46 想い出の木の下で
ある晴れた春の日、私とルーは2人で馬車に揺られていた。
ウォーレン公爵家の豪華な馬車は作りが丁寧で、ほとんど大きく揺れることはない。なめらかな馬車の動きに肌ざわりのいい生地でできた椅子のおかげで、移動は快適だった。
「フィー、大丈夫? 気分は悪くない? 馬車をもっとゆっくり走らせようか?」
気遣ってくれるルーに「とっても快適な馬車の旅よ」と笑顔を向けた。馬車は若々しい葉をしげらせる木々の間を抜けてゆっくりと走る。
「あそこに行くのは久々だね」
「そうね」
懐かしそうに窓の外を見るルーの手を握り、一緒に外に目を向けた。木々の間から見える空は澄んでいて、地面にはところどころ様々な色の花が咲いている。
「私、一番好きな季節は春だわ。ルーと出会った季節だから」
10年近く前の同じ季節のあの日に思いをはせ、しみじみとつぶやいた。
「僕も春が好きだ。あの春の日、外出しようと決めた自分に感謝しかないよ」
ルーは外に向けていた視線を私に戻した。
あの頃の私は、まさかこんなことを言ってくれる男性と出会えるとは思っていなかった。
「私も、あの時友だちになろうって提案してよかったわ」
見つめ合って微笑み合う。
ただそれだけで、これほどにも幸せな気持ちになれる。
馬車がゆっくりと止まった。先に降りたルーが手を差し出してくれて、私は慎重に馬車を降りた。
そこには懐かしい景色が広がっていた。
今でもあの二本の木は並んで立っていて、たくさんの私が大好きな淡いピンク色の花を重そうに抱えている。
「満開だね」
「そうね。良い時期に来たわ」
私たちは昔と変わらず美しい景色に感動しながら野原をゆったりと歩いた。
「改めて見ると、あの木は他の木よりも先に花を咲かせるんだね」
ルーに言われて周囲を見回すと、あの二本の木だけは野原の中央で太陽の光を浴びてぽつりと立っており、満開の花を咲かせている一方、周囲にある他の木は密集していて日当たりはさほど良くはなく、まだまだつぼみも多かった。花の数も二本の木の方が多いように見える。
「本当ね。あの頃も同じだったのかしら。そうだとしたら、全く気づいてなかったわ」
記憶を探っても、あまり覚えていない。
ルーがぽつりとつぶやいた。
「なんだか、あの木は僕たちのようだ」
「どういうこと?」
私は首を傾げた。
「光を浴びて他の木よりも早く花を咲かせ、孤独に立っている。僕たち貴族と似ていると思わない?」
幼き日を思い出してか、遠い目をしたルーはそっと目を閉じた。
「貴族は早熟でなければならない。与えられるものを必死に取り込んで、一つでも多くの能力を身につけて。少しでも早く厳しい社交界で生き抜いていけるようにならなければ、自分の身どころか愛する人も家族も領民も守ることができない」
「そうね」
ルーは私のお腹に目を向けた。
「無事に僕たちの子どもが生まれたら、将来困らないように十分な教育を受けさせたい。息子でも、娘でも。僕たちがそうだったように」
「幼い頃に学んだことが活かされていると、実感する場面は多いわね」
私は深く頷いた。ルーもそうだねと同意してくれる。
「同時に、深く愛してあげたい。そして、その愛が伝わるように精一杯の愛情表現をするんだ。君は愛し合っている両親から、望まれて生まれてきたんだよって」
ルーはまだ膨らんでいない私のお腹を愛おしそうになでた。まだ性別も分からない命が私たちのことを選んでくれて、今ここで毎日生まれてくる準備をしているのだ。
「もしこの子に友だちができなかったら、どうすればいいかな」
切なそうに言うルー。私たちにとってそれは他人事ではなくて。友だちがなかなかできない可能性が十分にあることを知っているからこそ、不安になる。
「その時は、私たちでこの子を支えてあげましょう。そしていつか、私にとってのルーやエレナのような人がこの子にも現れることを祈るの」
「僕にとってのフィーやアレンだね」
さわやかな春の風が、私のお腹をなでていく。
「そうだ、兄弟がいれば少しは寂しくないかな」
一人っ子のルーは兄弟というものに憧れがあるらしい。
「うーん、そうね。兄弟がいるかいないかの差は大きい気がするわ。でも、兄妹って面倒よ」
お兄さまは私の第二の父親かのように振る舞うもの。
私に対しては過保護で時に厳しいお兄さまの姿を思い浮かべて、二人で声を立てて笑った。
私たちは二本の木の根元に昔のように座った。
木の根元から見る景色は、今も昔も変わらず美しい。
「そういえば」
私はふと思い出して声を上げた。
「ルーは恋人になってから婚約を申し込んでくれるまでの期間がかなり短かったわよね」
少し気まずそうな顔をしたルーは、ぷいっと顔を背けた。
「油断して他の男と婚約を結ばれてしまったらって考えたら、いてもたってもいられなかったんだ」
「あら、私はルーとお付き合いをしているのに他の男性と婚約するなんて無責任なことはしないし、お父さまも私の意思を尊重してくれると思うわ」
ルーは慌てて弁解した。
「いや、違うんだよ。誤解しないで。フィーのことは信頼してる。お父上のことは……。今思えば焦らなくても大丈夫だっただろうけど、当時は君を逃したくなくて必死だったんだよ。そういう君だって、アクアマリンのカフスボタンを用意してくれていたじゃないか」
そう言われれば、私も気が早かったかもしれない。
「だって、ルーって学園でそれはそれはきれいな令嬢たちにいつも囲まれているじゃない。アクアマリンを身につけてくれれば、少しは令嬢たちも離れてくれるかもしれないって思ったの」
ルーは嬉しそうに目を輝かせた。
「フィー、それって、僕にやきもちを焼いてくれてたってこと? かわいいなあ」
やきもち?
言葉の意味を理解するのに数秒ほど費やし、理解した途端顔がボッと熱くなった。
「ル、ルーだって。確かに私は瞳の色の宝石のアクセサリーを用意していたけれど、さすがにあんなに早く婚約を申し込まれるとは思っていなかったわよ」
やきもちの件についてこれ以上触れると、ルーにひたすらからかわれる未来しか見えなかったため、私は話を変えた。
「そ、それはさっきも言ったような理由があったからで……。それに、フィーは全く気づいていなかったけど、学園にはフィーのことを狙っている男もたくさんいたんだ。婚約を公表した途端令嬢たちも休み時間のたびに集まってくるようなことがなくなったんだから、いいだろう」
顔を赤くしたルーは、近くに落ちていた花びらの中から、花の形を保ったものを拾い上げた。
「見て。これ、好きだよね」
素直にごまかされてあげることにした私は顔をほころばせた。
「本当ね。かわいい」
その時、頭に何かがふわりと乗った感覚がした。
「取るよ。ちょっと待って」
ルーがすっと手を伸ばして、髪型を崩さないように慎重に取ってくれる。伸ばされた腕からルーのお気に入りの香水の香りがした。
「取れたよ」
ルーの手には、淡いピンク色の花がもう一つ。
上を見上げると、茶色く小さい鳥が花をついばんで落としている。
「見て、あの鳥が花を落としているんじゃない?」
ルーはすぐには見つけられなかったようで、「え、どこ?」と聞きながら私の指先を何度もたどった。
「ほら、あの子よ。今はちょっと見づらいかも。あ、飛んだ! あそこよ」
「いた!」
花をついばむかわいい犯人に二人でほっこりした。
見渡せば木の下は一面花びらで覆われていた。気まぐれな風が花びらを散らし、小さな鳥が花を落として少しずつ作り上げたのだろうか。
「花のカーペットみたいね」
そう例えると、ルーは目を細めた。
「地面が満開だ」
淡いピンク色のカーペットは、今しか見られない最高の景色だ。
日当たりのいい満開の花の木の下で、一組の男女が見つめ合い、おだやかに笑い合っている。女性はお腹を大切そうになでている。
二つの影が一つになった。
二人が幸せな口づけをする様子は、二人を結びつけるきっかけとなった二本の木だけが見守っていた。
木は枝を揺らして、まるで祝福するかのように花びらのシャワーを降らせた。
明けましておめでとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました!
読んでくださる方、ブックマークや評価をしてくださる方がいたからこそ最後まで書き続けることができました。
おもしろかったと思っていただけましたら、いいねや評価で応援していただけると嬉しいです(*´꒳`*)
下のリンクの短編もぜひよろしくお願いしますm(_ _)m




