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衝突世界

作者: 堀川 春

その夢は質素な中華料理店から始まった。


僕はひとり小さなテーブルの前に腰掛け、ただ茶を飲んでいた。食事はどうやら終わっていて、口直しをしている、といったところだろうか。その席は店内の中央に位置し、四方八方を他の席に囲まれた十分に目立つところだった。古臭い内装の店で、黄色がかった壁はシミが目立ち、安そうな中華風インテリアが至るところに並べられている。僕以外の客も数組いたが、料理に向かって頭を落とした状態を保って食事をしており、顔が見える者はひとりとしていなかった。その空間は、若干孤独感を醸し出しているようにも感じられた。


なんの脈絡もないこの状況で、僕は唯一、今僕自身が夢を見ているということだけは自覚していた。

腰掛けた僕の真向かいは店の入り口で、そこから見える景色は暗く、夜だということが確認できた。

その暗がりの先からふいに、ひとりの若い女性が店内へ入ってきた。見た感じ僕と同い年くらいで、だいたい20代中盤といったところだろうか。顎くらいまでの長さのきれいな黒髪で、肌は白く、全身カジュアルな黒のスーツを着ていた。不思議なことに、名前も知らず、会った記憶もないのに、旧知の仲だという認識だけがわいてきて、久しぶりだという一言が真っ先に口から出てきた。

「久しぶり」

軽く笑顔を見せ、おうむ返しのように挨拶を済ませると、女は僕の席のテーブルに立ったまま手をつき、非常にリラックスした様子で僕の目をまっすぐに見た。美人だと思った。その子の過去の姿など記憶の中にないはずなのに、知り合ったころより随分大人びて、綺麗になったということが感覚で分かった。

「最後にあったのはいつだったっけ?」

旧知の仲だという感覚しか持ち合わせていない僕には、この問いに返す答えが見当たらなかったので、すこしうなった後、適当に3~4年前かなと返しておいた。女は少し眉をひそめて、ふーんと怪訝そうな様子を召せたが、すぐさま話題を変えてきた。

「ねえ、少し付き合ってくれない?」

当然夢の中でほかの用事などないから、不明な内容にも質問せず、僕はすぐに快諾した。


女について店を出ると、どうやらその中華屋は都会のビル群に囲まれた場所にあるということが分かった。そこは僕の記憶になく、女に感じたような懐かしいといった感覚も得られない風景ではあったが、どことなくテレビなどで見るニューヨークに似ていて、一方でそのイメージよりは古びて薄暗い雰囲気の街にも見えた。僕は、夢であるからおそらく自分の潜在意識が作り上げた場所だろうと推測した。店内から見えていた暗闇はすでに明るさを取り戻し、明け方とも黄昏ともとれるだいだい色の空が広がっていた。見たところ雨上がりのようで、水たまりや水滴、街のあらゆる水分が空の光を反射し、薄汚い街なみを少しばかり華やかに演出しているようにも感じた。


女は歩を緩めることなく、スタスタと先へ進み、先導していく。両者無言のまましばらく大通りにそってまっすぐ進にでいった。町は静かで寂しかった。なぜなら人も、動物も、行きかう車も何一つとして自ら動くものが周りになかったからだ。空虚な車道の真ん中を二人して進んでいく。


きっかけもなにもなかったが、僕は君のことを知らず、知らないはずなのに昔のよしみの感覚があるんだと、唐突に告白した。

「わたしもそう。いつ君とあったのか、一緒にどう過ごしてたか全然わからない」

その返答には、すこしの驚きと大きな安堵を感じた。この感覚を双方持ち合わせているのなら、僕だけよそよそしくする必要もなくなった。

「ねえ、それならこの後、何をしないといけないかわかってたり、する?」

僕は首を横に振った。

「それは私だけなのか…。なんとなくどこに行って、何をするべきか、私の中にはあるんだよね」

僕はすぐに理解できた。これは自分の中の使命感や目的といった部類の話ではない。何か、僕ら以外の別の何かに指示されているような、言い換えれば強制されているような感覚なのだろう。ただしその結果が何を伴うか、その先何が待っているのか具体的なものは判然としておらず、ただただ意識に刷り込まれた命令のようなものでしかない。それが彼女にはしっかりと感じられるのだろう。だから歩き続けているのだ。


やがて大通りから脇道にそれ、女はそびえたつビルの壁に囲まれた、やや狭い道路を歩き始めた。

しばらくすると、彼女はまっすぐだった歩みを急にビルの壁に寄せていき、しまいには足を止めて壁に向かって直立してしまった。ここなんだね、と話しかけたが、彼女は返事をせず緊張した面持ちで壁を凝視し続ける。それを返答と受け取り、僕も壁を見やった。それぞれのビルがそれぞれの色合いの壁を並べていたが、そこの壁は灰色のブロック塀で、いかにも周りと異質であった。

しばらくして彼女がその灰色の壁に触れた。僕はそこからの記憶がない。その壁を壊すか開けるかして通り抜けたのだろうと思うが、その場面は体験しそこねたように思えてならない。


目を開けると、現実だった。

僕のアパートのベッドの上で、天井を見上げる態勢で目覚めた。さっきまでの夢はしっかり覚えている。


ふと、いつも行っているあの店にすぐ向かわなければと感じた。僕はやや急ぎで外出の準備を進め、簡単な私服で自室を出た。早歩きで町をすすみ、近所のカフェに飛び込む。少しの間店内を見渡したが、すぐに彼女を見つけた。夢でともに歩いたあの女だった。店内の真ん中の席を陣取り、コーヒーカップを手で包み込むように持っていた。夢とは違って、白のTシャツにジーンズとシンプルで目立たない姿だった。僕は彼女と対面するように、壁際の席に腰掛け、もう一度目線を挙げて彼女を見た。今度はあちらも気づいたようで、ほとんど表情に変化は見られなかったが、若干目が見開いたようにも見えた。

しばらく互いに目線を合わせたままだったが、耐えられず、先に僕が目線を落とす。意を決して僕は立ち上がり、彼女の席へと近づいた。テーブルをはさんで向かい合った距離になったが、僕は目線を落として彼女と合わせず、相手の視線を額に感じながら、口をひらいた。


「ごめん」

ゆっくり彼女に背を向けて、僕は遅いとも早いとも言えない足取りで店を出た。背後では、徐々に彼女の存在が薄れ、しまいには消えてしまっているということをはっきりと感じた。同時に彼女の世界、つまり、あの時の僕にとっての夢の世界も消えていくのだろう。


夢の最後で彼女が壁に触れたとき、僕の世界は消滅から救われ、同時に互いの世界の存在は暫定的に僕に託されたのだ。彼女は僕の世界を救うやさしさを見せたが、また、決断を保留して僕に責任を押し付けるという選択をした。

僕の下した決断は、はたして利己的だろうか。

己と己の世界のため、あの街を消し去ったことへの罪の意識と、今なお存在する自分にとってのリアルな世界を感じる幸福とを、一身に受けながら、僕は歩き続けた。

東京の空は青かった。


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