44 ウォーレン公爵夫妻
私は、朝から何度も鏡を見てはマリーにおかしなところはないか確認していた。
「マリー、服はこれで大丈夫かしら。髪は乱れたところはない?」
「完璧です。きっとウォーレン公爵家の皆さまにも好印象を抱いていただけると思いますよ」
不安で何度確認してもすぐに不安になってしまう私に、マリーは根気よく付き合って太鼓判を押してくれた。
私は最後にもう一度全身を鏡で確認して、馬車に乗り込んだ。
馬車はウォーレン公爵家への道のりをゆっくりと進んで行く。
貴族たちは王都と領地にそれぞれ家を持っている。同じ王都に住んでいるため、王都が広いとは言えどそれほど遠い距離ではない。
しかし今日は、緊張からか時間が永遠に感じる。馬車の窓から外を見ると、建物の間から雲ひとつない青い空が見えた。
空が「今日はうまくいくよ」と応援してくれている気がして、ほんの少し心が軽くなった。
馬車が止まる。
「こんにちは、フィー」
門まで迎えに来てくれていたルーが馬車の外から声をかけてくれる。
馬車から降りようとする私に、ルーはさっと手を差し出した。
ルーのエスコートで馬車を降り、華やかな庭園に感嘆しながら歩く。
ウォーレン公爵家の格式高い玄関に一歩一歩近づいていくと、歩みを進めるたびに心臓が忙しさを増す。
玄関の前に立った時には、これ以上ないくらいに心臓がバクバクと音を立てていた。
「す、少し待って。落ち着くから」
ルーにことわって深呼吸をする。よし、少しは落ち着いた気がする。
「もう大丈夫」
心配そうにのぞきこむルーに頷いて、私はウォーレン公爵家に足を踏み入れた。
高い天井に豪華なシャンデリア。花瓶に生けられた花たちは瑞々しく咲き誇っている。
普段ならば訪れる人の目を楽しませているであろうそれらは、緊張している私には威圧感を与えた。
ごくりと唾を飲み込んで、使用人の誘導に従って歩く。到着した部屋の前でもう一度深呼吸をすると、ルーが私に安心させるようにほほえんで背中をなでた。
「入るよ」
ルーの手でゆっくりと開かれた扉の向こうには、威厳のある背の高い男性と、おだやかそうな美しい女性が座っていた。ルーの両親のウォーレン公爵夫妻だ。ルーの色味は父親似で顔だちは母親似のようだ。
「ソフィア嬢だな。はじめまして。わざわざ会いに来てくれたこと、感謝する。そのソファーに座るといい。ルイスもその横に座りなさい」
2人で並んで座り、ウォーレン公爵夫妻と向かい合った。
「お初にお目にかかります、ソフィア・フェルノと申します」
緊張で声が震える。手や足も震えているのを感じる。これほどに緊張したのは生まれて初めてだ。
ルーからは両親との仲はそれほど良くはないと聞かされていたから、なおさらだ。
「父上、母上。私はソフィア嬢と結婚します。既に許可もいただきましたし、問題ありませんよね?」
ルーは少し刺々しい雰囲気だ。今さら反対されてはたまらないと、一刻も早く言質を取ろうとしているのだろうか。
ウォーレン公爵家当主は「ああ」とルーに頷き、私に視線を向けた。
「ソフィア嬢。我が息子を選んでくれてありがとう。何度婚約者を決めようとしても学園卒業を待ってほしいと言われていたから、心配だったのだ。どうしても会いたい人がいる、身分は分からないなどと言うものだからな」
ウォーレン公爵がふっと口角を上げた。
「ソフィアさん、会えて嬉しいわ」
公爵夫人がにこりと親しげに笑いかけてくれる。
「ルイス、少し三人で話したい。外してくれないか」
公爵の言葉でピシリと緊張が走った。
眉をひそめて「ですが……」と口にしたルーに、私は柔らかい笑みを向けた。
「ルー、私もお二人とお話ししてみたいわ」
ルーがいないのは心細い。でも、お二人と話してみたいというのは本心だ。
「本当に? 大丈夫?」
ルーは心配そうに何度も私に確認する。私は笑って「大丈夫よ」と返した。
ルーは後ろ髪を引かれるように振り向きながら部屋を出て行った。
三人だけになった部屋に沈黙が流れる。私は手汗が出ているのを感じながら、公爵が話し出すのをじっと待った。
「さて」
公爵が手を組んで前のめりな姿勢になった。
私も姿勢を正す。
「改めて、ルイスを選んでくれてありがとう。歓迎する」
公爵の先ほどまでの威厳ある表情が崩れておだやかな父親の顔になる。
「ソフィアさん、いいえ、ソフィアちゃんと呼んでもいいかしら? こんなに可愛い子を捕まえてくるなんて、ルイスはさすがね。そうそう、お義母さんと呼んでちょうだい。私の子どもはルイスしかいないから、娘ができるのが夢だったの」
公爵夫人にキラキラと目を輝かせて詰め寄られて、私は目を回した。
ルーから聞いていた印象と、実際に受けた印象が違いすぎる。
「ええ、お義母さま」
衝撃から立ち直れないまま、やっとのことでそう口にすると、公爵が「私もソフィアさんと呼んでも?」と聞いてくる。
「もちろんです、公爵様」
公爵は顔をしかめて首を振った。
「違う、その、私も……」
公爵は続きを口にするのをためらったようだった。
お義母さまがくすくすと笑った。
「もう、照れちゃって。お義父さまって呼んであげて。彼も娘が欲しかったのよ。私がもう子を産める体ではなくなってしまったから、産んであげられなかったのだけどね」
公爵は顔を背けた。心なしか顔が赤い気がする。
「お義父さま。これからよろしくお願いします」
満足げな公爵、いいえ、お義父さまの様子を見て、私はお義母さまと顔を見合わせて笑った。場の雰囲気が一気に緩む。
「ルイスとはあまり良い関係を築けていないけど、あなたとは仲良くなれると嬉しいわ」
寂しげに笑うお義母さまに、内心首を傾げた。お二人はルーのことを愛していないようには見えないが、どうしてルーは両親と距離を置いているのだろうか。
「ルーを産んだ後、お医者さまに2人目を望むのは難しいと言われてしまってね。たった1人しかいない息子を病気一つせず健康な体で、公爵家の当主を継いだ後も苦労することがないように立派に育てることに、私も夫も躍起になってしまったのよ」
お義母さまは目を伏せた。お義父さまもため息をついた。
「教育ももちろん大切だけど、ルイスに愛情が伝わるように関わってあげることも大切だったのにね」
「ルイスと私たちとの間で板挟みにしてしまうこともあるかもしれない。私たちがルイスとうまく関係を築けなかったばかりに。申し訳ない」
私は思わず、首を強く横に振った。
「きっと、まだ間に合います。お二人が今私にお聞かせくださった思いをルイス様に正直に伝えれば。ルイス様はまだ、家族から愛されることを夢見ているように思います」
「そうだろうか……」
弱気なお義父さまに、力強く頷く。
「きっと大丈夫です」
お義父さまは弱々しく笑って「ありがとう」と手を差し出した。その手を握り返していると、ドアがバンッと大きな音を立てて開けられた。
「まだですか、もういいですよね!?」
私のことが心配で、我慢できずにルーが戻ってきたようだ。ルーは私とお義父さまが握手している様子をぽかんと口を開けて見た。
「いったいなにが……?」
私はルーに満面の笑みを向けた。
「お義父さまもお義母さまも良い方ね」
「え、いつの間にそんな呼び方に?」
目を白黒させるルー。ルーとご両親の関係が長い年月をかけてでも良好になるといいなと、私は願った。




