ep:62 宮廷音楽家シドとキース
「くっ……!」
アネーシャは片手で頭を押さえ、苦しそうに顔をしかめた。
クリザリッドに闇の閃光を差し込まれた額が、ズキリと痛む。
それと同時にサッと剣を構えようとしたが、握っていたハズの剣は何故か失くなっていた。
「えっ、なんで?!」
思わず声を漏らした瞬間、アネーシャの頭の中でプツンと何かが切れた。
「あれ……? 私は何を……」
頭の中に突然サァーっと霧がかかったかのように、記憶が失くなってゆく。
また、それと同時に思い出す。
この現象は、以前ノーティスがレイにかけられたのと全く同じだ。
アネーシャはこの瞬間、完全に堕ちた。
エファルディス・コーディネーションによる夢の世界へ。
ただし、ノーティスとは違い悪夢ではない。
『決して醒めたくない』夢の世界だ。
───そうだ、今日は……!
その時、レンガ造りの建物が立ち並ぶ街の中に、リンゴーン……! リンゴーン……! という教会の鐘の音が響き渡る。
その音が夕焼けの空と相まり切なさを醸す中、アネーシャは駅の方へ嬉しそうにタタッと駆け出した。
鎧ではなく、可愛らしい清楚な服を着た姿で……
◆◆◆
「ハァッ……ハァッ……!」
人が往来する夕暮れ時の街の中を息を切らせながら駆けてゆくと、アネーシャは息を切らしたまま立ち止まった。
駅前に着いた馬車から降り、タキシードに身を包んでいるシドの精悍な姿が瞳に映ったからだ。
その瞬間、アネーシャは嬉しそうにパアァァァッと明い顔を浮かべた。
「シドっ、お帰りなさい!」
「アネーシャ……!」
シドはアネーシャの事を少し遠目から見ると、クールな瞳を優しく和らげた。
スラッとした精悍な身体から、嬉しさと優しさが立ち昇っている。
「ありがとうアネーシャ、迎えに来てくれたのか」
「うんっ♪ ちょうどこの時間だと思って」
「そうか。嬉しいよアネーシャ」
シドが優しい眼差しを向けてアネーシャを見つめてると、車からもう一人男が降りてきた。
重厚なスーツに身を包み、後ろに結いた艷やかな黒髪を揺らめかせている。
そんな彼は、二人に向かいニヤッと微笑んだ。
「フッ、全く帰った早々見せつけてくれるな」
「な、何言ってんだよキース」
顔を軽く火照らせて振り返ったシドに、キースはニヤけながら軽く首をかしげた。
「まったく、見てるこっちが照れるぜ」
「おい、キース。やめろよ」
「ハハッ、いいじゃないか。仲が良くて何よりだ」
そう言ってキースが軽く笑うと、アネーシャがシドをワクワクした顔で見つめた。
今日、シドがキースと何をしてきたか知っているからだ。
それを聞くのが楽しみで仕方がない。
「で、どうだったのシド。宮廷の音楽会は……!」
「あぁ、それなら……」
シドがそう言いかけた時、キースが後ろから立派な装飾が施された豪華な盾を胸の前に掲げ、ニッと笑みを零した。
「これだ」
「わあっ、凄い!」
アネーシャは瞳をキラキラ輝かせている。
その盾に記されているからだ。
『宮廷音楽会最優秀賞』と。
それはトゥーラ・レヴォルトの貴族達が集まる宮廷で開かれる、年に一度の音楽発表会。
この発表会で最優秀賞を取った者には、音楽家としての輝かしい未来が約束されるのだ。
そして盾には、シドとキースの名前が連ねられている。
これまでずっと応援してきたアネーシャは、それが本当に嬉しくて瞳をジワッと潤ませた。
「シド、おめでとう……!」
「アネーシャ、キミのお陰だよ」
「ううん、私なんて何も……」
そう言って首を横に振ったアネーシャを、シドは優しく包み込むように見つめている。
シドもアネーシャにこの報告が出来て、心から嬉しそうだ。
「俺は、キミを想って弾いたんだ」
「シド……!」
アネーシャがより瞳を潤ますと、キースが軽くチャチャを入れるような顔を浮かべた。
二人から溢れ出ている愛のオーラに、入っていける隙がないからだ。
「おいおいシド。俺のバイオリンで連弾した事、忘れてるんじゃないだろうな」
「キース、そんな訳ないだろ」
「フッ、ならば……」
「ああ、その通りだ」
シドはキースと共に、アネーシャを凛とした瞳で見つめた。
「アネーシャ。この賞は俺とキース、そしてキミと一緒に奏でたメロディーだ」
「シド……!」
アネーシャは嬉しさに体を震わせている。
シドの言葉がお世辞でも何でも無く、本心からだというのがヒシヒシと伝わってくるのだ。
これはアネーシャにとって、たまらなく嬉しい。
またシドも、そんなアネーシャの事を愛おしく見つめている。
そんな二人を見たキースは軽く溜息を零し、ヤレヤレのポーズを取った。
「後は二人で祝ってくれ」
その瞬間、なんで?! と、いう顔を向けるシドとアネーシャ。
「キース、何を言ってんだよ」
「そうよ、今言ったばかりじゃない。三人でお祝いしましょ」
だが、キースは微苦笑を浮かべると軽く瞳を閉じた。
シドとはまた違う、温かくで大きな優しさが醸し出されている。
「遠慮しとく。ここからはお前達の連弾だ」
「なっ、キ、キース。なにを……」
シドは顔を火照らせているが、アネーシャはそれ以上に顔を真っ赤に火照らせうつむいている。
恥ずかしくて仕方ないからだ。
「わ、私達は、別にそんなんじゃ……!」
「そ、そうだぞキース。別に俺達はな……」
二人がそう言って口ごもるの見て、キースは笑いが堪えられない。
思わず吹き出してしまった。
「ハーッハッハッ♪ お前ら、それで隠せてるつもりなんて可愛い過ぎだろ」
キースは楽しそうに笑うと、二人の肩にポンッと両手を乗せて微笑んだ。
「俺は充分楽しんだ。後はお前らの時間だ」
キースはそう告げるとサッと背を向け歩き出した。
結いた長い髪が揺れ、それさえも祝っているように感じさせるオーラが漂っている。
そんなキースの背中を、シドとアネーシャは顔に火照りを残したまま、少し切なそうに見つめていた。
けれどキースは振り返らない。
夕日と共に雑踏の中へにキースは埋もれてゆく。
シドとアネーシャはそれを完全に見届けると、そのままスッと手を握り互いをチラッと見て微笑んだ。
「アネーシャ、行こうか」
「うんっ……♪」
ニコッと嬉しそうに笑みを浮かべ、アネーシャはシドの手をギュッと握りしめた。
だが、その時だった。
───『アネーシャ……!』
心の中で自分を呼ぶ少年の声が聞こえた気がしたアネーシャは、ピタッと足を止め後ろを振り返った。
今の声に聞き覚えがあったからだ。
けれど瞳に映ったのは、夕日に照らされた街と雑踏だけ。
───今、誰かに呼ばれた気がしたけど……それに、今の声は……
心の中で想いを巡らすが、答えは出ない。
ただ、どこかで聞いた事のある声だった。
シドはその様子を少し心配そうに見つめている。
「アネーシャ、どうした?」
その声にハッとしたアネーシャは考えるのをやめて、シドを見つめたまま軽く首を横に振った。
「ううん、何でもないわ。気のせいだったみたい」
「そうか。ならいいけど……」
シドがそう零すと、アネーシャは全身から愛しい想いを溢れさせ、繋いでいる手をギュッと握りしめた。
この幸せを確かめるかのように……




