詳しくは無かったと思われるユーミン。

でも、「これから向うスタジオ」との間を駆け抜けてゆく「列車」には、目を奪われることが有ったと思います。

その「列車」はおそらくは、彼女が東京駅で乗り換えをするときに、一段高くなった列車ホームで出発待ちをしていた青い「列車」、寝台特急です。

・・・むしろ、印象に残らなかったらおかしい。


そう。

ユーミンは「明日の朝 ママから電話で」と歌っています。

颯爽と駆け抜けて行くブルートレインは、「どこか遠い街」へ明日の朝に着くのです。

実際に「明日の朝」に何処へ着くのかはユーミンは考えなかったとは思いますけどね。

でも、ユーミンが、「普段乗り慣れた」中央線の「電車」なぞよりも、目の前を颯爽と駆け抜けて行く「列車」に、曲想を得たと推定する方が妥当と思います。


さて、ユーミンが作詞した1970年代の「たそがれせまる」時間帯。

東京を16:30に発車する「さくら」を皮切に、16:45に「はやぶさ」、17:00に「みずほ」、やや時間が開いて18:00には「富士」と続きます。

まさに「たそがれせまる 街並や車の流れ 横目で追い越して」、ブルートレインは駆け抜けて居たのです。


まだ、寝台が展開されていない、座席運用で、です。

もし、その列車の窓に「物憂げな若い女性」を見かけたなら・・・?



また、歌詞解釈の少なくない例では、「中央線の電車」と決めつけているものもあります。

たしかに中央本線、急行アルプスをはじめとして、信州方面へ向かう夜行列車がありました。

しかし・・・使われていたのは158系をはじめとする、いかにも「日常」から切り取ったような車両です。

そして、ユーミンにとっての「日常」である、八王子方面へと向かうのです。



実のところ、初期のユーミンの楽曲には、彼女の日常を題材としたような歌詞が少なくありません。

代表的な例としては「中央フリーウェイ」。

舞台のポイントは府中です。歌詞で異論の挟みようがないですね。

このポイントから十キロ足らずで八王子ICです。そして・・・時刻はおそらく、「ルージュの伝言」より少しだけ後(季節にもよりますが)。

『たそがれ迫る…』と『たそがれが…』ですからね・・・。


この曲の歌詞から、ユーミンにとって「都心から東京西部への移動」は、「非日常」から「日常」への帰還を意味することが判ります。

一方「ルージュの伝言」は、「日常」から「非日常」への旅立ちです。

・・・「ルージュの伝言」の主人公が、中央線の『電車』に乗ったと思えますか?

ここはやはり、「日常へ向かう」中央線以外の鉄道、とりわけ東海道線の寝台特急は、その最有力候補でしょう。

ただし・・・ブルートレインの更に向こうを、「白い光の超特急」が、駆け抜けてゆくのですが・・・。




ところで、「ルージュの伝言」を残した「バスルーム」を、木造家屋の浴室と見ている解釈例もありました。

・・・これも、おかしい。おかし過ぎる。


荒井由実はね、中学生頃から麻布のイタリアンレストランに入り浸ってた少女でした。

・・・うん、元祖不良少女(苦笑)。

それも、後代の不良少女とは異なり、時代的にみても明らかにセレブです。

ユーミンの楽曲は、『少女時代の憧れ』などと表現されることもあります。


・・・しかし・・・

その楽曲は実は、ユーミン自身にとっては憧れではなく、実際の身近な物事から取っているのです。



そうですね・・・かの「ひこうき雲」を例にとってみましょうか?

発売は、1973年11月5日。まだ、日本では旅客機が珍しかった時代です。

あの時代に「ひこうき雲」を見ていた人は多くは無かったかもしれません。

・・・しかし・・・


ユーミンの実家はね、八王子なのですよ。

米軍横田基地や立川基地から遠くありません。

作詞された時期、もしくはモデルの時期はおそらく、60年代末から70年代初頭。ベトナム戦争の末期です。

つまり、立川基地が最も稼働していた時代です。


「ひこうき雲」はジブリアニメの風立ちぬ』の主題歌としても使用されていますが、実はその雲を引いた飛行機は・・・

うん。たぶん、ベトナム戦争へ爆撃に向かう米軍機だった可能性も低くはないんですよ・・・。


「身近な物事」というと「恨歌的」になってしまう事例が多い中(ユーミンが「ライバル」と呼ぶ、真友「中島みゆき」の楽曲が典型です)、ユーミンはひとり「少女時代の憧れの世界」を歌います。

ユーミン自身にとっては、それが「身近な現実」であるからこそ、です。



さて、そうした「少女時代の憧れ」が、実は「身近な生活」だったユーミンが、「木造邸宅の浴室」に「ルージュの伝言」を残すなど、起想すると思えますか?

ここはやはり、ユニットバスでしょう。

それも、東京都心部に登場し始めた、草創期のマンションと考えるのが妥当でしょう。

当時、松任谷正隆氏がどのような住宅に居住していたかは不明ですが、ユーミンの着想したバスルームは、松任谷氏の住むマンションの一室と想定するのは不自然ではないと思います。

(ちなみに何の確約もありませんが、あたしは「ルージュの伝言」はバスルームの鏡に書いたと想像してました。)


さて・・・下賤話になってしまいますが、ユーミンが松任谷氏のマンションに起想したのなら・・・

実はそこから、「浮気な恋」についても「起想モデル」が想像できます。

有能なアレンジャーであった松任谷氏が、女性アーティストのレコーディング仕事の為に毎日帰宅が遅くなり、それをユーミンが「浮気な恋」に見立てたのなら・・・?


うん。

ユーミンは「実在しない浮気」を、「浮気な恋」と見立てたのではないでしょうか?

そして、「彼氏以上・婚約者未満」みたいな関係だった松任谷氏を、(内心のテレもあって)「あのひと」と呼んでいるのではないでしょうか?



・・・ふふふ。

wikipediaを調べていたら松任谷正隆の項に、面白い逸話が記載されていましたよ?

> 結婚前のあいさつに、松任谷由実が彼の母と対面したとき「ウチの息子は楽隊屋なんですが、いいのでしょうか?」と言われた。


 「♪あのひとの、ママに逢うために」

★松任谷正隆・母親の和子は正隆が荒井由実との結婚後に設立した事務所雲母社の監査役・・・(笑)


★松任谷正隆の出生地は東京なので、荒井由実がホントに『あのひとのママ』に会いに行くには、『列車』には乗らないんですけどね~。


★ユーミン自身は後に『矢沢永吉の最初の妻との夫婦喧嘩をモデルに歌詞を書いた』と語っていますが・・・ホントかなぁ?(笑)

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― 新着の感想 ―
ゆりさん、すごーい 感心しちゃった(笑) 一気読みしちゃいましたー
2025/01/30 21:02 退会済み
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